知人の訃報を悲しむ
一昨日知人が逝去した。元気になったという情報を1ヶ月前に聞いていただけにショックである。昨年は縁のある人が3人も亡くなった。心に影響を与えた人たちの死は辛い。
業界こそ違え、一時期「合宿」状態でともに考え、ともに行動していました。知人は頑強な肉体で行動的な人物だけにとてもその逝去は残念であると思いました。
知人のお通夜はその人柄を偲んで大勢の人達が来られていました。席に座ってその人との思い出に浸っていました。昨年はともに人をそれぞれ集め、新たなセンターをつくろうと誓ったばかりであるのに。とても残念でなりません。
僧侶の祈祷と参列者の焼香が終わりますと、知人の後輩職員がてきぱきと焼香台などをかたづけてスクリーンを設置しました。そして元気だった頃の知人の映像も上映されました。スクリーンには十八番のカラオケを熱唱する姿やご夫婦で海外旅行される映像が映し出されました。自然と拍手や笑い声が参列者から出ました。亡くなった後も皆を明るく励ましていると思いました。
あれほどはつらつとして元気な人だったのに。お酒が好きでも乱れることもなく、明るい大酒飲みでした。でもその記憶は多くの人々に残ることでしょう。知人は表へでしゃばる人ではありませんでしたが、多数の後へ続く人たちを育て上げました。
彼と一緒に「平和・護憲・反核」の社会運動体をこしらえることはできませんでした。でもお互い合意に至った壮大な構想は決して間違ってはいないと思います。立場は違うけれども私は構想を実現するように行動しようと思いました。
訪れる多数の参列者の1人1人を見つめても義理で来ている人はいませんでした。皆悲しみに打ちひしがれ涙を浮かべていました。知人はとても人徳があったのだとあらためて思いました。久しぶりに知人と時間を共有してそう思いました。
時間を共有していた人の逝去は辛い。でも生きていくものが志を継承し、また後に続く人たちに伝承する役目があります。これからはそうしないといけないと思います。
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コメント
そのお通夜に橋本大二朗さんも来られていたようですね。事情があって時間帯が違っていたようですが。しみじみとした追悼文をブログに書かれていました。
「急な別れ(4月11日)」
ブログ橋本大二郎です。
http://daichanzeyo.cocolog-nifty.com/0403/2008/04/post_5be2.html
知人の逝去は橋本さんも書かれたように、「急な別れ」でありました。
翌日告別式に参列された人たちもそう感じられたと思います。
あまりに早い急な逝去に無念な思いをいだいたのはわたしだけではないでしょう。
投稿: けんちゃん | 2008.04.14 07:26