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2007.08.29

橋本知事との対談その2 新堀川問題

 昨年の8月12日に対談しました。公共電子掲示板「ぷらっとこうち」に関する問題で議論をしたことは既に当ブログにて報告いたしました。もう1つの県政上の大きな課題があります。それは新堀川の問題です。
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(新堀川 横堀公園付近 四国銀行木屋橋支店近く)

 新堀川は江戸時代の初期、2代藩主時代に町民たちが藩主に申し入れ、自分達で掘削ー建設したのが新堀川でした。今で言う民間活力(PFI)方式で公共事業をやり遂げたのです。

 江ノ口川と堀川を繋ぐ重要な役目が新堀川でした。今話題の階段護岸は物部川上流で伐採した材木を筏にし、船入川から浦戸湾へ運び、江ノ口川から新堀川へ運搬。材木を運び上げました。潮の干満に関係なく荷揚げできるように階段桟橋になっていたと言われています。
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 背後地は材木町と言われ、大工達が集り家屋の建設に従事したと言われています。当時の主要な交通手段は船舶でした。新堀川周辺は産業集積拠点で長くあり続けました。
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 それゆえ岡本寧穂の土佐南学塾や、武市半平太の道場などが新堀川周辺にあり、中江兆民の生家跡も破壊された大正橋にすぐ近くにあります
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(幕末に1000人の弟子がいたといわれる土佐南学の岡本寧穂邸跡)

 短い流れの新堀川ですが歴史的資源の宝庫です。また市民と行政の努力のお陰で浦戸湾の水質が改善、新堀川階段護岸付近で県レッドデーターブック絶滅危惧種A類に指定されているシオマネキが生息しています。アカメも幼魚が新堀川で確認されています。
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(新堀川に生息する絶滅危惧種のかにであるシオマネキ)

 ぞの事情は橋本知事も承知のようでした。個人的な意見としてこういわれました。
「僕は新堀川に蓋をして暗渠にし、道路をこしらえることには反対だ。副知事も同じ意見です。お城の西のマンション建設にも反対。」とのことでした。

 昨年9月の県議会にて吉良、坂本県議は「新堀川問題」を知事に質問していました。答弁は「計画の変更も含めて検討する。」というものでした。

 しかしその後、大正橋は破壊され、鉄骨の仮設橋が階段護岸に迫りつつあります。8月13日は新堀川知行合一塾でも報告のとうり、シオマネキは捕獲され、いずこへと連れ去られてしまいました。未だ場所は不明だそうです。

 以前にもこのブログで書きましたが、橋本知事は退任前に、新堀川問題を決着していただきたい。そして夜須の大手の浜のマリーナ建設凍結されたように新堀川の道路工事も環境と歴史資源に配慮するように大幅な計画変更をすべきでしょう。

 そして遊歩道と観察所を設け、貴重な都市内のビオトープとして都市再開発に活用すべきでしょう。それは高知市の愚かな再開発計画「土佐橋歩道橋」計画も中止にさせ、新堀川の周辺整備に予算を有効活用すべきでしょう。

 8月30日に新堀小学校コミュニティホールにて、1年1ヶ月ぶりに県の説明会が午後7時から開催されます

 都市再開発問題や環境保全問題に関心のある県民は傍聴いたしましょう。
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 8月30日の高知県高知駅整備事務所主催の住民説明会に関する資料は下記PDFファイルをダウンロードしてください。

「shinbori-setumeikai.pdf」をダウンロード

 その説明会が単なる「お知らせ」もしくは「形式的機会増大」のまやかしなのか、住民と県との「パートナーシップ」になるか高知県庁の成熟度がためされますね。どの程度市民と向き合い、情報公開ができるのか?

 職員がだらだらとプリント読んで時間つぶしをする説明が30分以上続けば、それは住民対話集会といえるものでは到底ありません。

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