特定市民とプロ市民について
何かと自己主張の強い人たちを揶揄して(というか蔑視して)、「特定市民」や「プロ市民」という言葉を使う人達がいるようです。そこで言葉の意味を調べてみました。
まず「特定市民」ですが、最初に使用始めたのは共産党の人たちのようです。なぜ繰り返される「特定市民」問題。
(高知市役所本庁舎)
「高知市の業務に関わって市職員にささいなことから執拗に「苦情」をふっかける「特定市民」の圧力に屈して、幹部職員が「解決」のため現金を支払い土下座をさせられたり、「特定市民」が経営する飲食店に通わされるなど考えられないことが行われていたことが高知市政の大きな問題になっています。」(2004年9月5日 高知民報)
利害が絡んでいて、行政職員幹部に不当な圧力をかけ、利益誘導する人達のことでしょうか。
一方「プロ市民」という言葉は、いろんな解釈があるようです。
これはインターネット辞典であるWkipediaに掲載されていますね。
プロ市民は以下のような言葉である。
1)「自覚・責任感を持つ市民」(=プロ意識を持つ市民)を意味する造語。余り普及していない。
2)一般市民を装い市民活動と称して政治的・営利的な活動を行う(とされる)者を指す造語であり、批判又は誹謗中傷する目的で使用される隠語(スラング)、蔑称。ほとんどの場合、こちらの意味で使用されている。 Wkipedia
プロ市民
(高知県庁本庁舎)
1)は「プロ意識を持った市民」という前向きな意味で使用されていたと思いますね。行政にないものねだりをするのではなく、自力で専門性があり、解決能力を持っている市民層でしょうか。
アメリカの都市再開発関係の本を読みましても、都市計画の中での検討委員会にこのような市民が出てくるようです。専門性があって非営利で活動する人たちですね。街並み保存運動とか歴史資源や環境デザインプロジュースなどが出来る人たちのようです。
2)は民間掲示板などでよくみられる俗語。というか蔑称用語。
論調は「そもそも手弁当でこのような活動にのめり込むことができること自体が普通ではなく、初めから金持ちであるか、特定思想を喧伝して寄付を集めているか、何らかの利権で生計を立てているに違いない。そうでなくとも、通常の市民生活を営みながら行うことが可能とは考えづらい。例え可能であったとしてもそれはごく少数の人だけであり、それ自体が普通でなくそのような者が市民と称して活動することには違和感がある。」(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2)の意味で新聞社やテレビ局など「プロ市民」という表現は使用していませんので、一種のスラングなのでしょう。
電子掲示板等での「レッテル貼り」で使用されているようですね。平和運動や環境保護運動をしている人たちまで「プロ市民」とレッテル貼りをして、主義主張に耳を塞ぐ偏狭な感覚の人たちによって使用されているようです。
確かに労組や政党の専従の人たちは職業で活動しています。「プロ活動家」と言われたらそうであると思います。しかし大多数の平和運動や環境保護運動を展開している人たちは報酬とは無縁で、むしろ持ち出しばかりでしょう。ただ運動自体も旧来型で「まどろこしい」形態も多いですね。それで揶揄されているのでしょう。
どちらの言葉も「レッテル貼り」であり、多用することはその人の品性が疑われる言葉と言えるでしょう。
(沖縄での米軍基地移設反対運動の様子。主張に耳を貸さず「プロ市民」がどうのと言うのはいかがなものか。)
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