ネットメディアのリテラシーとは? 12月21日(金)
西村 今月の「けんちゃんのどこでもブログ」は、ブログのありかたや、メディア・リテラシーについて、高知シティFMの戸田健史さんとやりとりをいたします。
今回のテーマは「ネットメディアのリテラシーとは?」でトークします。
年々インターネットの世界は拡大しています。しかし巨大化することによる弊害も現れ、犯罪者もネットを積極的に活用しています。政府もテロリストも最大活用しています。
フィッシング詐欺なども多数発生しています。防止する手立てはあるのでしょうか?
戸田 確かにインターネットを使い始めたばかりの人ですと、似たようなページ(例えばYahooと同じようなページ)がありますとそこへご自身のIDとパスワードを打ち込んで、みすみす盗まれてしまいます。それは十分考えられるわけですね。
ですから楽しいインターネットですが、事情に詳しい人が身近におられて、これは危険だよと言うのを知らせてくれませんとフィッシング詐欺など(IDとパスワードが盗まれたり)する可能性があります。
確かにインターネットは1人で作業する要素が強いものですが、みじかに事情に詳しい人がおられていたほうが、自分自身の安全の為にもなります。
例えば「偽ページ」を見分ける為には、URLをよく観察することです。これを忘れないで下さい。明らかに違っているURLはそれは怪しいということです。普段はあまり目にしない、ましては検索がすぐにできる時代です。ですのでURLなんてあまり見ることもないし、関心もないかもしれませんが、そこを注意深く見ておくことが肝心ですね。
西村 匿名性はネット社会の特色ではあります。よくある匿名民間掲示板(BBS)に書き込まれた情報の信憑性はどうなのでしょうか?何割ぐらい本当のことを書いてあるのでしょうか?
戸田 全くこれはわかりません。自分の持っている情報とあっている部分があるとあってるなということにはなりますが・・・。自分が「当事者」であったりするとBBSに書かれていることが全然違うぞということにもなりますね。
とにかく雑多になりすぎていまして、何が本当でなにがウソなのか。全くわからない。それが巨大匿名掲示板だったりするのですね。それが現状です・そこを理解されたうえでBBSなどを見るようにしてください。
西村 匿名掲示板で誹謗中傷された被害が問題になっています。自殺された人もおられましたし。事態が改善する兆しがあるのでしょうか?
かつて匿名掲示板で誹謗中傷されたイラクで人質になつていた民間ボランティの人たちは未だに精神的には立ち直れていません。どう考えれば良いのでしょうか?
戸田 インターネットのひとつの特徴である「匿名性」を使っていわゆる人を傷つけるということを実に簡単にやれてしまいます。そういうこともあるんですね。
罵詈雑言をBBSに書けば、対象となって人を傷つけることが出来ますし。実に手軽な「恐ろしさ」があります。だからといってすべて規制するのもおかしな話しになりますね。
「人を殺せるから刃物はすべて販売禁止」というのと同じ理屈になります。だからこれは教育の現場でインターネットの使い方を教えることです。倫理的な感覚、観点からの指導も必要であると思います。それを皆が身に着けていくことにしか改善の方法はないと思います。
また不法行為に対する処罰も厳格にする必要があります。
西村 匿名ですから、IPアドレスも偽装し、ネットカフェあたりからの書き込みをしているのでしょう。この不法行為を特定して、犯罪的な書き込み者を告発することなどはできないものですしょうか?
技術的には難しいことでしょうか?
戸田 完全に匿名になっているものを正体を暴くことはできないことはないでyそうが、難しい部分もありますね。捜査サイドより上回る技術で対抗されるとお手上げになりますし。
最近でこそ問題の書き込みがBBSなどにあった場合は、プロバイダーが捜査当局に協力して情報提供するとか。それがようやくできるようになりました。しかし動いているまだ僅かです。
未だにネット上で誹謗中傷を受けている人は多いようですね。だから警察の組織に頼る部分も必要ですが、こればかりは1人1人が自覚がたかまらないと駄目ですね。インターネットの上の「治安」は良くならないでしょう。
強い権力者がいまして、市民を力で押さえつけている状態があるとしましょう。その場合、市民同士が不法行為を働いていましたら、まとまるものもまとまりません。
西村 メディア・リテラシーというのは個人で情報を見抜く力とか。メデイァの信憑性はあるのかとか。正確にどう情報を発信していくか。人の情報をいかに正確に受け止めることが出来るのか。
情報発信力というか、批評能力というか。それを個人の能力を高めることにしか克服できないでしょう。ネットメディアに限らず普通のメディアに関しても同じであると思います。
(この人達のデマ宣伝に対抗して「メディア・リテラシー」は展開されていました。
西村 メデイァ・リテラシーという言葉ですが、今回はインターネットにくっつけていりいろお話をしていますが、実は新しい概念ではなくて70年ほど前からこの言葉はあり、実際に社会の中で活用されていました。
1930年代から40年代にかけてナチスドイツのデマ宣伝は有名でした。宣伝省という役所もありゲッペルスがその大臣で毎日日にち「ユダヤ人と共産主義者は悪魔である」「世の中悪いのはすべて彼らの責任」「ドイツ社会を脅かすのはユダヤ人だ。」とか映画やラジオや街頭行動や新聞。雑誌を活用し宣伝していました。
秘密警察に密告し、強制収容所に送還し虐殺した歴史がありました。
ナチスに対してイギリスでは小学校段階からデマを暴いてきちんと教えました、それがメディア・リテラシーですね。映画とかラジオとか当時のニュー・メディアをナチスが活用していましたから。それに対する教育を徹底的にしていました。
それがメディア・リテラシーの本質です。まさに戸田さんが言われたように「教育の力」でイギリス社会ではナチスのデマの力に打ち勝ったのです。
戸田 その時代にイギリスではされていたということは凄いですね。なのに日本ではネット社会が無法地帯に一部なっている。遅れていますね。
メデイァ・リテラシーという言葉自体もここ10年ぐらいでようやく社会にでてきた言葉ですからね。
西村 メデイァ・リテラシーという言葉がまだ日本語化していないので定着していない証拠ですね。
とはいえ災害救援上のネットBBSやブログは必要であると思います。当然電源や回線のバックアップが前提ですが、可能であれば市民サイトを立ち上げる必要性はあるとは思います。コミュニティFMもまさにそれですね。災害情報。生活情報支援ボイランティ情報すべてですね。
罹災地に何が本当に必要とされているのかを常に発信していくということが、大事です。支援ボランティアに来ようとする人も必要ですし、支援を受けようとする人にも情報は必要です。その場合はネットの力は大きいと思いますね。
戸田 災害に関する情報はいろんなメデイァに流す必要はあります。罹災された地域の人たちがどういうメデイァが使用可能なのかはわかりませんし。もしかしてテレビだけ見られる環境かもしれない。新聞は読めるかもしれない。携帯ラジオしか聞けない状態なのかもしれない。
いうならばインターネットだけ見られる状態かも知れません。多様なメディアで情報発信は必要ですので当然インターネットも必要です。
西村 WIKIPEDIAは善意で情報が書き込まれていたと思っていました。しかし最近中央省庁の役人達が勤務時間中に、役所のパソコンを使用して誹謗中傷の記述をしていた事実が発覚しました。大学でも学生に論文にはWIKIPEDIAの引用を禁止しています。引用は禁止だと。この問題はどう考えますか?
戸田 もともとはフリー百貨辞典ですね。誰もが参加できて、誰もが使うことが出来る。そのことについて詳しい人は書き加えて、書き換えてくださいというものですね。
それで大原則は「その事柄に関する当事者はできるかぎりその編集に参加しない」とういうことがありますね。実際にその事柄に詳しいのは当事者ですね。しかしその当事者は客観的に書くことが出来るのかといえば難しいところがあります。
そういうものを踏まえたところがメディアである。WIKIPEDIAあるのです。もちろん有益な情報もたくさんありますし。WIKIPEDIAに限ったものではありません。
そういうものであるのに大学生が論文制作に安直に利用するというのはいかがなものか。コピー、ペーストでは信憑性があてにできないでしょうし。
西村 ネットの場合は情報の発信源が不明の場合はあります。匿名。実名の信用度はそれぞれ何%程度であると思いますか?
一方グーグルのページランクはサイトの信用度と情報の信用度の関係あるのでしょうか?これもわかりませんね。わからない部分がかなりたくさんまだまだネット社会派ありますね。
戸田 そうですね。わからない部分が追及できればいいですが、できない部分もあります。グーグルのページランクにしましても、あくまでグーグルという1私企業が評価した数字に過ぎません。
そういうものだということで見なければいけないのですね。活字媒体や音声媒体でも映像媒体になっていりから「すべて正しい」と思い込むのはとんでもないことになりますね。
西村 どんな情報であっても自分の価値観や相手の意見を聞くとか。聞き取り能力、読み書き能力を「リテラシー」と呼ばれています。
やはりそこです。一方的に受信するだけでなく発信も必要です。発信するためにはきちんとした根拠が必要です。
そのためには調べなくてはいけないのです。やはり「読み書き能力」につきると思いますね。70年ほど前のイギリスのように小学校でやっていたことを、今の時代私たちもしなければならないと思います。
戸田 そうしないとメディアが崩壊しますよね。
西村 ヒットラーが「わが闘争」のなかで「ウソも100かつけば本当になるんだ」と言いますね。大衆は100回ウソをつけば信じるものである。とか平気で言っています。
国の指導者が宣伝行為でデマを流していましたから。当時のあらゆるメデイァを活用して世界中にばら撒いていました、大変な時代でした。
今の時代でもイラク戦争開始当時の「大量破壊兵器」なんてなかったのが今頃事実が明らかになりました。
しかし「9・11」直後はなにがなんでもイラクは悪で、攻撃しなければならない一色でした。それに逆らったタレントは干されていました。
戸田 自分で判断することでしょうね
西村 大変勇気のいることです。個人でも会社のレベルでもメデイァリテラシーというのが大事です。
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