友人は常に入れ替わるもの
子供達はなんだか中学時代の同窓会、高校の同窓会などでせわしいようだ。はなはだしいのは小学校時代の同窓会なるものまであったようだ。なかなか世話好きの奇特な幹事役がいるものだとある意味関心するばかりだ。
自分もかつて自分の番組のゲスト出演者・関係者を対象とした「番組出演者交流会を開催したことがあります。それは露店のはりまや橋商店街の広場で七輪懇親会でありました。段取り、買出し、後始末、金の集金など大変な労力でしたが、やるだけの価値はありました。それは正真正銘の異業種交流でしたから。肩書きや身分や思想信条が全く関係のないお互いへつらうことのない人間関係であったからです。
学生時代の友人関係が継続することが不思議に思います。濃い関係は何年か続きますが、また違い人との関係に移行する。それが自然ではないかと私は思います。
家内は「つい最近まである人たちと3日おかずに飲んでいたり、行き来したりオジサンたちの友情は呆れるほどだったのに、今年は全然交流はないようだがどうなっている?」といぶかしげに言います。
その時期にたまたま濃い関係になっただけ。今は疎遠になっていても対立したりしているわけではありません。問題意識を共有した時期がある期間はあっただけで、いまはたまたまないだけなのです。
こういえばわかりやすいかも。プロジェクト・チームのようなもので、ある時期同じ目的で一緒に行動します。目的が達成すればチームは解散します。それだけです。別のプロジェクトがあればまた別のメンバーでチームをこしらえます。
ですので学生時代の関係が社会人になっても継続し、何10年も続く。そういう関係もあるでしょうし、否定はしません。でも私はそういう関係はありません。それだけのことです。
親しい人達の関係が濃いでしょうし、長期間継続すると「マンネリ」になります。ですので私はふだん親しくない人たち、疎遠な人達との関係づくりは熱心です。思いがけない情報や発想は親しくない疎遠な人から頂くことが多いからですね。
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コメント
ケロヨンさんコメントありがとうございます。
>貴方の周りも同じ感覚の方ばかりなのでしょうが
いつかは巡って還ってくるのが人の輪。
いつも同じメンバーでつきあいをしていると安心感もありますが、逆に新しい情報ははいりません。
「めったにあわないひとたちとの交流」という点では学生時代の同窓会もそういう関係でしょうし。悪くはない。
利権やマルチ商法、あやかりの目的で近づいて来る人はいつもだれにでもいるでしょう。
でも邪悪な目的は見破られるでしょうし、見破らないといけませんね。
善意であっても結果的に「人を支配する」思想や宗教やマルチ商法などの考えにとりつかれている人たちとのおつきあいは「時間の無駄」なのでしないことにしています。
投稿: けんちゃん | 2008.03.30 09:36
継続するも、また力なり。
思い出した頃に、都合良く力を貸せと言ってくる者が居ましたが
人の「つながり」は、そんな安いものでは在りません。
貴方の周りも同じ感覚の方ばかりなのでしょうが
いつかは巡って還ってくるのが人の輪。
気付くか、見逃すか。
全ては自身に還るだけのことですが。
投稿: ケロヨン | 2008.03.29 21:57