県政20年 溝渕増己著を読んで
近くの図書館の郷土作者コーナーで、随分前に高知県知事をされていた故溝渕増己氏の「県政20年」という本を読みました。回顧録でありますね。
溝渕増己氏は昭和30年から50年まで通算20年、5期にわたり高知県知事を努められました。出身がいの町で父と同じ集落の出身。親戚筋も近いので、なんとなく親しみがあります。
長い間警察官をやられ、独学で高等文官試験に合格。ノンキャリアで警察官僚になった人。縁があり高知県知事になって20年間奔走していました。
つまり「もはや戦後ではない」昭和30年からスタート。高度成長時代から、時代は日本が先進国になる時代と併走。今の高知県の骨格をこしらえた時代の知事でした。
高知県庁の新築。県立中央病院、国立高知高専の誘致。高知医科大学の誘致。早明浦(さめうら)ダムの建設。国道32号。33号、55号。56号の整備。浦戸大橋の建設。仁淀川橋の建設など、社会基盤整備が十分にやれた時代。
室戸の国定公園と足摺国立公園が指定になり、溝渕知事時代にペギー葉山の「南国土佐を後にして」が大ヒット。空前の観光ブームとなりましたし。なにもかにもが上り坂の時期でもありましたね。いまほど地方が寂れていませんでしたし。
一方繁藤大災害や、台風10号(45年)や、台風5号(50年)などの大水害の時期もあり、災害対策に公共土木が活躍した時代でありました。
県の予想人口を92万人とし、そのための計画作りを県庁を挙げてやっていましたね。今の県人口は80万人を割り、、20年後には60万人台とも予測される有様ですね。
良くも悪くも溝渕県政時代の20年は、「高知県のピーク」の時期でもありました。
橋本大二郎高知県知事はどんな「回顧録」を書くのでしょうか?
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