2018.05.26

2週間ぶりの海の散帆


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 2週前の12日に父(98歳11月)は,海の散帆の最中に逝きました。前日まで元気で回復の兆しが出てきただけに見事な最期でした。今朝は早朝は五台山市民農園へ行き雑草引きの作業。朝食後は母(92歳)をディサービスの送迎に送り出し、家内の許可を得て夜須へ行きました。

 ハーバーへ着きますと高知大学ヨット部やジュニア・ヨットクラブが既にぎ装し、出艇中でした。慎重にぎ装し海へ出ました、どん曇りで風は弱く、うねりがあり帆走コンディションは良くありませんでした。それでも海へ出ると癒されます。
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 午前中は「船酔い」気味になりました。ランチは訪のおむすびと卵焼きでした。少し風が出て来ましたので昼食後すぐに海へ出ました。しかしうねりも強くなり、ローリング気味になりました。快適な帆走ではありません。
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 1時間ぐらい頑張りましたが諦めて着艇しました。ハーバーでは海の駅クラブ事務局員さんが、試験用のドローン(無人機)のテスト飛行をしていました。なかなかコントロールはッ難しげでした。地上へ落下しても壊れないようです。
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 またヨットの修繕も依頼しました。穴が空いていて「水船」になるからです。修繕できれば軽くなれば最高です。片づけた後はアイスバー。マナマナへ行きました。今日は抹茶アイスを食べました。
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 お蔭で癒されました。父と家族に感謝です。

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どん曇りの朝です


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 2018年5月26日(土曜日)ですが、2週間ぶりに五台山市民農園に行くことに。途中三石の五台山農協婦人部でブロッコリーを購入しました。
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 雑草引きをしました。自分が植えているのはタイモとジャガイモ。その周りの雑草をこまめに引き抜きます。
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 大崎修二さんからジャガイモを分けていただきました。原池さんからも紫蘇をいただきました。吉本豊明さんが久しぶりの参加です。福谷さんと横田農園長も参加しています。
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 天気図では来週あたりに南に下がっている梅雨前線が上がってくるでしょう。

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「独自の防災計画」と読売新聞報道


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 2018年5月23日の讀賣新聞26面地域面・高知版に「下知地区 独自の防災計画」「高知 南海トラフ被害備え」で高知支局の吉田清均記者が記事を書かれていました。

「被災後のまちづくりの優先順位などをあらかじめ決めておく「事前復興計画」の考え方も盛り込み、「生活や雇用などの相談窓口を早期に設立す準備を整える」「災害時一定期間生活ができ、平常時も使える避難所を増やす」などの項目を入れた。」と記述されています。

 現在全国各地で3000地区にて「地区防災計画」が取り組まれていますが、「事前復興計画」の概念が入れられているのは下知地区防災計画が最初となりました。内閣府の防災白書にも掲載されていますから。

 岡﨑市長は「レベルの高いすばらしい計画を作ってくれた」と話されましたが、今後の問題は、どのように実行し、市民の安心・安全を確保することができるかどうかでしょう。これからがとても大事です。

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2018.05.25

初夏のはりまや橋サロン


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 2018年5月25日(金)は、母(92歳)と一緒にはりまや橋サロンへ行きました。お天気でしたので、歩行補助車で母は行きました。

 谷ひろ子さんのお店で自分たちの分と、娘に送る分の焼き菓子を母は買いました。すぐに100歳体操(介護予防体操)の準備をしますので、写真を撮ることを忘れました。
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 今日は100歳体操は12人の参加がありました。日差しがきついのでテントの下に会場を設営しました。元気で体操しました。
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下知市街地は浮体式人工地盤で守れ


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 南海トラフ地震の被害想定で甚大な被害が出る高知市。県庁所在地で高知県唯一の都市機能が集積している高知市。想定どうりの地震が起きれば、都市機能の回復は出来ないし、人口も激減。再生は不可能です。
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 理由は高知市下知地域の南部地区は「海抜0メートル」の低地に市街地が集積していることと、東西南北河川と海に囲まれた「海抜0メートルの島」であるからです。そのなかに昭和小学校や二葉町もあります。
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 1946年12月21日の昭和南海地震では下知地域は地盤沈下と、液状化現象で土盛り堤防が決壊し、海水が地域に流れ込みました。二か月間地域全体は浸水状態が解消されませんでした。
 
  低地故に1970年の台風10号の豪雨にて内水面氾濫で下知地域は水没しています。

 自然地形の高台もなく、他人様の4階建て以上の鉄筋ビルに地震発生後30分以内に駆け上がらないと町内の木造低層住宅(耐震性はない)に居住する下知地域の住民(多くは高齢者)は、真っ先に犠牲者になることでしょう。

 それが高知県庁も高知市役所も十分に実態を把握し、理解しているのに、ほとんど手が打たれていません。僅かに沿岸部の堤防が「耐震護岸工事」を実施していますが、その工事がすべて完成(後15年後の事)したとしても、低地の市街地である下知地域の浸水が解消になるわけではありません。

 地盤が5M隆起したわけでも、耐震地盤なったわけではないからです。

 では「災害弱者」である高齢者・障害者・乳幼児が下知地域で誰も命を失わない方法はあるのだろうか?

 それは「人工地盤を下知地域全体にこしらえること」であり、「浮体式人工地盤」であり、「耐震中高層住宅の建築」をきちんと事前復興まちづくり計画の中でやれば可能です。
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 実際の人工地盤(浮体構造物)の実物は下知地域にあります。それは堀川浮桟橋です。プレジャー・ボート用の桟橋であり、散策路にもなっています。
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 高知の世界企業である技研製作所のインプラント工法での堤防建設と、浮体式人工地盤を下知地域でこしらえたら、下知地域の住民は皆、浸水から逃れることができ、大きな揺れからも身を守ることができますから。
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 浮体構造物(浮体式人工地盤)が下知を救う(ブログ記事)
 
 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-9ba0.html

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2018.05.24

二葉町自主防災会・役員・リーダー会


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 2018年5月22日ですが、下知コミュニティ・センターにて.二葉町自主防災会(森宏・会長)の役員・リーダー会が開催されました。参加者は16人でした。少なめでした。

 森会長が挨拶されました。議題の説明は西村情報班長がしました。二葉町と7年前から地域間交流(もしもの時の疎開も含め)地域間交流をしている仁淀川町長者地区での「田植え体験」です。説明を荒木副会長がされました。
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「田植え体験、稲刈り体験、脱穀体験を行い、キャンドルナイトなどのお祭りにも参加しています。また長者のだんだんクラブさんも「昭和秋の感謝祭」へ参加してくれています。」

 また今年度の講演・研修会に昨年好評であったロープワーク講座を実施することになりました。また5年ぶりに「防災世帯調査」をおこなうことにもなりました。目的は町民の世帯の動向、とくに「災害弱者」である高齢者の把握と事前対策です。

 また今年から初めて実施されます「二葉町総合防災訓練」は、実施日時は、第1案が10月28日(日曜)、第2案が11月25日(日曜)と決まりました。毎年下知コミュニティ・センターを利用し実施している「下知地区総合防災訓練」を、二葉町単独で実施する予定です。
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 意見交換をしましたが、先の話でもあり、昨年の様子も説明しましたが、意見交換は盛り上がりに欠けました。反省しています。次回は内容を詰めた「役員・リーダー会」にします。

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2018.05.23

ゲバ文字も立て看板も一種の文化遺産?


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 日本経済新聞はユニークな全国紙。経済専門の形態ですが、コラムや特集記事は他の全国紙や地方紙にはない独特の味がありますね。2018年5月20日朝刊の1面のコラム「春秋」は面白い。

「ゲバ字をご存知だろうか。」で文章は始まります。それは「ビラや立て看板に踊っていた独特の書体だ。字形は極端に角張り、闘争を斗争、万歳を万才などと略字で書き、いかにも物々しい雰囲気を伝えていた。中国の文化大革命に登場した「大字報」の影響もあったろう。」とありますね。

当時私はアホな若者であり高校生時代に負け続けていた社会運動に打ち込み卒業できず1年留年して卒業、大学へ入学したのは1973年でした。1968年をピークとする学生運動も衰退局面にありました。学費値上げ反対運動などの集会などがありました。

 サークルの案内や各グループの自己主張は、立て看板に日経新聞の言う「ゲバ文字」で書かれていました。アートな書体なんでしょう。書いていた先輩が「最近の新入りは立て看の字も書けない。デモ指揮も出来ない連中が多い。昭和30年代以降の連中はダメだね。」とか言われていました。「今は昔」のお話です。「伝統」は滅びてしまいました。

 5月には1968年のフランス5月革命がありました。日本でも大学での闘争がありました。アメリカではベトナム反戦運動が展開され、中国では文化大革命。チェコでは「プラハの春」がありました。「かつての若者」であった私も少しだけ現場の雰囲気を味わいましたが、1972年の連合赤軍事件と陰惨な内ゲバが繰り返され、新左翼の社会運動は壊滅しました。
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 京都大学の立て看板も風物の1つ。市当局が景観条例をたてに取り締まる方がおかしい。日経も「京都らしい場所ではないか」と嘆いています。

 価値観は多様であり、多様性を認めることが社会の活力であると思います。全体主義がはびこりますと社会の活力が衰退します。

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2018.05.22

母は毎朝コーヒーを入れてくれます


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 アルツハイマー型認知症と母(92歳)が認定されて今年で10年目です。にこやかに他人様と会話ができても、誰と会話したのか、何を話したのか全くわかりませんから。

 朝食時のコーヒーを入れてくれるのは母のお役目です。いつもの会話です。
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私「お婆さんコーヒーを入れてもらわんといかんけんど」

母「そんなことしたことないきに、入れん。」

私「毎日コーヒーを入れてくれているので・・、。」

 と言い、お湯を沸かすポットとコーヒーカップを母に渡しますと、「スイッチ」が入ります。コーヒーカップに2杯の水をいれます。ガスの元栓を開け、ポットを置きます。

私「お婆さんフィルター。」と言います。

母はコーヒーフィルターをドリップに被せます。

私「コーヒーをスプーンで2杯入れて」と言いますと母はスプーンで2杯分のコーヒーをフィルターで覆われたドリップの中に入れます。
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私「お婆さん グローブ」を言いますと、鍋つかみを右手に入れます。

 ポットのお湯が沸騰しますと、母は鍋つかみでポットを1度流し台の上に置きます。私が蓋抑えのためのチッシュを渡します。

 母はコーヒーの入ったドリップの上にポットの熱湯を注ぎます。すべて注ぐと役目はお終いです。
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 あくまで母の場合ですが、最初は「コーヒーを入れて」と言いますと、私は入れたことがないと拒否します。そこをやんわりと「お湯を沸かさんといかんきに」とポットとコーヒーカップを差し出しますと母にスイッチが入ります。
 
 コーヒーフィルターを出しますと、複雑に折り、ドリップに綺麗に被せます。

 母の場合の認知症はところどころ忘れています。忘れた箇所をケアしてあげれば、の残存している記憶で動き、コーヒーを入れてくれます。
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 つまり母の認知症は「断片をつなげば、昔どうりの動作は可能」であります。
 
 でも認知症は人それぞれ、個性があります。

 東京五輪の前後に母は叔母の貸店舗を借りて喫茶店を開業していたことがありましたから。それを思い出しているのかもしれないですね。50年ほど前の話です。

 写真は毎朝の光景です。

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2018.05.21

丸池町に津波避難施設第1号が完成


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 2018年5月20日(日曜)は絶好の好天。朝9時過ぎに丸池公民館へ行きました。丸池町自主防災会(吉本豊道・会長)の防災訓練を見学しました。午前9時半に町内放送で避難開始。緊急地震情報が流れ強い揺れの告知。3分後に高知市に大津波警報が発令されました。丸池町には30分以内に津波の第1波が到達します。
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 めいめいに自宅から徒歩で避難します。今回の避難コースは丸池町内を一旦幹線道路まで出ます。セブンイレブンとコスモスの間の道路を歩行し勤労者交流館へ避難する訓練をしました。自宅から徒歩で何分で到達するのか。皆それぞれに見極めています。、
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 丸池町と東弥生町住民は自宅から出発し、丸池町内にこのほど完成した勤労者交流館屋上への外階段下への避難訓練です。階段下で受付を済ましたら、外付け階段を昇降しました。早い人で自宅から8分。遅い人で20分かかったそうです。
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 さっそく外つけ階段を皆黙々と登ります・階段1段の高さは13センチ以下のように思いました。とても楽でした。(うちの自宅は23センチですから全然昇降は楽です。)
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 この施設は天井が高い。RC2階建てですが、屋上の高さが9メートルあります。低地で低層住宅ばかりの丸池町に津波避難ビル第1号が完成しました。階段を丸池町住民の後をついて登りました。

 意外に広い。室外機などの機器類は金網に囲われていますし、3Mぐらいの高さのフェンスがありますので、屋上からの転落予防措置もしています。
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 高知市の年度末予算を活用して外階段とフェンスを取り付けました。地元市議の高木妙さんが奔走し、平成29年度の高知市予算から工面し完成しました。
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 屋上見学後、吉本豊道丸池町自主防災会長の挨拶、坂本茂雄下知地区減災連絡会事務局量の挨拶、高木妙高知市議の挨拶、中山瑞穂高知市地域防災推進課(下知担当)からも挨拶がありました。

 総勢60人で丸池町に完成した津波避難施設を確認した事でした。ただ残念なのは多くの町民が参加されているのに丸池町内会の会長以下の役員の姿がありませんでした。こうした協働事業には次回から参加しないといけないでしょう。

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2018.05.20

市長と一緒に取り組む下知地区防災計画


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 2018年5月18日(金)の高知新聞21面の海路佳孝記者の署名入りの「べた記事」は大変大きな意義があると思いました。

「住民策定の防災計画提案」「高知市下知 市長「一緒に取り組む」と見出しにあるからです。上意下達式の地域防災計画が、住民と基礎自治体職員が真摯に議論し、意見交換してつくりあげた下知地区防災計画を真摯に真剣に検討すると明言されました。

「岡﨑市長は、今後開く市防災会議に諮ったうえで、下知の計画を市地域防災計画に位置付けたいと表明。「計画をいかに住民1人1人に意識してもらうかが大事」と話した。」とあるからです。

「下知の計画は被災後に早期復旧。復興を進めるため。日頃から「共助」の関係作りを進める「事前復興計画」を盛り込んだのが特徴。

 内閣府のモデル地区44カ所のうち、事前防災の観点を取り入れたのは下知地区が初めて」であります。この社会的意義はとても大きい。
 
  今回の市長への提案は、岡﨑誠也高知市長と、高木妙市議会議長も同席しています。市長と市議会は「市政の車の両輪」です。市民の代表者である市長と市議会が真摯に真剣に今こそ真摯に南海地震対策に取り組む指針として「下知地区防災計画」「事前復興まちづくり計画」が最大活用されることを、下知地域住民として強く要望したいです。

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2018.05.19

父・吉正を偲ぶ


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 父が亡くなって1週間が経過しました。仏教用語では「初七日」と言うそうです。葬儀の時に僧侶に「初七日の法要」も一緒にお願いしましたが、改めて現在社会ではそうしないと無理であることが、当事者になって初めてわかりました。娘は昨夜帰りました。

 月曜は通夜、火曜は葬儀。水木金は父の「死亡届」をいの町役場町民課へだし、後に年金事務所へ行きました。法務局と税務署の手続きは来週以降です。せわしいし、役場の対応には爆発寸前です。

 従来FBやブログには「父・日赤・ICU]とか「父・いずみの」とかいう入院経過の報告や、在宅介護の様子もその都度記録のために書いていました。「初七日」でもあり、父の略歴や死因なども書いてみたいと思います。

 父の病歴と死因について

 若い時代に結核で長期の療養生活した以外は、よくお酒を飲んでいましたが、病気らしい病気はしませんでした。父は小柄でしたが元気者でした。(結核は戦前の日本では死亡率1位の国民病。亡くなる人が多い中で生きのびました。)

 10年前の2008年9月8日、89歳の時に前日に自分で車を運転して錦山CCにて1ラウンドゴルフをし、翌日昼食時に倒れ近森病院へ緊急搬送されました。脳血管障害が疑われていましたが、血管に損傷はなく原因がしばらくわかりませんでした。

 腎臓に大きな負担を与える造影剤の使用が打診され家族として許可しました。硬膜動静脈ろうという脳の静脈の異常が発見、開頭手術で無事に除去され、身体麻痺もなく無事に退院できました。しかし腎臓に大きな負担がかかり慢性腎不全になりました。

 主治医の横田哲夫先生から、腎臓専門医の植田一穂(いっすい)先生をご紹介され、透析治療することなく在宅療法で頑張っていました。「減タンパク食」、「適度な運動「点滴治療」でした。週に5回介護予防通所リハビリに行き、週に1度はゴルフ練習場へ行き、125発のボールをゆっくり打っていました。(最後に行ったのは昨年の10月28日でした。)
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 今年の1月19日に植田医院へ行きました。利尿剤が利かなくなり植田一穂先生の連絡で高知日赤病院に緊急入院しました。緊急透析を2回行いました。70日間入院して。3月29日にいずみの病院に入院しました。腎臓治療を見守りながらリハビリに力をいれていただきました。

 父が亡くなる前日に昼食前にリハビリをして覚醒した後に、入浴した後にゼリー食を自分でスプーンで食べていました。また明日海の帰りに来ると言って父と別れました。亡くなった当日は上天気でしたので、私は朝から夜須の海でセーリングをしていました。その間に危篤状態になっていたようです。防水仕様の携帯電話は海の上にも持参していましたが、風が案外強く着信音は聞こえませんでした。海から上がって携帯を見るとたくさん着信記録がありました。片付け(1時間程度かかります。)て自宅へ戻り家内と母と駆け付けた時(午後3時には、父は亡くなって冷たくなっていました。死亡時刻は13時25分。死因は老衰でした。

 当日父は私に心配をかけず海で遊ばせてくれたのです。父に感謝しています。今思えば父は10年前に亡くなっていた可能性が大でした。仕事こそできませんでしたが、私たちを毎日見守っていただきました。父には感謝しかありません。

父・西村吉正の略歴

大正8年(1919年)6月24日、現在のいの町大内(おうち)で8人兄弟の2男として生まれる。旧制高知工業土木課を卒業後、朝鮮総督府に鉄道技師として勤務。測量の仕事をしていました。

 程なく徴兵され、朝倉44連隊に入隊。訓練中に結核を発症。除隊し自宅療養しました。結核は当時「不治の病」とされていましたが、父は我慢強く静養し完治しました。
 完治したところで2度目の招集を受けました。運よく幹部候補生試験に合格し、内地で訓練している最中に終戦となりました。(落ちた人たちは沖縄戦に動員され殆どが戦死したと聞いています。)

 終戦後に高知県庁土木部に勤務し、神田川改修工事などを担当していたそうです。ある人の紹介で南国パルプ工業へ入社、製紙会社の営業職として長年勤務しました。その間春子と結婚しました。測量技師と言うキャリアを捨て、製紙会社の営業職として1からキャリアを積んでいきました。

 昭和41年、48歳の時に株式会社エヌシー商会を創業しました。当時は55歳定年の時代ですから思い切った決断でした。それから50年。会社は大きくなりませんでしたが、小さくても維持してきました。

 若い頃は身勝手な私でしたが、2011年9月からの父の在宅介護を7年間したおかげで、他人を思いやる心が自然に芽生え、お困りの高齢者がいたら見知らぬ人でも駆け寄り声がけし、体が自然に動き手助けができるようになりました。介護状態になっても人間の生き方あるべき姿を教えていただいた父に感謝しています。

病人でも介護状態でも、人を導くことができる
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 慢性腎不全で身体機能が衰えて来始めたのは2011年頃。介護認定を受けました。そして最初は週に1度、介護予防通所リハビリ施設へ行くようになりました。やがて2回になり、3回、週に5回通所し、週に1度は父の大好きなゴルフ練習場へ連れて行きました。
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ステージ4でしたが、透析をすることなく在宅療法「減タンパク食」「適度な運動」「水分補給」「点滴治療」で植田医院で8年間治療を行い頑張って来ました。

 元気な父でしたが、昨年11月頃から少し歩くと息切れ状態になり、心不全と言われるようになり、自宅での階段生活がきつそうでした。

 父の歩行介助や、排泄介助、入浴介助もしました。介護体験は貴重です。やることで人としての思いやりが出来るからです。していなかったら「身勝手な人間」で終わっていたでしょう。政治家や高級官僚は、国民の「道徳教育」などと偉そうな事をのたまっていますが、介護体験をしたころがないからアホーな事を言っているのです。

 2011年9月から6年8カ月の父の介護でした。いろんなことを学びました。父に感謝です。医療関係者や介護関係者の皆さんにも感謝以外ありません。

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あっという間の1週間でした

 父(98歳11か月)が死去したのが先週の土曜日。海の散帆の最中でのこと。そのまま病院から葬儀会館へ夫と一緒に移動。土日は同じ部屋で寝ました。子供たちも集合し土日は父を交えての懇談会。これが1番良かったです。

 月曜日はお通夜。火曜日は葬儀。火葬場へ。水曜と木曜は父の死亡届でいの町役場へ行きました。半日がつぶれました。金曜日は予約して年金事務所へ。役所関係は法務局と税務署が残っています。とても面倒です。
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 大騒ぎした「マイナーバー」とやらは役所で使用することはなかった。「死亡届」を役場へ出せば、後は全ての手続きが出来るようにすべきだろうに。AI(人工知能)で役場職員(とくに町民課)などはすべて代行できるのではないか。そうすれば今回のようなミスもいないはず。「日本は遅れている」と中国人に馬鹿にされるはずです。

 昨日の金曜日、母(92歳)を連れて、はりまや橋商店街サロンへ行きました。娘は当日夜行バスで帰ると言うので土産を買うので一緒に行きました。いつも駐車bできるコインパーキングが満杯。はりまや橋地下パーキングへ行きましたが満杯状態。高知橋付近しか空きがない状態でした。

 しかも方向を間違え反対方向へ歩きました、ようやく気が付いて歩きましたら、母(92歳)がへばってしまいました。はりまや橋商店街へ到着したら母はへばっていましたので100歳体操はしないことに。
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 谷ひろ子さんのお店でコーヒーとチョコケーキを食べました。ひと休みして帰ることにしました。駐車場まで行かず、小谷陶器店前で娘と2人で待ってもらうことにしました。思えば初めからそうすれば母は100歳体操ができました。

 役所関係の届け出の煩雑さといい加減さで、冷静さにかけた私の責任です。母は元気です。娘は昨夜はりまや橋バス停から夜行バスで帰りました。
 
  自宅へもどりいの町役場町民課の応対のいい加減さを思いだし「瞬間湯沸かし器」状態に。いつまでも自爆し続けるので家内が呆れ、さっさと寝てしまい放置されていました。」
 
 一晩寝て落ち着きました。今朝は朝8時過ぎに事務所の気温は25度を超え、湿度は61%。風が強い。寒冷前線が通過し、「西高東低」型の気圧配置なので風が強いでしょう。「海の散帆:へ行きたいところですが、雑務がたくさんあり、仕事もたまっていますので今週末はおとなしくしています。

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葬儀関係より死亡後の手続きが大変


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 2018年5月12日に父(98歳11月)の葬儀は無事終了。火葬場での父の骨拾いで葬儀関係はすべて行事は終了しました。葬儀屋というプロが介在していますので、経済的な心配はありますが、心労はありませんでした。

 むしろ大変であったのは「死亡届」を役所へ出し、名義の変更手続きでした。父はいの町の住民。いの町役場へ行き手続きしました。16日と17日の午前中がつぶれました。父の名前と母の名前を何10回も書きました。印鑑も押しました。委任状と言うこと9で私の名前も何10回も書きました。

 役場の手続きだけで8か所ありました。18日(金)は予約したうえで高知東年金事務所へ行きました。手続きの煩雑な事。要は父の年金を母が遺族年金として受給するということだけの事ですが、何度説明を聞いても理解できませんでした。難しい。

 2時間かかって説明を受け何とか書類を指示どうり作成(名前を書くだけでしたが。)しました。

 役場でいただいた所得証明書は死亡した父のものであり、支給者になる母の証明書が必要でした。役場のミズです。冷静に考えたら私も間違いに気付くべきでした。

 もっとも役場で頂いたチェック表には厚生年金の手続きの事は何も書いていないので、役場の職員も理解していなかったと思われます。年金事務所からいの町役場の町民課へ電話しましたが要領を得ません。昨日応対した職員が誰なのか確認しなかった私がアホでした。

 電話に出た職員お名前を聞き出し「今から行くまで帰るな。まちよれよ!!」と言いました。役場の職員と話しているうちに腹が立ってきました。こちらが電話しているのに掛け直すこともしない。平気で何分も待たせて気のない返事。絶対に今後は許さんと思いました。

 見かねた年金事務所の人が電話近くへ来られ、変ってくれました。FAXで申請書を送付してもらい、後日母の所得承継所を年金事務所へ送ってくれることで決着しました。

 年金事務所の応対は100点。いの町役場町民課の応対は20点で赤点です。地方公務員も最近はレベルが向上しているものであると「油断」し信用した私が馬鹿でした。
 
 今後公務員と応対する場合は必ず所属部署と名前を聞き出し名刺交換します。そうしないと「時間ドロボー」を役場にされますから。追いかけてきて「固定資産税を来年に払ってほしい:」と署名させや職員の厚かましさは絶対に許せません。相続もまだきまっていないのに。わたしの人好しに付け込まれました。知識がなければ馬鹿にされた実例でした。
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 年金事務所で2時間応対された職員は最後に名刺を頂きました。ご不明な点があればいつでも連絡下さいと言ってくれました。天地の差でした。

 「民主党政権時代に長妻さんが厚生労働大臣をされた時に、年金制度改革のなかで、1人1人の職員が名札だけでなく、来訪者に名刺を出し応待せよとの命令を出されたからです。」と言われました。民主党政権も「いいことも」されたんだと感心しました。
 
 公務員労組の言いなりになってろくでもないと思っていましたが、いいこともやってました。キャリアの官僚のいい加減さは酷いものですが、地方公務員の「いい加減さ」を今回思い知らされ、同時に自分の馬鹿さ加減と人好しさを反省しています。

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2018.05.18

下知地区防災計画を高知市長に提出


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 2018年5月17日ですが、高知市役所本町庁舎3階特別応接室にて「下知地区防災計画を高知市長に提出」しました。出席者は下知地区減災連絡会森宏会長、西村副会長。皆本副会長、坂本事務局長、国見。会計、高木市議会議長(下知住民)でした。

 高知市側は岡﨑誠也高知市長、吉岡副市長、黒田災害対策部部長、山本副部長が円卓テーブルに座りました。
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 最初に森会長が挨拶しました続いて「下知地区防災計画書」の概要を坂本茂雄事務局長が説明しました。そして森宏下知地区減災連絡会会長から、高知市防災会議議長である岡﨑誠也市長に提案書が渡されました。
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「内閣府で策定された地区防災計画は住民主体の計画。災害対策基本法が改正され、地域防災計画に反映をすべきとも言われていますことは正直予測していませんでした。

 全国に多くの地区防災計画があるでしょうが、下知地区のように多様な意見を集約し、深堀している地区防災計画はないと思いますね。」とのコメントをいただきました。
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 確認した限りですがテレビ局はNHK高知放送局とRKC高知放送が来ていました。新聞社は高知新聞と読売新聞は来られていました。他の新聞社も来られていましたが確認は出来ません。
 
  懇談会終了後、一気に森宏会長への囲み取材がありました。記者クラブの当番社が代表質問されていましたが、地区防災計画を何たるかを学習していないことが明らかな質問をしていたことが残念です。
  
  報道関係者も超ご多忙なことでしょう。しかしながら事前取材を今後はきちんとされてください。こちらも聞かれたことには誠意を持って回答しますので。
  
   今後は潮江地区や、高須地区のように下知地区同様に海抜の低い低地の井市街地や朝倉や旭のように浸水しないだろうという被害が軽微な地区や、土佐山、鏡地区のような中山間部でも地区防災計画を議論していき、高知市全域に広まることを期待しています。
   
   (意見交換会の内容についての詳細は、坂本茂雄さんのFBやHPを閲覧下さい。

 2015年に内閣府に「下知地区防災計画」をエントリーしていただきました山中晶一係長。多方面でサポートいただきました。山本美咲課員は、とても熱心に熱くトリオ組んでいただきました。転勤や移動で、今日の場にいないことは返す返すも残念でdす。

 下知地区防災計画はこれで「終」ではありません。今後「1人の下知地区の人間は死なない」ことを大前提に計画を実践していく覚悟です。

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2018.05.17

YASU海の駅クラブ・役員会


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 NPO法人YASU海の駅クラブの役員会が、2018年5月17日に、同クラブ多目的室にて行われました。定数10人の役員のうち7人が出席し、3人が委任状出席で全員出席し役員会は成立しました。

 主な議題は5月27日(日)に開催されます平成30年度総会に提出する配布資料の審議が行われ、訂正事項を付加して採択されました。

 その他計画事業の進捗状況の経過報告がされました。指定管理者への報告資料も審議され採択されました。
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 役員会の最後に、5月12日(土)に死去した父吉正へのYASU海の駅クラブとしての参列とご香典を頂いたことへの感謝を述べました。当日海の駅クラブのハーバーから出艇し、赤岡沖で帆走していました。着艇後に事務局の方が家内の電話を取り次いでいただき父の死去を知りました。お礼を申し上げました。

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2018.05.15

ほのぼのとしたお通夜でした

今日は義母の命日

 今朝の事務所の気温は21度。湿度は62%です。お天気は快晴。天気図でもダブルの高気圧に覆われ腫れが続きます。[夏日」になりそうです。

 今日は父(98歳11月で死去)の葬儀です。義母(享年70歳)の命日でもありました。沖縄が日本に施政権が返還された日でもありました。

 義母の葬儀は5月17日頃でしたが、前日ろうそくの火を絶やさないとのことで、義母と一緒に同じ部屋で夜を明かしました。

 朝葬儀社が来てそのまま火葬場へ。骨を骨壺に納め告別式をしました。終了後識名にある一族のお墓に納骨しました。

 沖縄は5月はもう夏なのですぐに火葬にしました。22年前のことですが覚えています。当時高校生だった息子と小学生だった娘に聞きましたが、覚えていないとのことでした。

 昨夜の父のお通夜にご多忙の中参列していただきました皆様には御礼申し上げます。父は満年齢は98歳と11月ですが(6月が来れば99歳)、表記は100歳でした。

 ほのぼのとしたお通夜でした。病院で管に繋がれ苦しみぬいた最期ではなく、普段どうり眠りについての安楽な父の最後のようでした。顔も実に安らかでした。

 今日は葬儀ですが、ほのぼのと実施できるいように努力します。人世に区切りをつける意味では最高の終末を父は迎えることができました。それは良かったと思われます。

 父も家族も悔いは全くないと思いました。

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二葉町自主防災会・役員・リーダー会のお知らせ

二葉町自主防災会・役員・リーダー会のお知らせ


                    二葉町自主防災会会長 森宏

 2018年度の二葉町自主防災会の役員・リーダー会を下記日時にて開催します。とても大事な会なのでご参加ください。

(日時) 2018年5月22日(火曜日) 午後6時半より

(場所) 下知コミュニティ・センター4階多目的室

(議題) 2018年度二葉町自主防災会活動事業案の説明と意見交換

 
 二葉町自主防災会も結成して11年目になりました。多様な事業や研修、訓練をやってきました。

 今年は二葉町内にある下知コミュニティ・センターの全館を利用して、二葉町町民による二葉町一斉避難訓練・避難所開設訓練・運営訓練を行います。

 炊き出し訓練も行い、参加者で美味しい昼食をこしらえて食べます。お茶やコーヒーも沸かし、お菓子を食べながら参加者同士の懇親を深める目的です。

 二葉町町民皆が当事者意識を持ち、万が1の南海トラフ地震が起きても、町民の誰1人亡くなることも怪我することもないようにしたいのです。

 二葉町町内をあげての取り組みをしたいと思っています。

 二葉町自主防災会の役員・リーダーの皆様や二葉町町内会の役員の皆様、関心のある町民の皆さんは是非ご参加ください。

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2018.05.14

前途多難な高知市防災士会連絡協議会


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 2018年5月10日(木曜)に午後6時半から高知市防災士連絡協議会(宮川隆彦会長)総会が高知市総合あんしんセンター3階大会議室で開催されました。平成29年度事業報告、収支決算報告、平成30年度事業計画案、収支予算案が審議される予定でした。

 「予定でした」というのは「あろうことか」総会は定数に足らず龍会になりました。会員の過半数の出席で総会は成立します。現在高知市防災士連絡協議会は会員数は288人。5月10日に出席した会員は委任状出席を含めて135人。144人が定数ですから9人不足し総会は流会すると言う異常事態になりました。
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 執行部の説明を聞きますと、案内状を出しても返事がないという会員が多い。また288人の会員のうち昨年の総会で決定した年会費1000円を支払っている会員は167人いるが、121人が未払いです。
 
 審議は出来ないので出席者の中から意見が出ました。
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「規約がどうだかわかりませんが、会費を払った会員は167人います。うち135人が出席しています。80%出席しています。会費未納の会員は除籍すれば総会は成立するとみなしていいんではないですか。」

「規約では会費を3年間未納の場合は退会とあります。うっかり忘れているる人もおられるでしょう。」とのことであっても現行の規約では会費未納者でも会員。

物言う人たちがいて活発な意見は出ました。

 結論は次回の総会(6月開催予定)で会員の半数が集まらなければ、実質高知市防災士連絡会は崩壊します。前途多難ですね。
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 伊藤雅章さんや砂田ひとみさんがリードされている今治市防災士会とは格段のレベルの差を感じますね。

 今治市防災士会  

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/cat61876293/index.html

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2018.05.13

市民が考案した浸水対策グッズ

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 高知市高須地区で(南国スーパー高須店近く]にて、ロープや救命胴衣を販売なさっている臼井さんが、自ら考案した「浸水時に使用する手軽に出来る浮体物」を自作し届けていただきました。

 臼井さんは「マリンショプturibune」として楽天やアマゾンでマリン用品をは通販されています。

 マリンショップturibune  https://www.rakuten.co.jp/auc-turibune/

 先日お店でアイデアをご披露いただきましたが、今回は「実物」を持参いただきました。

1)保冷箱(3センチ×26センチ×14センチ)を赤くペイントしビニールテープで張り付けています。蓋は接着剤でくっつけていて、箱の中に空の500CCのペットボトルを入れれば浮力が増すとの事。100キロの浮力があるだろうとのこと。
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2)2Lのペットボトルを接着剤とビニールテープで貼りつけた浮体物。
  80キロの浮力があるとのこと。硬めのペットボトルが望ましい。

 いずれも手軽に(無償で)確保できる日用品を使用し、ローコストでの浮体物です。むろん体に密着するライフジャケット(救命胴衣)がベストですが、次善の策として作成すればとの提案でした。
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 南海トラフ地震で地盤が沈下し水没する下知地区。こうしたグッズをこしらえ家や車に備えておくのも浸水対策の1つでしょう。

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2018.05.12

父・いずみの・521


 2018年5月12日ですが、夜須の海で帆走していたので、全く携帯への着信に気が付きませんでした。風が良く赤岡沖まで帆走、ハイクアウトの連続で海での帆走を堪能させていただきました。

 ランチタイムに着艇しますと多くの着信がありました。家内と息子、父の入院している病院からでした。いずれも海の上にいて、しかも風が強かったので気がついても対応できませんでした。

 1月19日に腎不全で高知日赤病院へ緊急入院し父(98歳)ですが、今日の午後12時31分にいずみの病院で亡くなりました。昨日は昼食時に起床し、リハビリをしてもらい、入浴もして、昼食のセリー食を自分で積極的に食べていましたから。

 亡くなった時間帯は海の上にいましたね。息子が駆けつけていて臨終に立ち会ってくれていました。片付けして自宅へ戻ると3時に。葬儀屋に連絡して家内と母と3人で病院へ行きました。

 息子が駆けつけてくれていました。当直医に話を聞きました。「午前10時ごろから調子がおかしく酸素吸入しました。心臓マッサージもしましたが午後12時31分に停止しました。腎臓も腎臓も弱っていました。死因は老衰です。」とのことでした。

 父はいつものようにベットに寝ていましたが、額に触ると冷たくなっていました。
従兄弟に電話で連絡しました。「うちも母(叔母100歳で逝去)が前日に元気でねと別れて翌日亡くなった。誰も会えなかった。」ということでした。

 父には今日海へ行かせていただきました。安らかな表情でした。父には感謝しています。回復を前提に来週病院関係者との意見交換会が予定されていました。人の命には限りがあります。父は精一杯生きてくれました。感謝以外に言うことはありません。

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«海の散帆を堪能しました。