放射能に汚染された大地で生きる人達ー映画「アレクセイと泉」
22年前の今日(1986年4月26日)旧ソビエト連邦ウクライナ共和国(現在ウクライナ共和国)チェルブイリ原子力委発電所は大爆発事故を起こしました。その原子力発電所から北東に180キロ離れているブジシチェ村。現在はベラルーシ共和国になっています。
想像を絶する放射能汚染が近隣に蔓延しました。ベラルーシ共和国の映画の舞台になっているブジシチェ村なども爆発当時吹いていた南風によりもっとも放射能汚染の被害が大きな地域。この地域は黄金の穀倉地帯といわれた肥沃な土地(ナポレオンもヒトラーも略奪せんがために侵略した歴史があります。)は高度に放射能で汚染され、政府は移住勧告を出し、多くの人たちはその地域から去りました。
ブジシチェ村は統計的に地図から消された村。しかし55人の高齢者と1人の青年アレクセイは村に残って生活を続けています。
自給自足の生活。じゃがいもを育て、家畜を世話をし、衣類も自分でこしらえてします。周囲の環境が汚染されても村の中心の泉は放射能が全く検出されない「奇蹟の泉」でした。
その泉水で人々はバケツで生活水をくみ上げ、家に運びます。洗濯場も泉を活用しています。夏でも過酷な冬でも人々の生活は変わらず続いています。
映画は淡々と過疎高齢化の進行している村を描いています。近くの森から木を切り出し、洗濯場の囲いを修繕する作業も高い大工技術。コンクリートも一切使用せず泉の囲いがこしらえられてしまう。
映画は毎日の生活を淡々と映す。しかし今でも(撮影が2000年頃)でも、放射能探知機には高い数値が記録される。村の人たちは淡々と生きている。泉をよりどころにして。泉の周りには十字架も立てられ、10年ぶりに牧師も来て行事も行われました。神聖な場所なのです。
チェルブイリ原子力委発電所は2000年に閉鎖されました。しかし放射能汚染は人々に今でも脅威を与えています。
日本は地震大国。世界の地震の10分の1が狭い日本で起きています。太平洋側ではプレート型巨大地震が100年周期で起きています。日本海側は直下型地震が10年周期で起きています。地震大国日本には現在53期の原子力発電所があります。
有機農業をされている人が言われていました。「愛媛県にある伊方原子力発電所がチェルノブイリのように爆発したら放射能は偏西風に乗って高知へも来る。我々の田畑も無事ではない。危険なプルサーマル計画はやめてほしい。」と。
奇跡的にブジシチェ村の泉からは放射能が検出されません。それは森林にしみ込んだ水が地下水に成り泉になって出てくるまでに100年かかっているからだと言われています。このあたりは「風の谷のナウシカ」のような話が現実にあったのです。
多くの人達の無関心に支えられ、日本の原子力政策は進展しています。これほど日本に原子力発電が立地したのはほんの50年の間。その間巨大地震はありませんでした。それはたまたま「運が良かっただけ」なのではないのでしょうか?
地震の巣である日本海側。東南海地震(巨大地震)がひき起こされる確立は今後30年以内に80%と言われている太平洋側。多数の原子力発電所と日本人は共存できるのか?映画を見た後考えさせられました。
(伊方原子力発電所から高知県は180キロ程度はなれています。チェルブイリ原子力委発電所とブジシチェ村との距離と同じ程度です。)
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