反核だけで動いたわけではないと思う
東洋町のその後はみなさんあまり経過をわかっていないではないかと思います。「反核ステッカー」は確かに有効でありましたが、東洋町の人達が皆「反核運動」「原発廃止運動」で動いていたかと言えばNOであると思います。環境原理主義者でもないと思います。
(女性のパワーが歴史を変えました。)
失業率が15%近くになり、町内に職場がない人の多い東洋町。お金を積めばなびくと思いきやそうはいかなかった。その原因は核のゴミ推進派の落ち度があり、あまりに行動履歴がひどすぎたと言うことにつきます。
沢山保太郎東洋町長はどんどん可能な限り、差しさわりのない限り町の情報公開をしています。役場前のコイン駐車場が町営だと思っていたらそうではなく、別の団体が全額吸い上げていたとか。白浜海岸も同じような状況。
いままで東洋町では一部の人たちだけに特権が認められ、既得権益化していたようです。今回の高レベル放射性廃棄物最終処分場の旗振り役もそうした人達が中心だったので、大多数の町民からNO!が突きつけられました。
情報公開と住民参加の手法をやればやるほど沢山保太郎町長の信頼性は上がるでしょう。そういう意味では今後の展開には私は楽観しています。
地元を元気にする「要の施設」が白浜海岸の道の駅構想であるので、沢山町長は素早く動いています。決して反核の成功に酔って手をこまねいているわけではありません。打つべき手は打ち、予想以上に素早く動いています。国や県との協議、県議会への働きかけなど実にスピーディです。
東洋町では「交付金にたよらないまちづくり」が成功しそうな気配がします。地方自治のありかたに一石を投じることが出来ると思います。今後も東洋町から目が離せません。
| 固定リンク
コメント