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2008.03.13

人間を解放する思想の支配性について

 人間を解放する思想のはずが人間を徹底的に管理し、支配する。それが「社会主義」だった。ソ連型でも中国型でも日本共産党でも新左翼でもみな同じようなもんやった。

少年時代に心酔していた毛沢東思想もそうだった。大学生の時にはブント(共産主義者同盟)の考え方の中に思想家吉本隆明氏に影響を受けた一派があり、比較的自由な雰囲気ではあったが1976年に解体し消滅した。以後再登場せず30年が経過しました。今の時代を相対化できない思想性であったのですね。その程度のものだったんです。残念ですが・・。

 人の自由な経済活動を保証し、とことん能力次第でいくらでも報酬が得られるという建前の「新自由主義」。これは19世紀型の自由主義以上の悪質な思想。経営者だけに都合がよく勤労者の権利は破壊、賃金水準も国際化され大幅な賃下げと待遇の悪化が社会の格差を生み出しました。

 20世紀の資本主義が社会主義との対抗上、社会保障政策や勤労者対策を行い、ニューディール政策のような修正資本主義で雇用対策を行って社会不安をなくしてきました。新自主主義は経済学は異端のハイエクあたりの考えでしょうが、1980年代のレーガン・サッチャーあたりで台頭し、2001年に遅れて日本へ導入されました。小泉内閣は日本を格差社会にし荒廃させました。

 小泉ー安倍政権の成果は極端な格差社会の到来。教育現場の破壊。年間3万人の自殺者。国は何の対策もせず金持ちと株主だけを優遇し、勤労者の待遇をアジア諸国並に切り下げました。ニートや不正規労働者が多く少子化問題が叫ばれても政府は無関心。アジアの労働力を活用し「賃下げ圧力」をすれば大企業は際限なく儲けるからですね。

 それでいて安倍晋三は愛国心を叫んでいました。「空気が読めないボンボン」だったので政権を投げ出さざるを得なかったのでしょう。格差社会に喘ぐ国民をないがしろにし、アメリカ軍に「思いやり予算」をつける日本政府はやはり異常な存在だと言えますね。

 「社会主義」は、もともと不十分な社会性が破綻し、独裁国家ゆえに民主主義も発展しませんでした。だからロシアや中国でより情け容赦のない資本主義が導入され、人間の尊厳も環境も破壊されつつあります。社会主義の祖国は見るも無残な格差社会に成り果てました。

 わたしが大学へ入学した1973年当時は従来のソ連型、中国型の社会主義に異を唱えた初期のマルクスの思想を研究することが盛んでした。イタリアの思想家で異端とされたアントニオ・グラムシや、レーニンと同時代に対立したドイツの革命家ローザ・ルクセンブルクなどが注目され研究されていました。

 陰惨なセクト同士の内ゲバに嫌気がさしていたので、図書館にこもってある時期必死で読んでいたこともありました。今でも多少その時代の思想の影響はあります。でも初期マルクスは社会の表面からは消えてしまいましたね。どうなっているのでしょうか?

 60年代初頭の人たちのように理論や党活動から社会主義運動に入っていません。高校や大学や街頭運動のなかから社会主義の運動体に触れました。でも新旧左翼の多くは人を解放すると言いつつ、人を支配する組織原理で動いている運動体が殆どでした。諸悪の根源はレーニンの「民主集中制」という独裁主義も大きな要因ですね。党内民主主義をすべて否定しましたから。

 当時からサブカルチャーは台頭していたから思想面でこけても癒されることはありましたね。学生時代は吉本隆明や埴谷雄高、鮎川信夫、高橋和巳、内田義彦、大塚久雄、高橋亀吉、丸山真男、島尾敏男、谷川雁、なんかを寝転んで読んでいましたね。

 東京での社会人時代は営業が面白くてひたすら走りまわっていました。家庭の事情で高知へ戻った当初はスランプでしたので、文学全集をちかくの市民図書館で借りて読んでいました。

 1987年あたりから再びまちづくりに興味をもち、社会主義的なアプローチではなくアメリカの市民運動のやりかたに興味を持ちました。専門外の都市計画や建築関係の本を取り寄せ読みました。そのばあい社会主義運動をしている連中は都市論がないことに気がつきました。「快適都市」という概念は田園都市構想の英国の社会思想と「アメニティ」という言葉から発案したものでした。
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 せっかくパリコミューンの経験があるのにレーニンあたりが矮小化して(「国家と革命」)などで「社会主義者」は都市づくりの議論を馬鹿にしていると憤りました。ほいたら自分で都市論をこしらえちゃると力んで1990年前後はそれなりに勉強し、セミナーもしました。都市再開発セミナーですね

 市民参加の梯子段。この図式は優れもの。高知県庁が多用する「県民との協働」などと言いますが、それはどの段階なのか、市民参加は保障されているのかを見抜く場合の指標になりますね。

 そして今に成りました。いろんな経験。失敗もしました。でもそれは隠し味。全部プラスに考えています。そして「与えられた」条件を最大限に生かして面白おかしい地域をこしらえてみたい。本気で最近はそう思っています。

 今年は「なにがしか」のことができるような気がしています。根拠のない強がりかもしれませんが面白おかしく行動してみようと思いました。
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