中内力「県庁わが人生」を読んで
この本も近くの図書館で借りてきました。橋本大二郎知事の前の高知県知事だった人。4期16年勤められました。タイトルどうり、昭和10年に高知県庁に入庁、役職を経て副知事までしておられたので「ミスター高知県庁」と呼ばれておられたようです。
その前の知事である溝渕増己氏が5期20年されておられました。中内氏は溝渕氏の5期目に挑戦を決意するが保守分裂を心配した自民党関係者に止められ、「次回は中内で」という念書を出される。
ところが次回も溝渕氏が無所属での出馬も想定していたらしく、「約束が違う」と両者で紛糾、結局ドクターストップで溝渕氏は断念し引退しました。前回の「念書」が役に立ったようです。しかし両者の支持県議の亀裂は大きく、中内県政のスタートは厳しいものでした。
高知空港の拡張、高知新港の着工、県立美術館、春野運動公園、高知自動車道の着工など大型公共工事の多い中内時代でした。
反面窪川町に原子力発電所を誘致しようと動きましたが、地元の反対運動や、チェルノブイリ事故の影響もあり断念しました。
三菱電機やカシオの企業誘致にも成功していました。窪川だけでなく、夜須町のマリンタウン計画での強引なマリーナ建設など強引さも目立ちました。
また土佐清水市大岐の浜を西武の堤義明氏に売り飛ばそうとしましたが、賢明な地元住民の反対で事なきを得ました。その後の堤義明氏の行動からして売らなくて高知県は良かったと思います。
地元の人達の賢明さが大岐の自然を守り、海癒につらなっていきますね。
その中内知事の公設秘書をされていた十河清氏が、橋本知事の後継にという声もあるそうです。
中内知事の提唱したマニフェストである「国民休暇県構想」は良かったのではないかと今でも思います。バブル的なリゾート開発とは一線を引いていたのですが・・
「国民休暇県構想。
青少年版として1988年当時ロックコンサートを企画したことでした。」
| 固定リンク
コメント