海の散帆とまちの散策
3月も半ばともなりますとさすがに南国土佐は暖かい。夜須などは17度ぐらいになったと思う。でも海の上はドライスーツで調度ぐらいだったから季節はまだまだ春本番は先でしょうね。
今日は高知大学ヨット部は岡山の大会へ遠征中。それでハーバーから出艇したヨットは、夜須中学が7艇と社会人と高校生、それと私の10艇程度でした。
(ぎ装(ヨットの組み立て)も暖かく楽に成りました。)
(中学生たちも今日は午前中で終わったようです。)
例によって午前中のセーリング。風は弱いものの波がなく海面がフラットなのでヨットは進みます。今日は赤岡沖まで遠征しました。
戻ると11時半を過ぎていましたし。片づけしてお昼はいつものおむすびだるま。やっしーも来たので一緒にランチをしました。
それから戻り、備品の片づけして「新堀川草の根観光まつり」の後半の部分へ参加しました。
自転車で5分ほどにあるさえんば商店街の来楽座を目指しました。日曜日はさえんば商店街は「シャッター通り」になっています。普段も殆どの商店は午後6時に閉店するそうですし。個人商店にはもっと頑張って欲しいです。個人の要望に過ぎませんが。
こちらはいつもの七輪サロンがさえんば商店街で展開されています。御餅をご馳走に成りました。参加者は前半の「新堀川界隈と九反田歴史探訪」に参加された人が多いようでした。
新堀川界隈は土佐の偉人の宝庫です。板垣退助,河田小龍、武市半平太、岡本寧穂、中江兆民ゆかりの史跡が点在し、歩いて散策できます。
ウォーク風景は新堀川知行合一塾 ブログ参考
「新聞の葬式」というのは自由民権運動の主義主張を掲載していた当時の高知新聞が当局側の圧力で発刊停止になりました。市民はそれを「新聞の葬式」として一大イベントに仕立て喪服を着た市民数千人が街中を練り歩いたという史実がありました。
来楽座主人の開設に寄れば「土佐人が一番歴史上で土佐人らしかった時代は自由民権運動のじだいである。ユーモアと反骨精神は見習わないといけない。
新堀川近くに武市半平太の道場があり、そこへで土佐勤皇党が結成され192人が土佐から脱藩して維新のために戦いましたが、板垣退助ら数人を除き皆死んでしまいました。
明治政府の実態は薩摩と長州の藩閥政権であり、知事以下の役人はすべて藩閥政府に統制されていました。これではいけないということで自由民権運動が土佐から起こりました。
新聞の葬式という演劇は、高知市民プラザのかるぽーとで上演したそうです。実際に演劇に参加したひとたち50人ほどで史実を再現して新聞の葬式をしたようです。
20人の市民が鑑賞しました。先祖のたくましさをあらためて感じました。
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