異質の考えの人と交わる楽しさ
1人の人間の経験や、取得できる能力は限られています。しかし多数の人たちと交流し、相互に情報を交換し、その情報を信頼関係のなかで「共有化」することが出来れば、飛躍的に情報量は増加します。
例えて言えば1台のパソコンに容量があります。それ以上の容量を詰め込もうとすればハードディスクを増量することしかありません。仲間たちと情報交換できれば、それはネットワークでつながれ情報は格段に増えます。
多くの人たちはその段階で自己満足してしまいます。同質のお仲間交流で情報交換することに慣れ親しみ、異質の情報を無意識に排除してしまします。社内ネットワークというかイントラネットの世界ですね。
大企業や官公庁や政党や労組,宗教団体など大きな組織の人たちは、その内での交流や情報交換に忙殺され、あるいや慣れ親しみ他の情報を入手することを怠ります。商業界の人たちも同様。飲食やゴルフの付き合いも同じメンバーが多いうようですね。これでは新しい情報は入らないでしょう。
異質の考えの人たちと交流するには勇気が必要です。言葉が通じないもどかしさもあります。でも恐れずに交流することができ、同時に信頼関係をつくれば、情報量は格段に増えます。とても大事なことです。
そのためには偏見や予断を持たず、相手を信頼して情報交換することでしょう。そうなれば相手の情報が外部記憶装置になり、お互いがネットワーク化され、飛躍的に情報が拡大します。そうした「善意のインターネット」をこしらえたいと思います。
想像するに郷土の先人坂本龍馬は、おそらく聞き上手であり、そうしたネットワーク作りがうまい人であったと思われます。江戸時代に活躍した蔦谷重三郎もそうした人であるとおもいます。
地域の中で異質の人たちと交わる楽しさを共有できる時、その街はおもしろおかしい街となることでしょう。
(本当の意味での「異業種交流会」はあるようでないです。)
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コメント
案外本当の「異業種交流」が存在しないのは、多くの人が必要性を感じないからでしょう。仲間内の交流だけで自己満足しますから。
これは年齢や世代は関係ない。気がつくかどうか。努力するかどうかだけです。またそうした信頼関係をつくる労力を時に軽視し、ふみじにる輩が時にいます。
そういう輩とはおつきあいはしたくはない。
>私たち団塊ジュニアから見れば
戦後世代のそのようなネットワークは
私たちの才能を全く取り込もうとしなかった
閉ざされたネットワークのように映っています。
なるほどそういう苛立ちがどの世代にもあるものですね。
結構かがつかないものですし、気づかすのがとても難しいです。
世の中でいろんな分野のアーティストが敬意を払われるのは、時間や世代の壁を超越するからでしょう。
凡人はそれは難しいです。
投稿: けんちゃん | 2008.02.01 21:54
>その情報を信頼関係のなかで「共有化」することが出来れば、飛躍的に情報量は増加します。
ほんとにそう思います。
ひとりの人間が体験できる現象はごくわずかです。
でもその体験が他の誰かにとって
ものすごく重要な意味を持つものであるかもしれません。
>お互いがネットワーク化され、飛躍的に情報が拡大します。
戦後日本の経済成長はそのようなネットワークによって支えられたと思いますが
私たち団塊ジュニアから見れば
戦後世代のそのようなネットワークは
私たちの才能を全く取り込もうとしなかった
閉ざされたネットワークのように映っています。
日本経済不況の本質はそこにあると思います。
ニートやフリーターなどといって
若者を差別する雰囲気、あるいはそのような弱いものいじめが
マスコミでも横行するような社会。
全て戦後世代のメンタルになんらかの問題があります。
社会の要職にあるものが才能ある若者を引き上げる
という風潮は日本には伝統的にありましたが戦後はほとんどありません。
戦後世代がやったことと言えば、いかに自分が儲かるかや、いかに自分が名誉を獲得するかなど。
自分の殻に閉じこもり未熟なメンタリティーを持った大人たちが
社会の上層へと進出していきました。
そのことに皆が気づき世代間融和が進んだところに最初の繁栄がもたらされることと思います。
高知は比較的若者に対する差別意識は低いので
どこよりも先駆けて世代間融和が進む土壌を持っちょります。
>「善意のインターネット」をこしらえたいと思います。
賛成です。
経済発展は異業種が連携することによっても
もたらされると思います。
高知は人口が少ないですが、それはでも
異業種が接触しやすいという利点も持っちゅうと思います。
その利点を生かせられれば大都市に負けないくらいの強い経済を
創ることは可能やと思います。
投稿: ナカちゃん | 2008.02.01 12:45