西村 今月のゲストは団塊の世代であり、昨年11月に2年間の限定で高知へ帰郷された田植光男さんです。18歳で高校を卒業して以来、大阪、東京とで生活されてきました。
ブログも「プランテーションプレイス」というタイトルでこのほど始められました。
今回のテーマは「コミュニケーションをどうつくりますか?」でお話をお聞きします。
田植さんは東京時代にも仕事関係以外のネットワークを広くもたれています。高知へ戻られてからの交流も継続されていますか?

田植 もちろん続けています。4月初めと5月の連休に東京から友人も来ます。こちらから上京して交流することもあります。
しかし、高知へ来ますと会いたい時にすぐに会えるという訳には行かないので、だんだんと疎遠になってきます。そこで、けんちゃんに薦められましたが、ブログなどを利用して、近況報告や情報交換などをして交流を継続することも有効なことですね。
西村 ブログも始められました。ユニークなタイトルですね。「プランテーションプレイス」です。どのようにブログを活用しようと思われていますか?すくなくても安否情報にはなるとは思いますが・・。
「おれは田舎で元気です」というメッセージにはブログはなるとは思います。
田植 ブログをはじめたと言っても・・・まだはじめたばかりです。そうですね。人のブログを参考にさせてもらうと、個性と言うか自分を旨く表現していますね。言いたい事をカテゴリー別に旨くまとめて、いろんな情報を発信して社会的な問題提起なども行っていますね。
私は、ブログの活用については正直、まだ漠然としていますが、まあ・・高知のことや高知での生活ぶりを東京などの友人に発信していくことからはじめようかと思っています。
「プランテーションプレイス」はうちのカミさんが考えた名前で、いずれ福島の白河近郊に転居したとき誰でも集えるコミュニケーションの場を「プランテーション」と名づけて提供したいと思っています。
「プランテーション」は田植 からとった名前で、種蒔き・植付け、育て、育成していると言う意味を含んでいます。プランテーションと言う空間を多くの人々に理解してもらうために、ブログを旨く活用したいと思っています。

西村 2年間高知におられ、その後は奥様の出身地の福島県白河市で生活されると聞きました。交流拠点をつくる。そこで「寄り合い所」をこしらえると聞きました。おかまいない範囲でどのようなことをされるの「構想」をお話ください。
田植 そうですね、「公民館」なんて言う友人もいます。「地域のなかに多様な文化を提供し、老若男女を問わず気軽に人々が集うような憩いの場所にしたい。」思っています。
カミさんの姉と同じ敷地に住むわけですが、大きな材木屋を営んでおり、今は息子が継いでます。地域で顔も広いので、協力を受け、私たちも家業の助けになればと思っています。
食事もでき、飲み物、お酒やワインも出します。かといって食堂でも飲み屋でもなく、学校帰りの子供たちが勉強や宿題をしに立ち寄るような。そんな空間を作りたいと考えています。そのためにカミさんがデザイナーをしている関係で 衣類や小物類。
また、二人でこれまでつちかってきた友人の協力を得て陶芸家や染物家、地元のアーティストの作品の展示会や小さな演奏会や真打の落語会などを時々行いたいと思っています。
カミさんは「多目的ギャラリー」なんて言ってますが。
また、ビール継ぎの達人やワインのソムリエなどに来てもらって、楽しみながら地方に都会の文化を、都会の人たちには地方の良さを感じられるようなそういう事も提供したい。
西村 公民館といえば自治体ベースのものですが、それを民間で経営し運営するので自由度はありますね。
沖縄本島北部には「共同店」という小売の店があります。村のよろずやですが、商売だけではありません。食堂になったり、託児所になったり。子供たちが宿題をしたり。親父たちが集り飲み会をしたり。
共同店の歴史は100年以上あり、その収益で昔は地域に電灯をひいたり、奨学金をだしたりしていたそうです。最近東北にもできたそうです。物の売り買いだけでなく、人と人とのコミュニケーションに役立つしくみのようですね。
田植 はりまや橋商店街でも同じような構想を聞きました。それはみなが貴重な本などを持ち寄り、交流スペーズを持つことですね。わたしも福島の白河では日頃好奇心をもって集えるような書籍、絵本、ビデオ、DVD等も提供して行く予定です。芝居、小説の本もあります、
でも採算面はどうでしょうか。私たちが生活できればそれで良いのかなと思います。

西村 東京でのコミュニケーションと地方でのコミュニケーションのとり方は違いがありますか?高知へ戻られて違和感を感じられることはありますか?
田植 今はやりの携帯やメール、ブログなどの活用では違いはないと思います。しかし、直接会うには交通機関や手段が少ないこと、コミュニケーションの種類と言うかいろいろな集まりの内容が少ないと思われる。
ただ、ブログなど交換し合って活用して、いろんな人々の情報をキャッチすれば、結構この高知でも集会や催し物もあると思います。。東京とは違った、高知独自のコミュニケーションも取れるのではないかと期待しています。そう考えるとそれほど違和感は感じません。
西村 田植さんは高知での2年間という限定された時期をどのように活用しようと思われているのでしょうか?

田植 せっかく故郷の高知に来たわけですから、いろんな方面に好奇心を持ち、活動して行きたい。高知が素晴らしい所であることが、今回帰郷して実感しています。
県内を隈なく出かけたいと思っていますし、高知でしかできない経験をしたいですね。ケンちゃんにもいろいろ教えていただいて。
西村 最近の若い人は「コミュニケーション能力が低い」とも言われています。そのあたりはどう思われますか?
またどうすればコミュニケーション力はアップするのでしょうか?
田植 最近二十歳代とはあまり話をする機会がないですが、確かに、自分や仲間内だけに閉じこもり、それ以外の世界に関心がないような感じがします。そして、他者とも携帯やパソコンなど「人を媒体としない関係の中に自分を置く」ような感じもします。
でも先日、森林間伐のボランティアに女子大生がいきなり来て、お爺さんに近いような叔父さんたちに間伐の指導を受けていました。熱心に質問したり、会話が弾んでいました。
彼女はインターネットで事前に調べてきたようです。ブログなども活用次第でいろんな情報や仲間が作れますね。
つまり、個人・人それぞれと思います。若い人にも好奇心や関心を持ちコミュニケーションをとりたい人は沢山いると思います。若い人に限らず、そんな場を提供して行くことも大事ではないでしょうか。私たちが福島でやりたいのもそのような場所を作っていきたいと思っています。
西村 東京での経験、高知でのこれからの経験も複合化しながら、白河での生活に役立て行かれるわけですね。
田植 場をつくることがどこまでひろがるかでしょう。東京をはさんで、東北と南国との交流とか。面白い交流になるやもしれません。
そういう可能性はありますね。
西村 距離の問題はインターネットの道具がいろいろできましたので、きにしなくて良くなりました。スカイプもありますし。携帯電話やブログもありますし。
新しい道具の活用は中高年世代は苦手です。若い人たちに教わりながら、コミュニケーションを深めていくことが必要ででしょう。

田植 福島の甥っ子達がやっていますし、かれら彼女らのボランティア活動もしているのでネットワークもあるでしょう。さきほども言いましたが、地域の中に多様な文化を提供できる場を作りたいと思います。
食事もでき、飲み物、お酒やワインも出します。かといって食堂でも飲み屋でもなく、学校帰りの子供たちが勉強や宿題をしに立ち寄るような。そんな空間を作りたいと考えています。そのためにカミさんがデザイナーをしている関係で 衣類や小物類。
また、二人でこれまでつちかってきた友人の協力を得て陶芸家や染物家、地元のアーティストの作品の展示会や小さな演奏会や真打の落語会などを時々行いたいと思っています。
カミさんは「多目的ギャラリー」なんて言ってますが。
また、ビール継ぎの達人やワインのソムリエなどに来てもらって、楽しみながら地方に都会の文化を、都会の人たちには地方の良さを感じられるようなそういう事も提供したい。
あそこへいけば面白い、なんかがある。そういう場所になれば良いと思います。
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