2019.08.25

映画「ロケットマン」を見ました。


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 秋雨前線(?)が出来たのか、今日は「海の散帆」へ行けません。この先1週間も悪天候が続きますね。今日は諦め、映画鑑賞という芸術文化活動をしました。

 2019年8月23日(土曜)ですが、家内の薦めで映画「ロケットマン」(デクスター・フレッチャー 監督作品・英米合作)を大嫌いな禿鷹スーパーのシネコンへ見に行きました。ロックスターであるエルトン・ジョンの幼少期からスーパースターになり、挫折もあり、立ち直る半生の物語の映画でした。
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 わたしの印象では奇妙な服装をしたロックスター。「僕の歌は君の歌」とか「黄昏のレンガ館」などファンでない私でも知っている曲があるのでスーパースターです。

 幼少期は英国空軍パイロットで厳格な父と母が折り合いが悪く、幼少期のエルトン・ジョンは両親の愛に恵まれず、孤独な少年。見ていて気の毒でした。
彼を暖かく見守る祖母が、音楽の才能を見出し、11歳の時王立音楽学院に入学しました。6年間いたそうです。
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 1947年生まれですから、多感な時期を、ロック音楽興隆期を過ごしていて、音楽の素養と天才的な音楽の才能が開花していきました。「作曲家募集」の張り紙を見て音楽事務所に採用され、作詞家のバニー・トービンとの運命的な出会いをします。

 はじめはライブハウスのバックバンドのピア二ストでした。黒人アーティストから「過去を捨てて音楽で勝負しろ。名前も変えろ。」というアドバイスが転機になり、バニー・トービンが作詞した詩に曲をつけたのが「僕の歌は君の歌」(1970年)でした。

 それからバニー。トービンとのコンビでヒット曲を次々と出し。1970年代はアメリカツアーで大成功。アルバムもヒットを出してスーパースターになりました。

 作詞家のバニー・トービンは、親友であり、ビジネス・パートナーでありましたが、エルトン・ジョンの癒しの対象(同性愛者)ではありませんでした。今の時代でこそ同性愛者は市民権を西欧では獲得していますが、当時は蔑みの対象であり、忌嫌われていましたから。

 お金目当てに近づいてくる人間とトラブルを起こし、心労から薬物中毒、アルコール依存症になっていた時期もあったようでした。唯一心情を深く理解した女性が収録スタッフの中にいて、結婚もしましたが、異性を愛することはできず離婚してしまいました。
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 救いを求め母親に電話しますが「同性愛者は一生孤独で幸福になれない。」と突き放されます。いくらなんでも酷い言葉を実の母親が言うもんでしょうか。

 治療施設でカウンセリングを受け、立ち直り、以後現在に至るまで28年間アルコールも薬物も断ち切ったそうです。エイズ治療のために寄付をされているとか。「買い物依存症」だけは今でも治っていないそうです。
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2019.08.24

母ははりまや橋商店街サロンへ行きました。


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 2019年8月23日(金)ですが、午後から母(93歳)と一緒にはりまや橋商店街サロンへ行きました。今日は雨模様でしたので、歩行補助車は積んでいきませんでした。

 最初に魚の棚商店街のコロッケ屋さんで夕飯用のコロッケを購入しました。今日はいつも焼き菓子を買う谷ひろ子さんのお店がお休み。隣の山岡さんのお店もお休みです。夏休みだそうです。
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 今日の活き活き100歳体操は9人が参加していました。蒸し暑い中水分補給しながら頑張っていました。母もマイペースで参加していました。母にとって「椅子からの立ち上がり運動」の連続はきついので半分しかやらないようにしています。
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 終了後はコンビニでプリンを購入し母と一緒に食べました。一休みして帰りました。

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2019.08.23

高知県政を投げ捨てた尾﨑正直氏


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4選を目指すと思われた尾﨑正直高知県知事。知事選挙には立候補せず、次期衆議院選挙で高知2区から出馬し、国政を目指すという。「県政を放り投げて国政で何をやるのか・」正直わかりません。

私の評価基準は高知県が発生すれば甚大な被害を受けるであろう南海トラフ巨大地震対策。尾﨑知事の功績は、「国の支援で沿岸部に津波避難タワーをこしらえたこと」と、「浦戸湾3重防護の堤防を今後こしらえるだけ」です。

現状では高知県民の4万人が亡くなり、7・4万戸の住宅が必要ですが、県の仮設住宅とみなし仮設を合わせて2・3万戸しか確保されていない。4・1万戸が足りない。1世帯2人として災害後10万人を超える県民が、高知県内で避難生活ができません。(つまり15万人の県民が県からいなくなります。)

更に県都高知市の市街地は、海抜0Mから2mの地域に13万人が居住しています。県都が南海トラフ地震後甚大な被害を受けるのは高知市と徳島市だけです。尾﨑氏は、「その解決策を何もしないまま高知県政から去ります。」。国政で積み残した課題をやってくれるのでしょうか?

国政選挙(衆議院選挙)と県知事選挙とは別物です。高知2区と言えば自民党は山本有二さんがおられるし、小選挙区で山本氏を破った広田一氏がいます。尾﨑氏は初回の選挙こそしたものの、2回目、3回目は無投票でした。無投票という事は選挙態勢が出来ていません。自分を支持する地方議会の議員がいるのでしょうか?山本有二さんは前回小選挙区で広田さんに負けたことで捲土重来で選挙区を地道に巡回されています。支持者の結束も固い。

県知事選挙では圧倒的に強かった前知事の橋本大二郎さん。2007年8月に県知事不出馬を表明。入れ違いに尾﨑さんが県知事になりました。2009年の総選挙で、橋本さんは無所属で出馬しましたが、自民党の福井照さんに敗れました。知事選挙と国政選挙は違います。

尾﨑さんは橋本さんのように圧倒的な人気があったわけではありません。まして2区の捲土重来を目指している山本有二さんを押しのけて自民党公認で出馬することは難しいし、よしんばそうなったら、「判官びいきで」山本さんを支援する自民党関係者は多いと思います。自民党分裂となれば、現職の広田一さんが優位になります。

尾﨑さんの国政への意欲はわかりますが、「ろくに南海トラフ地震対策をしなかった」県知事です。今のままでは高知県内で11万人の県民が避難生活が出来ないし、高知市の13万人が浸水地域で孤立無援になり、生活再建は容易ではありません。私たち二葉町が取り組んできた広域連携(仁淀川町との疎開を前提にした交流)に対して、何らの支援も施策もしませんでした。政治家としての期待値はなにもありません。

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2019.08.22

大きな痛い出費

 


 父が2000年に購入した今や廃車になっている車に乗っています。2008年に父が脳血管障害で倒れ、以後車には乗れなくなりました。8年間で3万キロ乗っていませんでした。その後は仕事に両親の通院時などに私が乗りついて、ようやく15万キロぐらい乗りました。
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 9月20日が車検です。車屋さんの営業の人が来られました。「勝手言いますが、9月は10月からの消費税増税の関係もあり車検が大変混んでいます。8月30日にやらせてください。古い車なので見積もりを先にさせてもらいます。」と言って点検工場へもって行きました。
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 翌日営業の人から見積書を見せていただきました。仰天しました。車検代が56万円という見積もりでした。「主な理由はハンドル周りが全部だめです。パワーステアリング関係が取り換えが必要。その部位からオイル漏れもしています。変えないと車検に通らないですから。」
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 2年前は15万円ぐらいでしたので3倍強の金額に、へたりました。この際新車を思い切って購入するか、56万円払い車検を受けるか。どうするのかの決断を2日以内にしないといけないです。


 


 理由は10月からの消費増税の関係でしわ寄せも出てきています。車がどんどんなくなっているようですから。


 


「消費税が増税すると言ってもうちは関係ない。ものを買わないから。」と高をくくっていました。まさか「20年目のクラッシック・カー」が、ご臨終寸前とは想定外。


 


 思わぬ出費に頭をかかえています。そういえば事務所のエアコンも32年目。冷蔵庫も20年目。4階のエアコンは壊れています。「クラッシュ」するときはいっぺんに来ますから。


 


 地方の人間には「車は必需品」。乗らないわけにはいかないですからね。

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2019.08.21

伝わらなければ、人は救えないのではないか

 今年で自宅周りの地域限定の地域防災活動をやり始めて、11年前になりました。「地区避難ビルの指定」や「町内の防災世帯調査」、「仁淀川町長者地区との疎開を前提とした地域間交流」、心ある企業家と高知市を繋いだ「蛍プロジェクト」など話題をいくつかやってきまてきました。

 下知地区の有志とともに2015年から3年間取り組んだ「下知地区防災計画」も2017年に仕上がり、高知市長に提案し、高知市の地域防災推進課のホームページに掲載されました。

 http://www.city.kochi.kochi.jp/soshiki/12/sitasirutikubousaikeikaku.html

(高知市 下知地区防災計画)

 個人的な事情を申せば、2008年に父がの脳血管障害で倒れ、緊急入院し、開頭手術しました。同時期母がアルツハイマー型認知症と判定されました。父は検査時の強い造影剤の影響で慢性腎不全になりました。母の認知症も進展していきました。2011年から「ダブル介護」「老・老介護」状態になりました。父は10年在宅で生存し、昨年享年100歳でなくなりました。母は父の死にショックを受けることなく元気で生活しています。

 現在も母の在宅介護があるので活動は制約されます。町内には超高齢者も多いし、体に障害のある人も多い。古い耐震性のない木造住宅に多くの住民が住んでいます。

 11年間活動してきて「下知地域は安全になったか?」と言えば、全然安全になってはいません。下知地域が5M土地がかさ上げされ、耐震地盤が出来たわけではありせん。事前に災害公営住宅が出来たわけでもありません。

 他の地域の防災会や行政職員からも、ときに「下知は進んでいる」「意識が高い」と言われています。私は全然そうは思いません。私も含めた下知の住民の危機意識は薄く、災害は「他人事」なんです。

 更に深刻jなのは、防災活動に全く関心を示さない住民が、若い世代、現役世代に多いことです。最近紙媒体の「二葉町防災新聞」を作成し、こう記事に書きました。

「八年前の東日本大震災では、町内の防災訓練に参加されていた人は100%助かりました。
 
 町内会活動を無視し、無関心な人たちは八〇%が亡くなりました。ご近所の人たち同士声かけあい、全員が参加しましょう。炊き出しでの昼食や、お菓子を食べながらの懇談会もします。

 町民同士が、ご近所が声を掛け合い「ロープワーク講座」「避難所開設・運営・体験訓練」に参加しましょう。
 防災備品がどこにあるのか。参加者全員が確認しましょう。」

 と10月27日(日)の二葉町総合防災訓練への参加を呼びかけました。はたして何人の住民が「わが事」として参加いただけるのでしょうか?正直自信がありません。

   表現が稚拙だと伝わらない

 ともすれば自分だけがテンションが上がり、他人には伝わりません。きっと発言が「ひとりよがり」なんでしょう。ではどうすればいいのか?

 その答えは今は持ち合わせしていません。なにか別の情報伝達手段を考案し、やってみたいと思いますね。

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2019.08.20

二葉町総合防災訓練ポスター


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 2019年10月27日に下知コミュニティ・センターにて「避難所開設・運営・体験訓練」を行います。昨年に続いての町内会単位の訓練です。近隣の若松町や稲荷町も参加いただきます。

 ポスターは関東でお絵かき職人をしている子供に制作してもらいました。準備はまだしていません。内容も詰めておりません。9月に入ってから検討会を開催したいと思います。

 7月に体験した今治市防災士会主催の研修会「避難所開設訓練」は大変参考になりました。

 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-f3b770.html

 「レベルの高い」訓練よりも、より多くの住民が「わが事」のように参加いただくことが、大事です。参加される人が固定化されているようで、それがもどかしい。

「町内の防災訓練やお祭りに参加している人は100%助かりました。町内行事に無関心で参加しない人は80%が亡くなりました。」と石巻市のある町内の町内会長さんの言葉です。それが「現実」なんです。どう伝達していくか。それが1番難しい。伝わらなければ意味がないからです。

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2019.08.19

わらこう夏祭りに下知減災連絡会が出店


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 2019年8月17日(土曜)は、高知市南金田町の藁工アートゾーン・および蛸蔵にて、わらこう夏祭り2019が午後5時過ぎから開催されました。
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 母のケアを家内に引き継ぎ、6時前にわらこう夏祭りへ行きました。

 今回の下知地区減災連絡会のブースでは、「近所の津波避難ビルの表示看板をスマホなどで撮影したことをブースで表示いただいたら、災害用の「ミレービスケット」の缶詰を渡しました。30人の参加者がいました。

 藁工の近くの労働基準局や、ハーモニイ・ホスピタル病院や、昭和小やちより街テラスなどを訪問し、写真を撮影しブースへ見せに来ました。名前と町内を書いていただき、ミレービスケットをお渡ししました。
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 蛸蔵の中ではいろんなゲームや、夜店での遊びがあり大人気でした。

 岡﨑誠也高知市長も訪問されました。その後カラオケを歌って帰られたとのこと。

 普段の防災訓練や講演会では、まず見かけない現役世代の家族連れが目立ちました。防災活動のやりかたも工夫しないといけないと、つくづく思いました。
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 午後9時に机周辺をかたづけて、帰宅しました。他の設備関係の片づけは遠慮させていただきました。

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2019.08.18

夜須で海の散帆をしました。


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 2019年8月18日(日)は、台風10号のために13日に堤防外の藤棚下に避難させていた自分のディンギーをハーバーに出し、点検して異常はありませんでした。それでプライベートに「海の散帆」をすることにしました。

 今日は夏休みなのか、高知大学ヨット部もジュニア・ヨットクラブも姿が見えません。ビーチでは障害者スポーツセンター主催のマリンスポーツ体験が行われるようです。ハンザのヨットと2人乗りカヌーが出艇前の準備しています。
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 慎重にぎ装(ヨットの組み立て)をし、500CCのスポーツドリンクを2本(うち1本は氷結)持参し、海に出ました。波は小さめでしたので、南風が弱く吹いていました。赤岡沖まで行けました。
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 日ざしも強く、積み込んだドリンクは1時間ほどで飲み干しました。あまりに暑いので、2時間半ぐらいでへばりました。
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ヤッシーパークは午後から閉鎖され、延期された手結の盆踊りと花火大会のための夜店のテントが張られていました。阿波踊りと同じく400数十年の伝統がある手結の盆踊り。堤防から打ち上げる花火は綺麗です。久しぶりに体験したいところですが、スーパーでの買い物がありますので、1ラウンドで帆走は終わりました。

 コンクリートのハーバーは日陰もなく暑いです。頭から水を被りながら片づけをしました。


手結の盆踊りと花火大会の準備していました

 2019年8月18日(日)は、毎年8月15日に開催される「手結の盆踊り」が、台風15号のために順延され、今日の開催になりました。

 朝昼食を訪へ買いに行った折、警備の人に「昼からヤッシーパーク前の道路は閉鎖になります。」と聞いていました。
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 ヨットの上から見ましたが、離岸堤の上も打ち上げ花火の筒が何本も置かれていました。

 着艇後、昼食を食べて艇を片付けました。歩いてヤッシーパークへ行き、マナマナでアイスバーを食べました。道路には夜店の人達が準備作業をされていました。
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二葉町自主防災会・新聞とチラシ


二葉町防災新聞・2019年・8月号_NEW
 盆休みを利用して、ようやく「二葉町防災新聞・8月号」を作成しました。内容は7月28日の今治市防災士会との合同研修会の記事です。今年も10月27日(日)に下知コミュニティ・センター全館を利用した「避難所開設・運営・体験訓練」をしますので、大変参考になりました。

 記事になるように今治方式は、避難所開設時の「シナリオ」があります。台本があり「運営側」と「住民側」に分かれ、台詞の読み合わせをします。後で「運営側」と「住民側」が入れ替わります。それぞれの立場を体験できるので良かったです。全員参加型の訓練は楽しい。

 9月4日(水)と25日(水)は、ロープワーク講座です。2回の講座で基礎的なロープワーク(8の字結び・巻き結び。もやい結び)の3種類)を会得しましょう。参加者には練習用ロープとテキストを支給します。

 10月27日(日)の下知コミュニティ・センターでの「避難所開設・運営・体験訓練」び告知もっせていただきました。
ロープワーク講座・2019年9月_NEW
 「今年もやります ロープワーク講座」のチラシです。3年連続の開催となりました。

 特に今年は浸水対策として、浮体物(シーカヤック・ウィンドサーフィン用のボード)を地区避難ビルなどに配備します。地域の万が1の浸水時に浮体物と自分の体をロープで結べば溺死することはなくなるでしょう。

 東日本大震災の体験者の方からも、「ロープ1本あれば、漂流している人を何人も助けることができた。」と聞きました。低地の市街地である下知でこそロープワーク講座は必要です。

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2019.08.17

練習用ロープづくり

高校野球をラジオで聞きながら、9月4日用の練習用のロープをこしらえています。
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200M巻きのエステルスパンロープ(8mm)をビニールテープで印をつけハサミで切ってまるめていまDSCN1995す。
 これにテキストを加え袋にいれば、9月4日の研修用資料は出来上がりです。暑いのでデスクワークはできませんので。
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閖上復興だより56号を送付いただきました。

閖上復興だより 56号ー1_NEW  一般社団法人ふらむ名取(格井直光・代表理事)様より、「閖上復興だより56号」(編集長・格井直光)を送付いただきました。今回もB4サイズの紙面4面に、びっしりと閖上地域の情報に溢れています。


 


 1面は「ふるさと閖上復興まつり」が、6月2日(日)に、閖上公民館と体育館で開催された様子が記述されています。震災直後から交流されている山形県鶴岡市の素人劇団はなみずきの皆さんが招待され来場し、交流を深められました。


 


 閖上地域の人達が出演し盛り上げる手作りのお祭り。記事には「会場に集まった約300人の人達は、次々に披露される出演者に惜しみない拍手を送り、閖上の復興が見え喜びと感謝の表れのように映り、表情には笑みがあふれていました。」


 


「この8年間、様々なイベントを企画・参加見てきましたが、大掛かりな仕掛けがないイベントでもとても和やかに楽しむことが出来ました。閖上の人達が創った手づくりの「まつり」でありました。


 


 そして諸先輩たちの震災を乗り越える気力、閖上を元気にしたいとパワーには恐れ入りました。今後このような住民主体のイベントが多くなり閖上の礎となることに期待したいです。次世代の人達も負けずにふるさと創りに参加していただきたいと願います。」(格井直光)
閖上復興だより 56号ー2_NEW  2面は「変わりゆく閖上のまちネタ」の紹介記事です。「ひまわりプロジェクト」「みんなの卓球バレー IN中央第1団地」「日和山・紫陽花・交流」「お茶会・閖上コミュニュティ」です。「日和山・紫陽花・交流」は震災後の平成25年に長崎県長崎女子高校(2年生)が、翌年長崎市の花である紫陽花を50株送っていただいたことに始まります。日和山や」学校や団地で咲いています。
閖上復興だより 56号ー3_NEW  3面は「防災コミュニュティ講演 水害から命を守る」と「防災教育の四民団体ゆりあげかもめ」の記事です。防災も繰り返し研修しないと見につきません。たゆまぬ努力がされておられることに感銘します。


 


 4面は「お知らせ」と「イベント掲示板」。3か月間の行事やイベント、サロンを紹介されています。協賛広告を出稿されている企業も。地域情報を発信されていることが、よく理解できます。
閖上復興だより 56号ー4_NEW  紙媒体の地域コミュニティ紙を発行することは大変な労力がかかります。一堂に集まれないかつて閖上地区に住んでいた住民の人達にも閖上復興だよりは配布されています。取材し、編集し、印刷し、配布する。大変な努力の積み重ねを感じました。

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2019.08.16

母は遅れてはりまや橋サロンへ


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 2019年8月16日(金)。今日は支払日。仕事の関係で出るのが遅くなりました。お天気は良いので歩行補助車を持参しました。夕飯用のコロッケをコロッケ屋さんで購入しました。
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 すでに100歳体操が始まっていました。暑さとお盆休みの関係か、今日は母を入れて7人の出席でした。少数精鋭で頑張っています。
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 体操が終わると休憩が必要でありますので、谷ひろこさんのお店でアイスコーヒーを母は飲みました。暑さで水分補給が必要ですから。戻るとエアコンを茶の間に入れました。静養しています。

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74回目の敗戦記念日


日本新聞
 8月15日は、かつての日本帝国が全世界相手に無謀な世界大戦を仕掛け、無残に敗北した74回目の敗戦記念日です。日本国民だけで310万人の戦没者を出しました。

 東日本大震災の犠牲者は2万人。阪神大震災の犠牲者は6600人。自然災害の犠牲者を遥かに上回る犠牲者を出したのが戦争災害でした。

 8月12日に放映されましたNHKスペシャル「かくて“自由”は死せり ~ある新聞と戦争への道~ 」を録画していましたので、じっくり見ました。

 http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20190812

 アジア近隣諸国だけでなく、欧米列強を相手に、戦力や国力が劣る日本帝国が無謀な戦争を仕掛け、敗戦が濃厚になっても戦争を辞めることが出来なかったのか?わたしは常に疑問でした。

 靖国神社の遊就館の展示を見学しましたが、戦争展示は日清戦争、日露戦争までで、太平洋戦争(靖国神社の表記は大東亜戦争)になると戦争ではなく、自己犠牲を前提とした特攻兵器の展示ばかりで、まともに展示品を見ることはできませんでした。

 大正デモクラシーを謳歌し、政党政治や普通選挙により、軍縮と市民社会の成長により、国民経済の成長に舵を切っていた日本が何故「転落」したのか?大いなる疑問でした。

 作家司馬遼太郎氏も戦争体験者として独自の見解を述べていました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat21875235/index.html

 (ブログ記事「司馬遼太郎氏の帝国主義論」)

 戦前の日本帝国を「調子狂い」に貶めた勢力に「日本新聞」の存在があったようです。「異論を認めず。排除し、軍部と結託し、国民の自由と人権を簒奪した歴史がありました。

「なぜ日本人は、戦争への道を歩むことを選択したのか。これまで"空白"だった道程を浮かび上がらせる第一級の史料を入手した。治安維持法制定時の司法大臣・小川平吉が創刊した戦前最大の右派メディア「日本新聞」である。」

「1925~35年に発行された約3千日分が今回発見された。発刊当時、言論界は大正デモクラシーの全盛期。マイナーな存在だった"国家主義者"は、「日本新聞」を舞台に「デモクラシー=自由主義」への攻撃を開始する。同志の名簿には、後に総理大臣となる近衛文麿、右翼の源流と言われる頭山満などの実力者が名を連ねていた。国内に共産主義の思想が広まることを恐れた人たちが、日本新聞を支持したのである。」

 記述を読むと、ナチスのような活動をしていたことがわかります。

「さらに取材を重ねると、日本新聞は地方の読者に直接働きかける運動を展開していたことも明らかになってきた。そして、ロンドン海軍軍縮条約、天皇機関説排撃など、日本新聞が重視した事件がことごとく、社会から自由を失わせ軍の台頭を招く契機となっていく。知られざる日本新聞10年の活動をたどり、昭和の"裏面史"を浮かび上がらせる。」

 今日は、74回目の敗戦記念日。再び形を変えた「調子狂い」の人達が台頭しているやに思えます。国民主権と基本的人権の重視、平和主義の日本国憲法を破壊し、敗戦前の国家主義国に日本国を戻そうという動きです。

 そんなことを言うのは「危機意識が欠如」しているとしか思います。南海トラフ地震や首都圏直下型地震の脅威はあf理ます。日本は地震大国です。また火山大国・噴火大国です。台風災害。大雨災害も多い。日本は「災害大国」なのです。

 その上に再び「戦争災害」を引き起こしてはいけないと思います。
 日本国の現代史をきちんと勉強すれば、日本新聞が影響与えた1925年から1945年の20年刊がいかに異常な時代であったかわかると思います。

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2019.08.15

大丈夫なのか?「酷暑東京五輪大会」


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 先日東京から帰省していた下の子供が「高知は涼しい・東京の暑さは来んものではない。」としきりに言っていました。市街地はコンクリートで覆われ。ビルや自動車からの排熱もあり。きっと想定以上の暑さになっていることでしょう。

 2020年の東京五輪の競技日程は、開会式(7月24日)前の22日からソフトボールから始まります。8月9日までの間開催されています。日本が1番暑い時期にスポーツの祭典を開催することになりました。

 https://tokyo2020.org/jp/games/schedule/olympic/

(東京五輪・競技日程表)

 高知新聞2019年8月11日号の記事と見出しはこう表記されています。

「酷暑五輪 選手に懸念」

「中断や水分補給検討」

「甲子園参考に」とか見出しを見ていても過酷さがよくわかります。

 記事の中で、テスト大会で来日していたノルウェーのビーチバレーバレーの選手が「汗のかき方が尋常でない。この暑さは来年に向けて考えないといけない。

 今までに1番暑い五輪になる可能性があると聞いている。」と話されていました。ヵらだを鍛えているスポーツ関係者の言葉だけに重たい。本当に選手として参加いただけるのでしょうか?来ない可能性だってあります。

 屋外競技は日没後か、夜明け前にやるべきでしょう。また今年の様に台風が襲来した場合の対策しているのでしょうか?首都直下型地震対策はどうなっているのでしょうか?私の情報アンテナには、入ってきません。

 浅間山や富士山の噴火だってありえます。日本は世界有数の災害大国ですから。

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2019.08.14

台風10号に伴う避難準備情報が高知市に発令


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 大型台風10号は、四国西南部を目指して北上中。高知にとっては最悪のコースです。上陸予定は、明日15日ですが、動きが遅いために、暴風雨と大雨が長時間降る可能性があります。
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 近所のスーパーも明日は臨時休業と表示されていました。情報によると明日は、とさでん交通の電車もバスも始発から運休します。高知市内の保育所も休園。高知大丸百貨店も休業とか。

 15時に高知市は「避難準備情報・高齢者避難開始情報」を発令しました。同じ町内にある下知コミュニティ・センターも避難所として開設されました。15時20分過ぎに駆け付けますと、センターの職員2名のほかに、高知市市役所の避難所開設職員3人が駆け付けていました。
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 ほどなく「放送(防災行政無線)や携帯電話のエリアメールや、テレビのテロップで知った」という人が避難所の見学に来られました。その10分後に実際に避難された人が来られました。

 「避難準備情報・高齢者避難開始情報」による避難所開設は、部屋の提供のみです。空調が効いているだけが特典。食料も着替えも避難する人が持参しないといけない。
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 母がディサービスから戻るので出迎えのために自宅へ戻りました。様子みて明日訪問します。

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昭和・東南海地震は戦争災害


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 1946年12月21日の昭和南海地震より、2年前の1944年12月7日に、和歌山県紀伊半島東側を震源とするマグネチュード7・9の東南海地震が発生、愛知県や静岡県では軍事工場や家屋が倒壊、1000人を超える死者が出ました。

 高知新聞の記事(2019年8月11日号)によりますと、当時は太平洋戦争末期。軍部が情報を統制し、報道関係者の取材や、防災関係者の現地への調査なども許さなかったようです。そのため国民各位は、昭和の東南海地震のことを知らされませんでした。2年後の1946年に「昭和南海地震」が発生しましたが、その連動性や関係性の研究が出来ませんでした。

 現在「半割れ」状態の場合に、「臨時情報」が発令され、1週間程度対象地域外への避難が検討されています。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-c103c5.html

(南海トラフ地震「臨時情報」と地区防災計画)

 まさに東南海地震は、南海トラフ地震の「半割れ」であり、昭和期の南海地震が正確に分析できましたら、今後の南海地震対策に活用できました。まさに「戦争災害」ですね。軍部の存在がまさに国民の「命と財産」を脅かした実例であります。この一例からも軍隊は国民を守るために存在しているのいではなく、国民の脅威です。

 記事では「武村雅之名古屋大学客員教授は、戦争中でも地震は関係なく発生した。現代でも、日常の平和に安穏(あんのん)として備えを怠れば参事も招くだろう」と指摘。南海トラフ巨大地震への対策に報告書を活用していく考えだ。」と言われています。戦争災害で阻害された昭和の東南海地震の全容の解明が急がれますね。

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2019.08.13

ディンギーを堤防内に移動しました。


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 超大型の台風10号は、午前9時の気象庁の予報では、四国西南部直撃に変化しました。8昨日までは、豊後水道付近でした。)高知県にとっては、かつての台風10号災害(1970年)を報復するコース。最悪の場合、風と雨が強く大きな被害が想定されます。

 自宅と事務所のプランターと鉢を倉庫に入れました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-c86a61.html

 出発するのが予定より遅くなりましたが、午前10時前に夜須のヨット・ハーバーへ到着しました。既に高知大学ヨット部やジュニア・ヨットクラブの艇や、社会人の何人かの艇は既に移動していました。
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 わたしもロープを外し、艇を堤防の外側の藤棚付近に移動しました。移動済みのディンギーが所狭しと置かれています。シカーラの隣に置きました。
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 海では数十人のサーファーがサーフィンをしておりました。楽しめるのは今日ぐらいですね。

 終わると汗だくに。帰り際に道の駅やすのアイスバー・マナマナへ寄りました。お世話になった方にアイスバーのギフトをしました。お盆休みでお店も繁忙していました。

 午後から母(93歳)の介護予防通所リハビリもあるし、支払いもあるので、午前中に夜須を撤収しました。
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 <13日09時の実況>気象庁台風情報  https://www.jma.go.jp/jp/typh/1910l.html
大きさ
超大型
強さ
-
存在地域
種子島の南東約550km
中心位置
北緯 27度25分(27.4度)

東経 135度10分(135.2度)
進行方向、速さ
北西 20km/h(10kt)
中心気圧
965hPa
最大風速
30m/s(60kt)
最大瞬間風速
45m/s(85kt)
25m/s以上の暴風域
全域 330km(180NM)
15m/s以上の強風域
南側 1100km(600NM)

北側 650km(350NM)

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早朝から台風10号対策をしました。


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 昨日は台風10号の高波の中、海水浴や釣りで何人も海で亡くなっています。
台風は沖合にいても、100回か200回に1度、想定以上の高波が来ます。それに流されたら自力では岸へは戻れません。

 「天気晴朗なれど波高し」の状態では海遊びは禁止です。特に親子ずれの皆さんは危機意識を持っていただきたい。猛暑で上天気でも私は海の散帆を控えていました。
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 しかし、台風10号は「最悪」(四国とくに高知県にとっては)コースで北上中。とくに県西部を上陸すれば風と雨が強い。1970年の台風10号では、いの町の自宅は平屋で被害がありませんでしたが、近所の家の屋根が飛んでいました。知寄町の祖父母の家は大雨と高潮で床上浸水。翌日食料を背負い、浸水域を歩いて届けました。
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 明日から台風対策をする予定が、進路を見て今日からに変更。我が家のプランターと植木鉢を早朝から倉庫にいれました。朝シャワーしたのに大汗かきました。
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 母(93歳)を起床させたら準備をして、夜須のハーバーへ行きます。自分が遊んでいるディンギーを堤防の内側にハーバーから移動させ、ロープで縛る重労働をします。

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広報下知減災22号


広報下知減災・22号・1
 下知地区減災連絡会(森宏・会長)の広報紙「広報・下知減災22号」が発刊されました。坂本茂雄事務局長の編集・発行です。猛暑の中ご苦労様です。
 
 1面は、低地の市街地の特性のある下知地域を踏まえ「自助だけでは、守れない命もあるからこそ」「共助の防災力で「避難行動要支援者個別計画」にも着手検討を」の観点から、下知地域なりの「要配慮者支援」を下知地区減災連絡会で行うことが、6月4日の下知地区減災連絡会総会で決議されました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-63579b.html

 平常時の声がけや、見守りに加え、災害時の安否確認や個別支援も検討していくことになりました。下知全地域で行う前に、二葉町他先行地域で取り組み、その成果を情報共有していこうということになりました。
広報下知減災・22号・2_NEW
 2面は「下知地区防災計画」(2017年3月策定)
http://www.city.kochi.kochi.jp/soshiki/12/sitasirutikubousaikeikaku.html

 のなかで特に早期の実践課題として出てきました「下知ベスト10」での新たな動きを赤字で一覧表の中に表示しています。具体的には以下の項目が上げられています。

「家具転倒防止広報と家具化型付けの連携講習会の実施」(清掃専門会社との連携)

「高知市との協定で、要支援者の名簿提供を受け、下知内モデル地域で個別支援の着手」

「臨時情報」(半割れ時など)への対応の在り方、学習・準備検討。」

「下知コミュニティ・センターを活用した近隣防災会による避難所開設・運営・体験訓練」

「昭和小を避難所とする近隣防災会による避難所開設・運営・体験訓練」

「スマホDEリレーを取り入れた訓練の実施」

「挨拶運動の推進」(下知地域内連携協議会)

「国交省復興事前準備ガイドライン高知県震災復興都市計画指針の学習会」

「中小・零細企業BCPの勉強会」

「親子・津波避難ビル巡りスタンプラリーの実施」です・

 本年度も多様な事業が準備され、各単位自主防災会、下知減災連絡会、下知コミュニティ・センター防災部会で実施の予定です。
広報下知減災・22号・3_NEW
 3面は、下知地区減災連絡会加盟の単位自主防災会や下知減災連絡会の行事予定を表記した「防災カレンダー」です。当該単位自主防災会行事以外にも参加しましょう。
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 「ロープワーク講座・実践編」は、9月4日が二葉町自主防災会。25日が若松町自主防災会主催で開催されます。10月27日は下知コミュニティ・センターにて「避難所開設・運営・体験訓練」が、二葉町・若松町、稲荷町、中宝永町自主防災会にて行われます。
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2019.08.12

まんがが伝える戦争と平和

まんがが伝える戦争と平和チラシ_NEW  2019年8月10日(土曜)ですが、高知市自由民権記念館で開催されている「まんがが伝える戦争と平和」(8月6日~8月15日迄)を家内と帰省したばかりの娘と3人で見に行きました。入場料は無料です。(13日(火曜)は休館日)
まんがが伝える戦争と平和チラシ_NEW_NEW  絵心のある夜須町出身の山崎裕則さん。高知市の城東中学(現・県立追手前高校)卒業後、海軍航空隊に志願。特攻で亡くなるまでの2年半に渡り描いていたスケッチや絵手紙が展示されていました。
まんが  画力がある人です。絵には動きがありました。海軍航空隊の訓練の様子も描かれています。大正14年生まれ(1925年)ですので、母(93歳)や、沖縄の義父と同い年です。美術学校やデザインの専門的な勉強はしていないようですが、「絵の才能がある」と、大学のデザイン科を卒業し「お絵かき職人」になっている娘が高い評価をしていました。
絵手紙2  絵にはユーモアもあり、訓練風景が描かれています。戦死しなければ、漫画家やアニメーターになっていたと思いますね。戦争は無駄に犠牲を強いますね。19歳で生涯を終えられました。惜しいと思いました。


 


 戦争は前途ある若者の夢を奪いました。戦争を引き起こすのは人間。止めることが出来るのも人間です。展示を鑑賞して、平和でなければ多くの才能のある人たちが亡くなることを思い知りました。展示の鑑賞をお勧めします。

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