政治のありかたを考える
最近今年逝去された城山三郎氏の随筆を読みました。そのなかで政治のありかたについてコメントされていました。
「昔の政治家は家も塀も井戸も全部政治活動に使い果たした。ところがいまはどうですか?蓄財ばかり。しかも相続させる有様。国民と政治家の意識は離れるばかりだ」
全体の奉仕者である筈の政治家が、私利私欲のための「政治屋」に堕落して久しい。また日本人はお上依存意識が強すぎる。政治屋に頼らず自分で自分の地域をよくすることを普通の市民が行動すればいい。
故小田実氏も同じようなことを言われていますね。「普通の市民が、だれかれに関係なく政府に異議を唱える。デモをする。もっと日本人は行動しようと。
黙っていたら核廃棄物処理場もどんどんつくられるし、憲法だって改悪されるでしょう。ふつうの名もなき市民が真剣に政治のあり方を考え、行動すれば社会は大きく変わります。
高知は自由民権運動のふるさとの1つと言われています。社会運動は博物館に入れて鑑賞すべきものではありません。実践しないと、無意味です。
どんどん直接行動をすべきです。
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