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2008.05.15

沖縄が日本に復帰して36年目の年

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(凄惨な地上戦の記憶はおびただしい戦没者の数で表されます。糸満市の「平和の礎(いしじ)」
 今日は沖縄が日本に復帰して36年目。沖縄は大きく変わった。東京から見れば、東南アジアへ行く途中にある日本の辺境という位置ですが、実は昔から東アジアの中心地にありました。

 アメリカはペリーの時代から沖縄に目をつけ軍事占領する計画も立て、1945年仁実現させました。軍事的に「太平洋のキーストーン」と位置づけ、日本と中国、朝鮮半島、東南アジアににらみをきかすために巨大な米軍基地を建設しました。

基地負担今もなお/きょう復帰36年(沖縄タイムズ)

 施政権は日本に返還されても米軍基地の75%は沖縄にあり、巨大な米軍基地は居座っています。失業率は日本1.いくら交付金や基地対策費をつぎ込んでも沖縄の発展とは無縁。やはり巨大な米軍基地は沖縄の発展を阻害しています。

 また沖縄の義母の命日でもあります。もう11年になります。膠原病という難病で亡くなりました。温厚な人で尊敬できる人柄でした。お葬式は暑い日ざしの日であったことを思い出します。

 なにかと「最低基準」で比較される沖縄と高知。でもその基準は東京仕様のもの。意味はないと思う。自分の郷里を誇りに思うかどうかでしょう。高知のほうが稀薄になっていることのほうが心配ですね。

 「暫定」であった筈の米軍の駐留がサンフランシスコ講話条約で日本が国際社会に復帰した変わりに、沖縄が米国に差し出され、米軍基地が居座ることに。締結された日米安保条約も暫定条約の筈でした。

 暫定措置が持続すると「道路特定財源」のように既得権益化します。歴史をふりかえり検証する作業もまた必要です。
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(住宅密集地にある普天間基地の米海兵隊基地のヘリコプターが沖縄国際大学へ墜落したのは3年前)

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