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2008.01.16

異種の考えを認め尊敬する社会の構築を

 つくづく青少年時代を振り返り、間違っていたと思うことがあります。それは唯一絶対と信じていた当時の革命主義(毛沢東主義であるとかブント)が間違っていたということでしょうか。

 ようするに1神教的な思想は駄目ではないかと思うようになりました。自分達の信じている神や思想や党組織だけが正しく、他はすべて間違っている。日々の活動は正しい思想や考え方を間違っている考えで行動している人達に押し付け改宗させることである。そう本気で思い込んでいた時期もありました。

 しかし相手方もそう思い込んでいたとしたら、妥協の余地はなくお互いを撃滅するまで永遠に戦い続けないといけませんね。新左翼セクト間の凄惨な「内ゲバ」もそうでしたし、1972年の連合赤軍による仲間をリンチし「総括」と称して殺害することもそうでした。

 結局それはレーニンによる党組織運営のやり口である「民主集中制」といわれる組織論に起因します。「下部は上部に従う。党員は中央委員会に従う」という鉄のピラミッドの組織。レーニンの考え方は強制収容所と秘密警察と思想の自由、政治活動の自由を奪いました。ナチスは全くレーニンを裏返したパロディのようなものです。

 異教を一切認めない原理主義的な宗教も同じようなもの。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の原理主義者が争いを続けていましたら1000年経過しようが争いは終結しようにもありません。人類の知恵を武器や核兵器に費やす愚かさをその状態では永遠に払拭できないでしょう。

 最近の新自由主義という政府にとりついている魔物も、株主絶対主義であり、顧客や消費者の利益よりも株主や投資家の利益のみにしか配慮しないハゲタカ資本主義、最も品性のない資本主義そのものですね。規制が緩和されて誰が利益を得たのか、だれが不利益を被ったのか。少し日本社会や身の回りの地域社会を観察すればまやかしは明確です。

 日本も一時期、原理主義的な1神教の考えが支配した時代がありました。その結果無謀な世界大戦を誘発し、国土は焦土になり、多数の国民や近隣諸国の人達が戦争の犠牲になりました。

 敗戦後日本が急速に経済発展したのも多元的な価値観を認める社会になったからでしょう。政権政党である自民党が多様な価値観を認め、共有する国民政党であったからです。

 安倍晋三前首相は偏狭な原理主義的な思想で日本国を統治しようともくろみましたが、吉田茂氏が作り上げた戦後レジームの前にあえなく崩壊しました。共産党が支持が拡大しないのも1神教にとらわれているからです。

 参考ブログ記事「吉田茂とその時代を読んで

 日本ではキリスト教も1党独裁的な共産主義も広範な支持を集められません。ある意味とても健全な社会です。インドと日本が21世紀を担うと思います。

 ローマ帝国は多元国家であるからこそ1000年繁栄したのです。
Promahon

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コメント

 TAMO2さんコメントありがとうございます。

>日共やカクマル(第二日共)を批判し切れなかった左翼の論理構造の欠陥を考えなければなりますまい。

 批判し切れなかったのは、同じような党組織理論、独裁的な構造であったからだと思います。五十歩百歩の世界だったと思います。

 昨年の暮れに日本経済新聞に「私の履歴書」があります。そこに青木昌彦氏、学生時代のペンネーム姫岡玲治氏が書いていました。このへんの人たちは良いと思いました。

 さばさばしているし、ユーモアもあり明るい。生真面目な左翼のイメージは良くないと思います。

 支配に対抗すると言いながら、相手を支配しようとする。その間違いにようやく気がつきました。

投稿: けんちゃん | 2008.01.18 08:00

革命思想マニア、宗教思想マニアとして少し書きますと・・・。

キリスト教はユダヤ教の一神教的教義を脱臼したものです。でないと、「汝の敵を愛せ」とか、「左の頬を打たれなば云々」は出てきません。旧約聖書はまさに、敵を殺すことを教えているわけですから。唯一神を言いながら、それ以外を黙認する宗教だと小生は考えます。それでも、黙示録は露骨にユダヤ教的ですけど。

また、「剣を取るものは剣にて滅ぶ」は、場合によっては剣を持たなかったが故に滅びることを忍従しなければならないという思想になります。数多くの平和主義思想の「弱点」はここにあります。レーニンが皮肉を飛ばしたのは当然だと小生は思います。

なお、マルクス主義思想をキリスト教になぞらえるとして、黙示録的な、一神教的な思想(レーニンに繋がる思想)と、多神教的な思想(後々社民主義と名づけられる思想)に分けられることが可能だと思います。どっちの優位性なんかは、決定できないかと。状況によって求められるものは違いますし。

レーニン主義組織(一神教組織)があってもいいけど、他の存在を罵りながらも黙認するくらいで丁度いいんじゃないでしょうか。その意味では、日共やカクマル(第二日共)を批判し切れなかった左翼の論理構造の欠陥を考えなければなりますまい。有名な『なになす』も、邪魔をしないでくれ給え、以上のことは言っていないわけですしね。

投稿: TAMO2 | 2008.01.17 23:29

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