7分の1夜須町民でした
1週間に1度は夜須へ行きました。つまり私は「7分の1夜須町民」でありました。1985年(昭和60年)に私は夜須でヨットを始めました。同じ年に高知青年会議所(JC)にも入会しました。
ヨットはだいたい日曜日たびに夜須へ行きセーリングしました。夏から始め、秋が来まして、冬も帆走しました。ウェットスーツを着て、真冬はドライスーツを着込みましてセーリングをしています。
雨の日や、用事もありましたので、平均しますと月に2回程度夜須へ行きました。ヨット以外にも、夜須では会合があったり、委員に選ばれたりしましたし。つまり夜須には親戚も取引先もありませんでしたが、通っていましたね。
20年間で月2回としましても年間50回、20年間で1000回夜須へ行ったことになりますね。
利害がないから客観的に夜須の様子がわかりますね。最近高知県は「地域支援員」とか、「地域の元気応援団」とか県職員を市町村役場に派遣しています。私などは20年前から趣味のヨットを通じ、夜須の多様な人たちを知っています。ですが、その県職員の地域応援団の人たちが一体何をしているのか、私は知りません。
そんなわけですから、夜須の関係者でも「けんちゃんのどこでもコミュニティ」には、何人も出演いただきました。丸岡克典さん、清藤真司さん、ミスマーメード谷マリンフェスティバルの関係者、塩井政利さん、安芸誠一さん、名倉海子さんたちですね。
かつては一緒にセミナーを開催し、アメリカ研修へも行きました。マリンタウン計画で町が2分したときも、どちらの主張の人たちとも私は交流がありました。町の様子を海の上から客観的に見ていたのです。
その町も3月1日から周辺町村が合併し「香南市」になります。清藤真司さんが市長にトライされておられますがどうなるのでしょうか?行政区画が変更されても私は夜須の海へは行くと思います。
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コメント
下から2枚目の写真はメリーランド州アナポリスのマリーナへ行った時ですね。左から浜口浩一郎さん、宮尾さん、丸岡克典さん、安岡正博さんです。このあと遊覧船に乗り、全貌を見ました。(1988年の東海岸旅行です)
下のはしの写真は丸岡克典さんが中心。西海岸のあるビーチです。ボードウォーク(木の道)が海岸にあります。このボードウォークは、丸岡克典さんが強固に主張され、現在ヤ。シーパークに600メートルのものがありますね。こちらは1987年ですね。
投稿: けんちゃん | 2006.02.20 09:14