近森正久さんのこと
2002年の高知市長選挙に続き、県知事選挙に立候補された近森正久さん。今回の立候補は、ある学校法人理事長として自らテレビCMに常時出演されているのでありえるかなとは思っていましたが、驚きました。
近森さんとは高知青年会議所時代には同時期に活動していました。1988年に日本青年会議所全国会員大会を高知で開催しました。わたしは記念事業の野外ロックコンサートの責任者でした。近森さんの働きかけで高知大丸に冠スポンサーになってもらい、高知青年会議所理事会での近森さんのサポートもあり、実現することができました。
1992年は近森さんは高知青年会議所の理事長になりました。近森さんに依頼され私は副理事長をしました。大変リスクの高い「天使の翼」(障害のある子供達を東京ディズニーランドへ連れて行く事業)を実現しました。「都市再開発セミナー」の3年目であり、「快適都市3」を発刊しました。
(1992年の青年会議所が始めた事業はその後県外へも波及し、新しいビジネス・モデルになりツアーになりました。「快適都市3」でもとりあげました。)
近森さんは山本有二衆議院議員とは土佐高校時代の同級生。選挙も関わりました。その後1991年の第1回目の橋本大二郎知事の知事選挙や平野貞夫参議院議員の選挙にも関わられました。1994年の高知市長選挙には、松尾徹人さんの選対へ入られておられました。当時私とはチームが別でした。JC卒業後も政治的理念や政治思想は異なっていますが、なんとなく交流が不思議にありました。
2000年に高知シティFM発足時に近森さんは社長でした。それで「けんちゃん、番組をしないか。社会評論的な番組になればいい。」ということで、週に1回30分番組を提案されました。当時シティFMの常務であったDUKEの宮垣睦男さんに「朝の通勤時間帯での15分番組を毎日やれば」と言われ、「けんちゃんの吠えるウォッチング」というヘビーな番組をやることになりました。開局以来形を変え7年続いています。
近森正久さんの政治におけるスタンスは「敵か味方か」でしょう。理想の政治、あるべき地域社会のモデルは近森さんが尊敬する母方の祖父である野村茂久馬氏です。
「野村のおじいさんは高知の産業の基礎をこしらえた。かつては高知駅から鏡川河畔まで野村家の土地だった。おじいさんが亡くなってからグループが解体した。西山や入交(いりまじり)、四国運輸、旭食品などは新興勢力である。彼らに高知の経済と政治を任せていてはいけない。」
「入交好保さんが早稲田の学生の時に桂浜の龍馬像を建立する募金を集めた時にも、野村のおじいちゃんは全面的に協力しました。」
近森さんの今回の知事選の詳しい政策はわかりません。思いは偉大な祖父のように高知県の為に働きたいということでしょう。ただ野村茂久馬氏を知っている人は高齢者になっています。
偶然にも私の母が子供時代に友人が野村家の親族だったため野村茂久馬氏の自宅(現近森病院付近)へ行き、車の形をしたチョコレートを野村茂久馬氏本人から直接もらったことがあるようでした。今から70年ほど前の話です。母は「茂久馬さんは黒塗りの車で家へ戻ってきた。おじいさんだった」という印象した持っていないようでした。子供でしたからそんなものでしょう。
近森正久さんがどういう政策で県民に訴えるのかわかりませんが、注目されるユニークな存在であることは確かです。2002年の高知市長選挙のときには15978票獲得されています。今回はどのような選挙戦略で活動されるのか注目しています。
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