2016.12.05

第5回市民とつくる防災フォーラム

 2016年12月4日(日曜日)は、午後12時半から16時半の予定で、「その初動が命を守る!」という講演会とワークショップが開催されました。

 主催は「市民とつくる防災フォーラム実行委員会」(委員長中岡久幸氏)です。場所は高知市総合あんしんセンターです。下知地区減災連絡会の森宏会長と一緒に電車で行きました。
_r_7


_r_8

 
 到着しますと講演が既に始まっていました。
 講師の高砂春美氏(南阿蘇復興支援センターよろず相談室)は、阪神淡路大震災の最中に避難所運営本部を立ち上げ、被災者の自立と復興を目標に活動をされてこられました。東日本大震災後も支援活をなさっておられます。現在は熊本地震の被災地の阿蘇と南阿蘇地域を支援されておられます。
P1010087_r

「繰り返される自然災害での対応を見ていると、被災者側にも支援者側にも、災害の教訓が活かされていない場面が散見される。
行政には対応の限界がありますので、早い段階から外部の応援部隊を頼るべきですし、被災者は自らニーズを発信して、少しでも置かれた環境を改善して行く努力をすべきです。」

「当初熊本県は県外からのボランティア支援を拒絶していました。大災害時に平時の対応をしていました。市町村の要望がない限り動かないと決めていました。熊本市は50万都市で自力で何とかなりますが、益城町や阿蘇や南阿蘇はどうにもありません。

 われわれは地元の要請もあって阿蘇と南阿蘇の支援に入りました。」

 言われていることは実にもっともなことです。いただいた資料でべつにまとめます。
 
5_r

 春野東小学校取り組みの発表がありました。5年生6人の発表でしたが、堂々としていました。防災訓練の様子や、防災授業の様子もわかりました。地域と連携した取り組みが行われています。
_r_9

 南海中学校では、防災への取り組みを寸劇にしていました。校区内にある若宮八幡宮の長宗我部元親にちなみ「一領具足」の考え方で「いつでも避難・防災」を意識した生活を送るようにしているとのことでした。
_r_10

休憩の後に7つの体験・体感コーナー(シェイクアウト・簡易トイレ・自分の部屋・緊急・救命処置・避難所運営・ガラス飛散防止・アルファ米試食)などもあり、実践的な内容となっています。
P1010130_r


P1010134_r


_r_11


P1010141_r


P1010146_r


P1010149_r


_r_12


_r_13


_r_14


_r_15


_r_16


_r_17

 各地防災会のメンバーに多くお会いしました。下知からも8人参加しておりました。18日の下知地区総合防災訓練の参考になりました。市役所の山中晶一さん、主催者の中岡久幸さん、西田政雄さんご苦労様でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.12.04

父のリハビリ・ゴルフ

 2016年12月4日は、父(97歳)のリハビリ・ゴルフの付添に行きました。今朝は南国高知でも少し寒い。ラビータの温度表示は11時でした。でも曇っていて風がないので、しのげます。
 _r

_r_2


 いつものように自己流の体操をして、OS-1(経口補水液)を飲んで水分補給をしています。ゴルフクラブを杖替わりにして最近は歩行も遅くおぼつかない父ですが、球を打ちだすとしっかり打っています。
_r_3


1_r


_r_4


3_r

 休み休みで125発打ちました。歩行は本当の遅い。階段昇降にも苦労しています。でもそれ自体がトレーニングですから。敷地の狭い自宅では階段1段の高さが22センチもあります。(下知コミュニティ・センターは半分の11センチ)。足腰が弱ると自宅で生活できませんから頑張らないといけないです。
_r_5


_r_6


| | コメント (0) | トラックバック (0)

「売る力」を読んで

_0001_r

 「売る力 心をつかむ仕事術」(鈴木敏文・著・文藝春秋・2013年刊)」を古本屋で購入して読みました。2013年と言えば、まだまだ全盛期の鈴木敏文氏の時代でしたね。

 2016年2月に「なんだかよくわからない」社内の争いに嫌気がさしたのか、セブン&アイ・ホールディングスの役職を退任されました。今の心境はいかに。

成功した人に共通する「武勇伝」の連続ですが、ライターが上手いのか嫌味はさほど感じません。本人によれば、レジ打ちも現場での販売も未経験ですが、お客の立場に立って一貫して販売戦略を考え、実行し」、成功した人でした。

 前人未到の道を突き進み、成功事例を豊富に作り上げた人なんでしょう。コンビニエンス・ストアという「本部だけがぼろ儲けするシステム」「果てしなく店主や店オーナーは収奪され続ける奴隷経済システム」の生みの親でもあります。悪徳商人と言ってもいいでしょうね。

 「ごほうび消費やメリハリ消費 イベント消費こそチャンス」

 「現在の消費者は消費を正当化する理由を求めている」(P73)

 このあたりは「つかみ」のお話でした。

 鈴木氏は「私が提案して反対された13のプラン」(P82)を説明されています。いずれも後日すべて実現されたものです。提案当初は関係者各位から猛烈に反対され田プランでした。

1)トーハンの弘報課時代、20代でPR誌の「新刊ニュース」の抜本的なリニューアールを提案し、上司や役員に反対された。

2)30歳の時に転職したヨーカ堂では管理部門を担当し、資金調達のため株式上場を上層部に進言し、社内外の顧問弁護士やメインバンクからも反対された。

3)スーパーのような大型店と小型店とは共存共栄が可能であることを示すため、日本初めての本格的コンビニエンス・ストアチェーンであるセブン・イレブンの創業を提案し、会社の幹部、業界関係者、学者・・・・とあらゆる方面から反対された。

4)多くの品目を扱うコンビニ経営を成り立たせるため、大口配送が業界の常識だった時代に、小口配送を求め、問屋から猛反発された。

5)コンビニは正月も営業する以上、新鮮なパンを提供できるよう、製パンメーカーに正月中も製造を求め、猛反発された。

6)セブンイレブンの店舗への納品車両台数は創業当初、1日70台にも上ったので(現在は9台)、これを減らすため、牛乳メーカーに他社製品も混載する日本発の共同配送を提案し、これも猛反発された。

7)コンビニで販売する日本型のファーストフードが必要と考えて、弁当やおにぎりの販売を提案し、そういうのは家でつくるのがぞ常識だからと売れるわけがないと」反対された。

8)ヨーカ堂が三越を抜いて経常利益日本1になった翌年度の1981年度中間決算で創業以来のの減益に陥った。売り手市場から買い手市場への転換に対応するため「豊富な品ぞろえ」から、「売れ筋商品の絞り込みと死に筋商品の排除による在庫削減」へと根本的な政策転換を唱えたところ、「在庫を減らすと売り上げが落ちる」と反対された。

9)消費税が3%から5%へ引き上げられた1997年の翌年、不況突破企画として「消費税分還元セール」を発案した際、普段の売り出しで10%、20%引きでも必ずしも売れるわけではないのに、5%では魅力を感じてもらえない。と営業幹部の大半から反対された。

10)セブン―イレブンの店舗で顧客にいつでも焼きたてのおいしいパンを提供できるよう、製造工場を出来るだけ店舗の近くに配置換えし、製造から配送まですべてを組み直す提案に対し、製パンメーカーから拒否の意向が示された。

11)セブンイレブンの店舗にATMを設置するため。自前の銀行(現セブン銀行)を設立する案に対し、素人が銀行を始めても必ず失敗する。と金融業界を中心に否定論の嵐が巻き起こり、メインバンクからも頭取が直々に来られて、反対された。

12)低価格優先ではなく、質を優先するPB商品を開発すること。それを、グループのどの業種でも同じ価格で販売することに、社内から反対の声があがった。

13)ワンランク上のPB商品、セブンゴールドの開発を提案すると、価格を高くすると売れないのではないかと消極的な声が聞かれた。( P86.)

 まさに鈴木節の真骨頂ですね。

「実現する方法がなければ、自分たちで考えたらいい」

「お客さまのためにはうそ、お客様の立場でが正しい」

「変化に対応すれば市場飽和はありえない。」(P202)

「目の前の石垣を1つい1つ積んでいかなければ、いくら先を読んでも仕方ない。」

「売る力は挑戦と努力で高まる」

 実践家ならではの言葉で最後のページを締めくくっています。

「仕事の現場にいる人たちは、けっしてサボったり遊んだりしているわけではないでしょう。人それぞれに一生懸命で必死でやっていることでしょう。それでもうまくいかないときは、いますぐに自分の目の前の状況を洗い出し、考え方を1度すべて白紙にして戻し、原点に立ち返って考えることです。」

「そしてすべてお客様の立場で考えて、毎日真剣勝負で、1歩踏み込んで挑戦し努力を重ねることです。

 自分に言い訳するくらいなら、懸命にやったほうがいい。失敗したらこれはやむを得ないと覚悟しながら、恐れることなくやるだけのことはやったほうがいい。自分の能力いっぱいの力を尽くす。もし転んだら反省してまた挑戦すればいいのです。

 真剣勝負で本気の人には必ず、チャンスがめぐってきます。」(P243)

 今年は騒動があっただけに書き出しした言葉を「神格化」することはなく、いいものはいいという観点で読んでみました。13の無理難題も、結果すべて実行し、成果を上げたものばかりです。

 提案力と実行力はたいしたものであると感心しました。自分などはまだまだ工夫も実行力も足りないと思いました。反省します。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.12.03

夜須の海でまったりしました

 2016年12月3日の早朝は五台山下知愛のふるさと農園(横田政道・代表)での草むしりに行きました。夜明けが遅くなりましたので、作業時間も繰り越されますね。

 自宅を出たのは9時過ぎに。夜須へ到着しますと大勢の人達がハーバー隣のビーチの清掃活動をされていました。だいたい終わりかけの頃に少しだけ清掃作業をしました。
_r_11


_r_12


_r_13
 それからぎ装し、」着替えて海へ出ました。早朝は寒かったですが、海へ出艇する時間帯(11時前)には暖かくなっていました。暖かいのですが風がまたも弱いです。でも下手くそな年寄りは怖くないからいいです。
_r_14


_r_15

 いつもは遠くの沖合の海面で帆走練習をしている高知大学ヨット部やジュニア・ヨットクラブの皆さんたちは、ハーバーほど近くの海面でブイを打ち模擬レースをされていました。
 5_r

_r_16


_r_17


_r_18


9_r


  ヤッシー・パーク内の津波避難タワーの建設もされていました。海側から確認しました。もしもの津波警報発令時には、ヤッシー・パークの津波避難タワーに着艇後、駆け上がるのが安全ですね。完工は来年3月末と聞いていましたが遅れるようです。
_r_19

 午後も風がなく、まったりと浮かんでいました。お蔭様で四国巡業の疲れがとれました。まったりと海の上で出来ましたので。最高でした。

_r_20


_r_21

 久々のおっさん2ショットです。

 なにかとせわしく、また悪天候も続きました。しばらく山本宏幸さんとのおっさん2ショットが出来ませんでした。私が赤い服を着用していたせいか、クリスマス・バージョンになっておりました。
_r_22

 12月にもう一度来れるかどうかわかりません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

五台山市民農園へ行きました。

 2016年12月2日は午前6時に、横田政道さんところへ集合。途中ブロックを積むために弘化台にある横田さんの倉庫へ立ち寄り、ブロックを自転車に積み込み五台山を目指しました。
_r


_r_2

 わたしの自転車は安定が悪いので最後尾。歩道の狭い新青柳橋はふら付くので歩いて渡りました。途中五台山農協婦人部の良心市へ皆が立ち寄り、わたしはミニトマトを買いました。
_r_3


_r_4


_r_5

 役立たずの私は農園ではひたすら雑草引き。たかだか30坪の農園ですが雑草は生えるもの。それぞれに野菜は成長しています。
_r_6


_r_7


_r_8

 下の果樹園では文旦が黄色くなりはじめ、竹林が伐採され、かなり広くなりました。ブロックは作業小屋の足場になるようです。
_r_9


_r_10


| | コメント (0) | トラックバック (0)

「日本会議の研究」を読んで


_new_r


 「日本会議の研究」(菅野完・著・扶養桑社・2016年刊)を読みました。安倍内閣の政治姿勢に大きな影響力を発揮していると言う「日本会議」。その実態は不明であり正直不気味な存在であると感じていました。

 日本会議 ウィキペディア

 菅野完氏と言う1974年生まれの42歳の若い執筆者の真摯な調査活動により、実態が判明いたしました。「日本会議」は政府・自民党に強い影響力を今や持っており、著者は「市民運動が嘲笑の対象にさえなった80年代以降の日本で、めげずに、愚直に、地道に、そして極めて民主的な市民運動の王道を歩んできた「一群の人々」によって、日本の民主主義は殺されるだろう」と記述しています。

 筆者は1年間「日本会議」を調査するために毎日図書館に通い。古書を漁り、人に会い続け調査ノートを作成し、資料を集め取材を続けてこられました。2015年に作業を続けておられたそうですが。「安保法制の国会審議」を横目に見ながらの作業でしたが、何故メディア各社や学者が、今や日本社会に大きな影響力を有している「日本会議」を研究しないのか、調査しないのか常に憤りを持っていたそうです。

「速報性と正確性が何よりも必要とされる大手メディアの仕事の範疇ではないのだ。調査・報告はやはり新聞やテレビ以外の仕事だ。また学問の範疇でもないだろう。学問の対象とするには生々しすぎる。

 テレビ・報道がカバーをするには歴史が長すぎ、学問の対象とするには歴史が短すぎる。そういう間(はざま)に「日本会議」は存在している。(P296)

 現実の日本社会に大きな影響力を与えているにも関わらず、正確な実態がそういった事情でわからず不気味でしたが、菅野氏の渾身のレポートでその正体がようやくわかりました。

 日本会議が目指ものは、6項目あるようです。

1・美しい伝統の国柄を明日の日本へ

2・新しい時代にふさわしい新憲法を

3・国の名誉と国民の命を守る政治を

4・日本の感性をはぐくむ教育の創造を

5・国の安全を高め世界への平和貢献を

6・共生共栄の心でむすぶ世界との友好を

 という美辞麗句で,記述されておりよくわかりません。筆者の「解説」は下記にありますが、読んでも曖昧であり、めざすべき彼らの言う「あるべき日本の姿」は今1つわかりません。

「(1)皇室を中心と仰ぎ均質な社会を創造すべきではあるが、(2)昭和憲法がその阻害要因になっているために改憲したうえで昭和憲法の副産物である行き過ぎた家族観や権利の主張を抑え、(3)靖国神社参拝等で、国家の名誉を最優先とする政治を遂行し、(4)国家の名誉を担う人材を育成する教育を実施し、(5)国防力を高めたうえで自衛隊の積極的な海外活動を行い、(6)もって各国との共存共栄をはかる」(P23)です。

「キーワード的には「皇室中心」「改憲」「靖国参拝」「愛国教育」「自衛隊海外派遣」といったものでしかなく、「日本会議が目指すもの」に示された内容の思想性や政治性に目新しいさは一切ない。」(P24)が実態のようです。

 内容が陳腐で新規性のないものであったとしても「いまや日本会議は、閣僚の8割以上を支える一大勢力である。現実に、彼等は「なんら新奇性のない古臭い主張を」確実に政策化し、実現化している。」(P24)

 わたしは戦前の思想家大川周明に注目していました。かれは米英諸国の「片手に民主主義」「片手に帝国主義」のダブル・スタンダードを厳しく批判し、英米帝国主義からアジア人民を解放するために日本帝国の役目はある。と主張し、現実に語学学校をこしらえ、塾生を東南アジア各国に派遣(フィリピン・ビルマ・インドネシア・マレーシア・ベトナムなど)し、現地の民族解放運動を担う指導者層に食い込んでいました。

「大川周明 アジア独立への夢」を読んで

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-892d.html

 日本会議に大川周明のような、大きな思想はありません。ありませんが何故時の政治権力者に影響力を与えることができたのでしょうか?その検証にこの著作は役だっています。

 「思想による影響力」というよりも、活動方法は「手順を踏んだ民主的な地道な市民運動の手法を執拗に全国展開でやり続行けている」ことではないでしょうか。

「日本会議の特徴は、個別目標の相応した分科会的な別働団体を多数擁している点にある。
 例えば改憲と言う目標。この目標を達成するため、日本会議では冒頭で紹介した「美しい日本の憲法をつくる国民の会](通称1000万人ネットワーク)をはじめとし、「新憲法研究会」や「21世紀の日本と憲法有識者懇談会](通称・民間憲法臨調)など複数の別働団体を擁している。
_new_r_2

 これら各種別働団体は、特段、日本会議であることは名乗らないものの、日本会議系団体であることを隠しもしない。あくまで別働部隊として、個別にシンポジウムを開催したり署名活動を行ったり、街頭演説を行ったりと実に様々なチャンネルで自分たちの主張を繰り返している。」

「また、活発な地方活動も特徴の1つだ。日本会議自体が「日本会議地方議員連盟」なる組織を擁しているのみならず、個別別働団体が、それぞれの地方組織を持っており、それら地方組織が地方議員を支え各自治体の議会での影響力を行使している。」
_new_r_3

 中略

「中央に置いて、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」を通じ、1000万人の改憲賛成署名を集めることを目標として活動する一方、地方の活動にも抜かりはない。

 日本会議はその地方支部を通じ、あるいは別働団体の地方支部や地方協力団体を通じ、地方議会の議員に働きかけ、次々と早期実現を求める地方議会決議」を行った地方議会は、25府県議会・39市区町村議会にのぼる。」(P26)

 2014年2月の石川県議会で最初に採択されその後、熊本、千葉、愛媛と採択された居ます。高知県議会でも採択されていました。最初の事例となった石川県議会の意見書は、日本会議の案文しのまま。自民党本部から各都道府県支部に、石川県議会に続けと言う通達がされ、2014年から15年かけて意見書採択の動きが広まったようです。

 教科書採択運動やや男女共同参画反対運動などの活発な市民運動を繰り返し、民主主義的な手法を屈指し、改憲運動を全国展開しています。

 地方議会への請願は、地域防災の観点からしたことはあります。各会派を巡回し、主旨を説明し、委員会審議にかけて採決していただくもの。書類の作成や各会派訪問など手間暇のかかることです。

 日本会議は全国規模で、地方議会への請願という民主主義的な地道な方法で執拗に継続し、改憲運動を「草の根」で展開していることがよくわかりました。

 また筆者によれば、その運動のルーツは1969年の長崎大学での民族派学生によるバリケード封鎖解除、学園正常化闘争に起因しているとか。学生自治会も支配し、成功体験をこしらえたとのこと。それ以後47年間地道な民主的な手法で、改憲運動をやり続けてきたようです。

 多くの新左翼党派や運動が1969年をピークに解体し、分裂し、内ゲバで抗争し続け消滅、今や市民層に何らの影響力を持たない体たらくとは対照的に長崎大学のたった1つの成功体験を保持し、半世紀にわたり地道に改憲運動を執拗に民主的なやりかたで継続している日本会議のやりかたに驚きました。

 安藤巌氏と言う表に出ない優秀な組織工作者の存在が大きいのでしょう。

 「むすびにかえて」で菅野完氏はこう述べています。

「事実を積み重ねて行けば、自ずと、日本会議の小ささ、弱さが目に付くようになった。活動資金が潤沢なわけでも、財界に強力なスポンサーがいるわけでもないほんの一握りの人々が有象無象の集団を束ね上げているに過ぎない。」

  中略

「しかしながら、その規模と影響力を維持してきた人々の長年の熱意は、特筆に値するだろう。本書で振り返った、70年安保の時代に淵源を持つ、安藤巌、椛島有三、衛藤晟一、百地章、高橋史朗、伊藤哲夫といった「一群の人々」はあの時代から休むことなく運動を続け、様々な挫折や失敗を乗り越えて、今安倍政権をささえながら、悲願達成に王手をかけた。

 この間、かれらはどんな左翼・リベラル勢力よりも煩雑にデモを行い、勉強会を開催し、陳情活動を行い、署名活動をしてきた。かれらこそ市民運動が嘲笑の対象とさえなった80年代以降の日本において、めげずに愚直に市民運動の王道を歩んできた人々だ。

 その地道な市民活動が、今「改憲」と言う結実を迎えようとしている。彼らが奉じる改憲プランは。「緊急事態条項」しかり、「家族保護条項」しかり、おおよそ近代的とも呼べる代物ではない。むしろ本音には「明治憲法復元」を隠した、古色蒼然たるものだ。しかし彼らの手法は間違いなく民主的だ。」

「私には、日本の現状は、民主主義にしっぺ返しを食わされているように見える。
やったって意味がない。そんなの子供のやることだ。学生じゃあるまいし・・・。と日本の社会が寄ってたかってさんざん馬鹿にし、嘲笑し、足蹴にしてきた、デモ、陳情、署名、抗議集会、勉強会といった「民主的な市民運動」をやり続けていたのは、極めて非民主的な思想を持つ人々だったのだ。

 そして大方の「民主的な市民運動」に対する認識に反し、その運動は確実に効果を生み、安倍政権を支えるまでに成長し、国憲を改変するまでの勢力になった。このままいけば「民主的な市民運動」は日本の民主主義を殺すだろう。なんたる皮肉。これでは悲喜劇ではないか。」

 筆者はにもかかわらず希望をすてないようにしようと言っています。

「だがもし、民主主義を殺すものがが「民主的な市民運動」であるならば、民主主義を生かすのも「民主主義の市民運動」であるはずだ。そこに希望を見いだすほかはない。賢明な市民が連帯し、かれらの運動に習い、地道に活動すれば、民主主義は守れる。」(P298)

 とても複雑な気持ちになりました。1969年というわたしとほぼ同時代に社会活動をはじめた人たちが、その後も執拗に自分たちの運動を継続し、国政に影響力まで持つようになりました。

 わたしといえば1976年以来社会運動はしていません。「連合赤軍と新自由主義の総括」がここ数年来の私のテーマでした、日本会議の連中は「明治憲法の復活」という懐古思想で彼らなりの回答を社会に主張していました。

 ほぼその思想はかつての生長の家の考え方の踏襲であると思います。中学時代に生長の家の幹部の人に冊子を送っていただき読んでいましたからよくわかります。精読はしましたが、共感することは全くありませんした。

 復古調の荒唐無稽な考え方が。日本国政に大きな影響力をもっていることに危機感を覚えます。かといって今の制約だらけのわたしには何もなす事ができません。それがとてももどかしい。

 推薦図書の1つです。

2_new_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.12.02

母とはりまや橋商店街へ行きました。


_r_6

 金曜日の午後は、母(91歳)と一緒にはりまや橋商店街へいきました。晴れていましたので、歩行補助車を持って行きました。
_r_7


_r_8

 いつものコロッケ屋さんで夕飯のコロッケを購入しました。10円饅頭も買いました。
_r_9

 谷ひろ子さんのお店で焼き菓子とチョコレートケーキを買いました。
_r_10

 今日は活き活き100歳体操の前に、NHKの取材がありました。偶然横田政道さんも来られたので、お話を聞いていただきました。昭和南海地震の特集があるそうです。
母も元気に活き活き100歳体操をしていました。
_r_11


_r_12


_r_13


_r_14


 戻って父(97歳)と合流し、主治医の横田哲夫先生(横田胃腸科内科)の診察を受けました。両親とも「特に医学的な所見はない。」(つまりは健康)であるということでした。
2_r


_r_15


| | コメント (0) | トラックバック (0)

龍文堂が12月1日に開店しました

_r

 2016年12月1日に、高知市城見町9-21に、画材・額縁の店舗である龍文堂が開店しました。8月31日に閉店した水谷龍文堂を継承する形で、西森慶二さんが経営者となりスタートしました。
_r_2


_r_3

 開店の日は徳島へ1日行っておりましたので、2日に伺いました。店内は絵具や鉛筆などの画材や額縁なども綺麗に陳列されていました。オリジナル額縁を制作する小型工具もあり、フラットな店内は明るく雰囲気です。
_r_4


_r_5

 末永く繁盛されることを願います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年3月2日にJICA研修生との意見交換会

Utiawase_r

 2016年11月18日に、下知コミュニティ・センターにて「JICA課題別研修・コミュニティ防災実施」についての事前打ち合わせが行われました。高知大学からは大槻准教授と中原さん。下知地区減災連絡会事務局長の坂本茂雄さん。下知知己内連携協議会会長の国見俊介さんが出席されていました。完全に打ち合わせ日であることを忘れていて、遅れて参加しました。

 それで来年(2017年)3月2日に下知地区での研修と意見交換会をすることになりました。今年9月22日に実施したJICA研修生の皆さんとの交流や意見交換、下知まち歩きが研修生の皆様に好評であったからでした。再度のリクエストが高知大学からありました。

 しかも今回はテーマが「コミュニティ防災」です。研修コースの意義と目的には以下のように記述されています。

 研修コースの意義と目的

 「阪神淡路大震災、東日本大震災を経験した日本ではコミュニティ防災の取り組みが活発化している。発災時、行政の対応(公助)だけでは限界があり、自分の身を努力によって守り(自助)、地域や近隣の人々が互いに協力し合う防災活動への組織的な取り組み(共助)の重要性が認識されたからである。

 日本の災害対策の根幹となる災害対策基本法においても、市町村は自主防災組織の充実や、住民の自発的な防災活動の促進を図るように努めなければならない旨規定されている.(第5条第2項)

 本研修では、開発途上国の防災担当行政官を招き、コミュニティにおける自助、共助の考えをベースとした自主防災組織活動、地方自治体と住民との関わり、都道府県の役割等についての視察、講義、実習により理解することを目指す。また、学んだ研修成果を自国へどのように応用できるのか話し合い、帰国後の各国の防災対策アクションプランを作成することを目的に実施する。」とあります。

 現在下知地域では、「下知地区防災計画=事前復興まちづくり計画」が、昨年度より取り組んでいます。6回の地域全体のワードカフェ実施により意見の取集を計っていて、現在はより細かな町内単位の意見交換会を実施しています。

 都市部のコミュニティが衰退している地域をいかに再生し、「災害にも強い魅力的なコミュニティ下知」をこしらえようと取り組んでいるにで、現在の状況を発表し、優秀な国家官僚の防災担当官と意見交換ができることは、ローカルの1住民とすれば幸運です。

 じっくり考え取り組んでみたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.12.01

四国巡業(その2)徳島市ー池田


Koutidou4sytasenn1_r

 徳島方面へ巡業(需要家訪問)に行っておりました。一般国道の時代では片道4時間はかかり、日帰りではとてもきつかったですね。今は2時間半で行けるようになりました。楽ですが高速道路代金は髙いですね。
4_r


Tonnneru_r

 インフラがとても貧弱な高知県ですが(四国には新幹線も絶対来ません。特に高知へは)、高知自動車道路が4車線と言うのは「革命的」ですね。山岳道路でトンネルと橋の連続。建設費が1Mが900万円かかったと言われていますが、よくぞこしらえてくれました。ありがたいことです。

 それに引き替え徳島自動車道路は対面通行の高速道路。怖いです。
_r


_r_2

 全国的にも対面通行の高速道路での正面衝突が多発しているそうです。

http://response.jp/article/2016/06/07/276511.html

(高速道、対面通行で死亡事故相次ぐ…暫定2車線は全体の30%)

 中央分離帯はゴムですから、何の抑止にもなりません。もし対向車が居眠り運転していて突っ込んでこられたらよけようがないし、お互い90キロ前後のスピードですから重大死亡事故になりますね。髙い通行料金を取っているんですから、道路管理者はなんとかする義務がありますね。

 _r_3

 さて 徳島市も相変わらず「川の街」ですね。市内中心市街とは川に囲まれ低地でしかも海も近い。南海地震が発生すれば甚大な被害が出る可能性がありますね。海抜表示は目立ちませんが、2Mとか3Mという表示ですね。
Tokusima_city


_r_4


_r_5


_r_6


_r_7


_r_8

 助任川の橋も市街地から盛り上がっています。吉野川大橋も市街より数メートル高く、市街地は2M程度。徳島市中心市街とは助任川と新町川の間の海抜の低い島。海抜0メートルの島である高知市下知地区と同じです。
Kouchi

 池田(三好市)へも寄りました。こちらは標高が高く、吉野川の河岸段丘に形成された街ですね。徳島県西部の拠点都市。「四国のへそ」と呼ばれています。
_r_9


 古い街並みも残っていますね。うだつマルシェもこの町並みで開催されています。
_r_10

 脇さんにもお会いしました。池田の中心街のバスターミナルと商業施設の前にあります。お元気そうでした。娘さんはネール・アーティストになられておられました。神戸と池田でシフトを組んでお仕事をされておられています。
_r_11


_r_12

 帰路に大豊で降りて国道32号線を走りました。高速が出来る前は走行していました。まったり走行するには良い道路ではあります。
32_r


2016120117570000


| | コメント (0) | トラックバック (0)

父(97歳)の事前避難訓練


Resize37421

 12月18日に開催されます「昭和南海地震70年 下知地区総合防災訓練」に参加するために、2016年11月30日の午後、自宅から徒歩で父(97歳)の付添で事前避難訓練をしました。
_r

(出発前に自宅前でしりもちをつき転倒。無事でした。)
_r_2


_r_3


 信号待ちもありましたが10数分で自宅から下知コミュニティ・センターへ到着しました。1階ロビーで少し休んでから階段昇降をしました。「うちの階段よりは楽だ」といって今日は3階まで登りました。」帰りはエレベーターで降りました。
Cc_r


1_r


_r_4

 徐々に歩行訓練して、なんとか12月18日の総合防災訓練までには、完歩したいものです。本物の「要支援者」ですので、少し頑張ってみたいと思います。主治医の許可ももらっていますので。
_r_5


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.11.30

龍文堂が明日開店します


Photo


Photo_2

 8月31日に80年の歴史を閉じた堀詰の水谷龍文堂。2016年12月1日に、従業員であった西森慶二さんが、高知市城見町で「龍文堂」として画材・額縁制作の新店舗で,スタートされます。
_r_6


2_r


_r_7

 出張中で私が留守の時に訪ねて来ていただきました。今日龍文堂の前を通りがかりますと画材などが運び込まれ、明日の開店準備はOKの様でした。店主の西森さんはご不在でした。西森慶二さんは真摯な人。ご繁栄されることを祈願します。
121_new_r

 私は明日は四国巡業なので、明日以降訪問したいと思っています。是非皆様ご利用をお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

だんだんと両親の身体能力は低下して行っています。

_r

 今朝は父(97歳)の付添で植田医院へ行きました。診察と点滴です。
「腎機能は横ばいで踏ん張っています。現在25%が腎機能が働いています。15%以下になると透析対象です。そうならないように減タンパク食、適度な運動、水分補給、点滴で頑張ってますよ。」植田一穂先生は言われます。
 
 植田先生の守備範囲外ですが、このところ父の歩行能力の低下が著しい。いつ転倒するかわからない。植田医院ではスリッパに履き替えますが、靴を履く動作も危なかしい。日ざまづいては履かせないといけなくなりました。転倒すると超高齢者は重大な危機に陥る可能性が高いので目離しは出来ません。

 よく言われるADL((Activities of Daily Living)は、一般的には『日常生活動作』と訳されます。日常生活を営む上で、普通におこなっている行為、行動のことです。具体的には、食事や排泄、整容、移動、入浴等の基本的な行動をさします。)の低下を防止するために、介護ケアを懸命にやっているに過ぎません。
 
 http://kaigoouen.net/knowledge/care/care_1.html

 母(90歳)は8年前からアルツハイマー型認知症と判定されました。こちらも画像の表示のように急激な下り線ではなく、徐々に認知機能が衰えて来ています。尿意や便意を感じなくなります。

 人間が生まれて、親に庇護される状態から言葉を覚え、オムツが外れ、トイレへ行けるようになり、礼節も「しつけ」としてされ、幼少期に社会的常識、たしなみなども獲得されていきます。

 長い間かかって幼少期に獲得された能力が、老齢期になると衰え「劣化」していきます。ADLなりQOLなりという福祉用語の言葉も少しは勉強しました。

 ただ「財政難」を理由に介護状態の軽微だと思われる要支援1・2や要介護1・2の人達を介護保険制度から切り捨てす政策を安倍内閣はやり続けています。「切り捨て」ながら介護離職ゼロなんぞ戯言を言っております。現場の発想ではありません。

 そもそも介護保険制度が発足した2000年に時点で、日本が急速な少子高齢化になることは予見できたはず。頭の良い国家官僚はわかっていたはずです。それを今更社会保障制度を破壊する発言ばかりして、年寄り虐めするから景気は良くなりません。

 日本経済の6割は個人消費であり、個人資産の70%は70歳以上の高齢者です。社会保障に不安を与える政策ばかりやってますから、高齢者はお金を使いません。景気が良くなるわけがない。

 麻生財務大臣が「高齢者が老後のためにお金を使わないのはナンセンスだ」とかのたまわっていますが、恵まれた大金持ちの麻生さんではわからないのですよ。庶民の不安が。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.11.29

四国巡業に出ました。(その1)


_r


_r_2


_r_3


 高知自動車道路という山岳高速道路を走行して、四国巡業に行きました。需要先へのPR活動と年末の挨拶回りです。連続して宿泊して回れば楽ですが、超高齢者の両親の体調が心配なこともあり、日帰り出張です。10時間も走行するとやはりぼろの車は疲れます。

 1Mの建設費用が900万円もかかった高知自動車道路。高知県民は恩恵は受けたいます。仕事に観光に、フルに活用すべきでしょう。
_r_4
 今回は新居浜と高松を巡回しました。高知と異なり新居浜は工業都市ですね。異国へ来た気分。
_r_5


_r_6


 高松も商業施設が新たに出来たり変化してますね。需要先の事業所3カ所がすべて移転しており、移転先を探し当てるのに今日は苦労しました。時間を食いました。
_r_7

 昼食は屋島のわら屋のうどんですね。食後は異人館でコーヒーを飲み長距離運転を癒しました。次は徳島方面へ行く予定です。
 _r_8

_r_9


_r_10


 高松のお客さんのところは市内でも郊外。農村風景です。
_r_11

 山越えしてまんのう町の小谷鐡穂さんところと、森近さんところへ寄りました。さすがに少し疲れました。木曜日は徳島遠征を予定しています。
Moritika_r


| | コメント (0) | トラックバック (0)

龍文堂が12月1日に城見町で開店

_r_3


_r_4

 2016年8月31日に惜しまれつつ閉店した80年の歴史を閉じた水谷龍文堂。このたび従業員の西森さんが、「龍文堂」という屋号を引き継ぎ、画材。ガクブチお制作の専門店として高知市城見町に、2016年12月1日に開店します。
_r_5


_r_6


_r_7


J_r

 水谷龍文堂は叔母の店でした。今年3月に体調を崩し長期入院。回復が思わしくなく廃業を決意。伝統は形を変えて西森さんに継承されることになりました。ご繁盛されることを願います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.11.28

「地震列島に生きる覚悟」

 「”地震列島に生きる覚悟”東日本大震災と熊本地震から何を学び、南海地震・津波にどう向かうか」というテーマで、2016年11月26日に下知コミュニティ・センターにて講演会がありました。講師は山本明夫氏(元NHK記者・現松陰大学教授)でした。主催は若松町自主防災会(横田政道・会長)でした。
_r_8

 山本明夫さんんは高知市のご出身。NHKの報道記者をされておられ、阪神大震災や、中越地震、東日本大震災を取材、退職後も熊本地震の現地へ何度も訪問されておられます。講演冒頭から、2011年3月11日の東日本大震災の時のNHKの番組が編集され視聴しました。
_r_9


_r_10

 津波が押し寄せる気仙沼や釜石の様子は5年経ってみても驚愕することばかり。」最初の報道では、津波注意報でありましたが、画面ではだんだん津波が大きくなり、車が通過していた道路が浸水し、水没して行く有様が映像になっていました。

 最初は何ともなかった気仙沼港の石油タンクが、やがて傾き、破損して、流されていきました。釜石でも何台もの車が津波に流されていきました。
3_new_r

「津波は物凄い力で押し寄せます。津波が30㎝の高さで来れば歩けません。2Mで木造の家は浮き上がり流されます。下知地区の場合は高台がないので、5階建て以上の丈夫な建物に駆け上がることです。」
_r_11


4_0001_new_r

「地震発生後5分で逃げてください。市役所のハザードマップには30分以内に到達などと書いてあります。もっと早く来るでしょう。」

 東日本大震災での津波の様子を見せていただきました。改めて気が付きました。津波のスピードが予想以上に早いです。海の近くで津波に遭遇したら到底逃げられるものではありません。
_r_12

 また山本さんは、「覚悟」を常に持っていないといけないと言われました。

「1)大地震はいつ起きるかわからない。

 2)起きた時の準備をしよう。

3)正しい情報をキャッチする。

 4)火事を起こさない、避難の訓練をする。

 5)防災グッズの準備・保存食・水を備蓄する。」

 「防災備品として、アルミシート’防寒用)と笛、マスクは必要です。」
_r_13


6_new_r

 「最近ではポータブル蓄電池などもあります。ソーラー・パネルと組み合わせればかなりの電氣を確保することが出来ます。」

 また山本さんは下知の事情にも大変詳しいです。空港到着後、お迎えに行かれた横田政道さんと下知地区を車で巡回されたとか。各地の被災地を見られたことからの提案をいただきました。

「青柳公園あたりから、丸池公園、下水処理場あたりまで、5Mは最低嵩上げ盛り土します。そこを避難場所にします。そこをつくれば数千人の住民が逃げることができます。

 そうなれば支援物資も来ます。また浸水した地域が復興するまでそこへ留まり生活することも可能です。トレーラー・ハウスやキャンピングカーを全国から集めレンタルします。

 体育館のような場所に密集して生活する非人間的な避難生活をするべきではありません。」

 一種のスーパー堤防をつくり避難拠点とするだけでなく、復興j拠点とする発想はいいなと思いました。大変参考になりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.11.27

はりまや橋商店街の100円市

昨日の早朝は五台山市民農園で雑草引き。戻ると父(97歳)の付添でゴルフ・リハビリ。昼食後は田辺浩三さんを偲ぶ会。夕方は若松町防災会主催の防災講演会。

 途中はりまや橋商店街では「100円市」を賑やかに開催されていました。

100en_r


_r


_r_2


| | コメント (0) | トラックバック (0)

長者での稲刈り体験の写真です。


_new_r

 2016年10月13日(木曜)に仁淀川町長者地区での稲刈り体験に参加しました。長者小学校の農業体験授業に参加させていただきました。高知市二葉町からは荒木三芳さんと西村健一、田植え体験にも参加された吉川真由美さんが参加しました。

 長者だんだんクラブの皆様が集合写真を撮影していただきました。長者地区との交流は4年目を迎え、今年も11月3日の「昭和秋の感謝祭」に来ていただきました。11月5日の「長者キャンドルナイト」には、二葉町関係者8人が参加していました。

 私たちにすれば「もしもの時の疎開」を前提とした「顔の見える交流」をしています。東日本大震災から5年半が経過しましたが、未だに、市町村相互支援協定なども締結されておらず、公助の支援は全くありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.11.26

「浩三を語る会」に参加しました。

 2016年11月26日は、父(97歳)の昼食が終わり、洗い物をして12時半過ぎに出掛けました。家内は組合の婦人部の食事会へ出掛けていましたが、3時までに帰宅するとこのと。4時過ぎにディから戻る母の受け入れをお願いしました。
Tanebe


 高知市龍馬の生まれた町・記念館にて「浩三を語る会」が開催されました。
 去る9月10日に急逝された映画人田辺浩三さん。こちらの話は一切聞かず、一方的にお気に入りの映画の話をすえう田辺浩三さんでした。無理強いされていくつか映画を見せられましたが、駄作はなく。良い映画ばかりでした。
T_r

 葬儀は行けなかったので、偲ぶ会へは行きました。知り合いも何人かいました田辺浩三さんゆかりの人達が、5分間で田辺さんとのエピソードを話されていました。
_r_23


_r_24


T_r_2


T_r_3


T_r_4


T_r_5

「こちらの都合などおかまいなしに押しかけてきて映画の話を熱く語る。しかも大きな声で。見せられた映画はいい映画ばかりでした。」

「時代を読む力を映画で、表現していた。体を悪くされていたのでお酒を飲まない人でしたが、映画の話をすると止まらない人でした。」

「朝倉にお住まいだったので、大学へは良く来ていて授業も熱心に聴講され、質問もされていました。教官をやる気にさせる人でした。」などその人なりのユニークなエピソードが披露されました。聞いていて退屈はしませんでした。

 休憩を挟んで音楽アーティストである堀江真美さんのライブもありました。40年帆ほど前から田辺浩三さんとの交流があったそうです。田辺さんの周遊ルートの中に堀江さんの自宅もあり、時に迷惑なこともありましたが、お手紙が良くは入っていたそうです。田辺さんゆかりの曲を演奏し、歌ってくれました。
 T_r_6

 最後に娘さんの小夏さんの挨拶があり、田辺浩三さんを偲ぶ会は盛況のうちに終わりました。
T_r_7


| | コメント (0) | トラックバック (0)

父はゴルフ・リハビりに行きました。

 今朝8時50分頃の外気温は10度。寒いかなと思いましたが、風がないので寒くは感じませんでした。父(97歳)はゴルフ・リハビリです。
_r_14


_r_15


_r_16

 自己流の体操をして、水分補給。ゴルフクラブを杖替わりにして球を打っています。9・9・7・6の番手のクラブを順番に打っているようです。5番のウッドでも打っているようです。
_r_17


_r_18


_r_19


_r_20


_r_21


_r_22

 1時間ほどで125発を打ちました。戻ると父の昼食の準備です。母(91歳)は1日ディサービスに出掛けています。家内は組合婦人部の食事会へ出掛けました。父に留守を他ノンdで少しだけ出掛けます。母のデイの帰りが4時なのでそれまでに戻らないといけないです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«五台山市民農園へ行きました