ビオトープと歴史を感じる新堀川
高知市中心部を流れる小河川の新堀川。北は江ノ口川、南は堀川につながる運河として江戸時代に町人達(今で言うPFI方式というのか民間活力で建設されたといわれています。
山内家2代藩主の時代で1620年ごろだといわれています。昭和の頃まで高知県内で切り出された木材を筏にして浦戸湾から江ノ口川をさかのぼり、新堀川へ来て、大正橋のすぐ南に少しだけ残存している階段護岸から材木を荷揚げしていたようです。
新堀川は海につながっていますので、潮の干満に関わらず材木を荷揚げできるための階段式護岸だったということ。その岸辺は材木町と言われ、高知の大工が集っていたようです。道路計画(県道はりまやー一宮(いっく)線)ではこの階段護岸も道路工事で埋められるようです。
またここ最近の環境改善が進み、浦戸湾全体の水質が改善。その影響で新堀川にも魚類や蟹が良く見かけるようになりました。その大事な要素は「コアマモ」といわれる水草だそうです。
幼魚の隠れ家になるそうです。このコアマモの生息が目立つようになってからアカメを初め、多くの魚類が新堀川でみかけるようになりました。昨年は生態調査も新堀川でおこなわれました。
参考 「けんちゃんのどこでもコミュニティ」より
ソウルの親水空間清渓川復元事業の影響は?
(計画どうり道路になればビオトープも歴史資源もすべて台無し)
西岡謙一さんにあるべき新堀川の姿のスケッチをいただきました。ビオトープと歴史資源を感じる新堀川です。新堀川を暗渠にし、埋め立てる道路計画とは大違いです。
韓国ソウル市の親水空間清渓川とは言いませんが、そういう余裕と文化と歴史と環境を大事にする姿勢を高知県庁はもつべきでしょう。
「環境」も「文化」も年度末の今頃誰も読まない印刷物のなかで予算消化事業で記述されるだけのものではありません。
目の前の現実を変えていただきたいのです。
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コメント
うみさとくじらさんコメントありがとうございます。
各人いろんな事情や立場があります。
「できることからすぐ実行」で良いと思います。
あのアンケートも意見の収集が目的です。それと「国民的課題」になることが目標です。賛成も反対もいろんな意見が少しずつ寄せられてきています。
あまりにみんなの関心が低く「環境おたく」的な環境原理主義的な主張ではゆがめられて伝わりますし。
きちんと情報をとる意味でもより多く情報を発信していないと受信もできないからです。
投稿: けんちゃん | 2007.02.16 17:56
こんにちは(∩.∩)
コメントどうもありがとうございます
アンケートの件、貼りたい気持ちはあるのですが、
おつきあいの関係でどうしても貼ることができません
申し訳ありませんm(__)m
個人的には 核はどんな事にも使われるべきではないと
思っています
投稿: うみさとくじら | 2007.02.16 16:54