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2008.03.15

39年前に考えていたこと これからも考えていくこと

 そういえばちょうど今頃の季節でありました。中学を卒業し、進学する高校は決まった春休みでしたが、私の気分は晴れず中学の恩師の先生の自宅を訪問したことがありました。

 その年は東京大学の入試が学園闘争で中止になり、全国の大学や高校で学園闘争が盛んにされていました。田舎の学生であっても「時代の子供」ですから当然社会を意識していました。

 先生のご主人が先般逝去された三浦良一さんでした。当時から郵便局へ勤務されながらも小説を執筆されておられました。たぶん青臭い発言を私はしていたことでしょう。今でも忘れませんが三浦さんはこういわれました。

「とにかく書くことだよ。文章にすることで自分を相対化できるから。」

「世の中のいろんな考え方があるので、読書して批評をどんどんすることだ。」

「批判を恐れず発言することだ。行動することでいろんなことがわかるから。」

 今となっては正確な文言は覚えてはいませんが、たぶん三浦さんにそのようなことを言われたのではないかと思います。

 当時は革命戦士になって世の中のために死ねば本望と思い込んでいたことでもありましたし。今思えば実に偏狭な考え方で行動していたと思います。でも自分は当時は必死でしたし。

 その後高校や大学で活動し頓挫し、いろいろありましたが、39年前の春に三浦邸を訪問したことは覚えていますし、心の支えでありました。

 この4年ほど前から何回も訪問し、三浦良一さんが病床にあっても何度も見舞いに行きました。たぶん自分の思考の原点を見直す作業をしたからだと思います。少年時代に強く信仰していた自分なりの独自の共産主義理論が間違っていたことを悟ったこともありましたね。

 かつて仲間と思っていた人たちとの考え方の違いが明確になりました。やはり自分は「過去の思い出の中では生きられない。現実の中でしか思想は語れない。」と強く思ったこともありました。そしてきっちりと自分の過去と決別しました。

 それには1昨年から1年間苦しんだ腰痛分離症でのしんどさがマイナスではありませんでした。自分の人生の中間総括の時期になったからです。病気も悪くはないですね。車検であり総点検できる時期でしたし。

 三浦良一さんに39年間影響を受けました。いつも意識する存在でした。わたしには三浦さんのように巧みに文章で表現する力はない。技量もない。だけど文章をどんどん書くことだけは出来る。今体験したこと、感じたことをすぐに文章にすることだけはできる。ブログはそれを可能にしてくれた道具。

 これからも「しょうもない」文章を書くことでしょう。おじいになっても。少年時代からそれは変わらないし、これからも変わらないと思う。

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