« 血小板献血 | トップページ | それでもオシム監督を応援しよう »

2007.07.10

いでよ平成の石橋湛山

 7月4日NHKの番組そのとき歴史が動いた。は石橋湛山を取り上げていました。「冷戦の扉を破ろうとした男 石橋湛山」というテーマでした。

 戦前は帝国主義と戦い、戦後は冷戦構造とたたかった日本の政治家。実は私が1番尊敬している政治家の1人なのです。2世3世の国会議員はやたら好戦的で勇ましい。資質もどんどん落ちています。小泉ー安倍は最悪の宰相ではないのだろうか。

 石橋湛山は戦前では東洋経済新聞で論陣を張り、「植民地経営するコストのほうが、収益より多いので赤字」「植民地を独立させ、自由貿易国として世界中と交易したほうが経済は遥かに豊かになる。」「大日本主義は滅亡の道。小日本主義でいくべきだ。」と軍部ににらまれながら論陣を張り続けました。小日本主義を提唱していました。

 戦後は大蔵大臣になると当時日本経済の3分の1になっていたGHQの経費の2割削減を成功させました。その恨みなのかGHQから4年間公職追放されますが、復帰後全方位外交を唱える政治家として活躍しました。

 そして昭和33年に首相になりますが、無理がたたり僅か2ヶ月で退陣しました。米国追随外交の岸信介氏とは対照的に、当時国交のない中国を訪問し、パイプを繋ぎ、それは後の後継者達により大きく評価されました。

 「日米中ソ平和条約」を提唱もしていました。その仲介役と推進役は日本でありました。彼の考え方でいけば[6者協議」は日本が主導でやるべきなのです。対米従属外交に明け暮れている外務官僚ではこの発想は出てきません。

 いびつな対米従属外交を繰り返し、アジア諸国から反感ばかりかっている安倍内閣。かつての自民党には石橋湛山氏という偉大な政治家がいたことを私たちは忘れてはいけないと思います。
20070707

|

« 血小板献血 | トップページ | それでもオシム監督を応援しよう »

コメント

 土門ケンさんコメントありがとうございます。
 ご指摘のとうりで、「歴史に埋もれた宰相」です。在任期間は僅か2ヶ月。でもその思想は大きい。

 後任の岸信介首相が対米従属外交に終始、強引なやりかたで国民に亀裂を生み出し安保闘争を引き出したのとは対象的でした。

 NHKも「そのとき歴史が動いた」で石橋湛山を取り上げていましたね。今こそ彼の思想や行動を検証し、今の時代に活用すべきです。

投稿: けんちゃん | 2007.07.30 14:09

石橋湛山の小日本主義の本を読んだとき、その経済合理性に感銘を受けた。日本人に一番欠けている「批判的合理主義」を身につけた人だった。後世には影響を与えることができなかったから、今後とも歴史の教科書にはでてこないだろうし、文部科学省は自分の立場を危うくする「批判的合理主義」の考え方など教育しないだろう。

投稿: 土門ケン | 2007.07.29 11:27

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: いでよ平成の石橋湛山:

« 血小板献血 | トップページ | それでもオシム監督を応援しよう »