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2004.02.24

市民力について

 高知県議会で橋本大二郎知事は「公共サービスを行政主体で担ってきたこれまでの在り方から「住民の知恵と力を生かした地域づくり」への転換を強調、NPO(民間非営利団体)との連携強化や16年度から50人に増員する地域への職員派遣など、4期目の公約で掲げた「住民力」を引き出す取り組みの具体化へ強い意欲を示しました。
 しかし私はその「構想」には不安を持っています。肝心の議論を県庁内で十分にしているのか?ということです。NPOにしても現実には「流行」でこしらえたようなまがいものもたくさんあるからです。
 その活動の最先端の一翼は、「ぷらっとこうち」が担うべきだったし、そうであるならば550万円の県費の投入も、この財政難でも許されたと思います。しかし残念ながら「書き込みがしにくい」「まちづくりの事例を紹介するリンク機能も制約する」県民が使いにくい「公共掲示板」ゆえに、その役割を担うことが出来ませんでした。
 住民力は、「市民力」という定義でIMIDAS2004(1049ページ)にもあります。アメリカの社会学者S.アーンスタインは住民参加・参画のありかたを8段階に規定しています。
 下から「あやつり」「セラピー」「お知らせ」「意見聴衆」「懐柔」「パートナーシップ」「住民への権限委譲」「住民自治」です。「6~8段階からが、意思決定過程への関与を保障する真の意味での市民参画ある。」とされています。
 橋本知事は、その高い段階での「住民力=市民力」に期待していると思います。残念ながら現実がともなっていません。なるほどぷらっとこうちの事務局も県職員と民間人で運営されてはいます。しかしその選定過程で、多くのまちづくり運動の可能性を排除してしまうという致命的な過ちを犯しました。
 行動履歴がすべて物語っているのです。登録者数の少なさ。書き込み者の少なさ。アクセス数の少なさにすべて「体現」されているではありませんか。
satou.JPG

 高知県庁のどの部署が「住民力」の引き出しと応対できるのでしょうか?私は小規模な実験事例ですが、毎週金曜日にランチタイムに開催される「はりまや橋サロン」こそ高度な段階の「住民力=市民力」であると思います。もう「机上の空論」はやめましょう。はりまや橋サロンで青空の下、七輪でスローフードを楽しみながら知らない人同士で交流し、weblogサロンで「自己表現向上」にも努めることができます。県庁職員の皆さんも地域住民と対等な立場で「わいわい」やりませんか。

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