サッカー親父の心配事
6月22日のバーレーン戦の日本代表の試合ぶりからして果たしてこれで、ワールドカップ予選を突破できるのか不安になりましたね。2010年の本大会で欧州や南米の強豪国と互角の試合ができるとは到底思えません。
オシム前監督がいつも言っていたように「90分間走れる体力が基礎の基礎」であるという理屈の正しさは、欧州選手権のオランダVSロシア戦でよくわかりました。ロシアが延長120分でオランダに走り勝ったのですから。
1968年のメキシコ五輪で釜本選手の活躍に触発されサッカーボールを蹴り始めた世代。当時は中学にサッカー部はなく同好会をこしらえ自転車で対外試合に行っていました。高校でもサッカー部へ入部するも、上級生はタバコを吸い体力がないこと甚だしいが、無意味な練習ばかり強要するので衝突してあえなく退部。
当時は社会運動も忙しいので高校生反戦会議などで街頭行動で運動していましたね。日本リーグが発足し、当時のサッカーマガジンを愛読していました。その後長らく日本サッカーも低迷期に入り、自分の関心も薄れていました。
一度だけ大阪勤務時代に会社のサッカー部へ参加し試合に出ましたが、3-0で負けました。半年で東京へ転勤になったので、実際にプレイすることもなくなりました。80年代はもっぱらマンガの「キャプテン翼」を読むぐらいでした。ワールドユースで日本が優勝するなど夢のまた夢でした。
1990年代に入り、日本サッカーのプロリーグが出来るようになりました。その頃は子供達も幼児でありサッカー観戦など田舎にいるので出来る筈もありませんでした。
1993年の「ドーハの悲劇」をテレビで見ていました。解説していたのが今の岡田監督。沈痛で暗い表情であったことを覚えています。
翌年のアメリカ大会は日本が出場しませんでしたが、何試合か見ました。ルーマニアやコロンビアの活躍が印象に残っています。
そして95年のオリンピック予選で日本は38年ぶりにサッカーで出場権を勝ち取る試合も見ていました。翌年のアトランタ五輪で日本のの全試合も見ました。
97年は日本が始めてワールドカップへ出ることになった年ですね。そして98年本大会では3連敗しました。他の国の試合も夜中に見ました。チリや、スコットランド、イングランド、アルゼンチン、ユーゴ、ドイツ、フランス、ブラジルなどの試合が印象に残りました。
2002年、2006年と日本はワールドカップに出ましたが、格段に技量は上がりましたが他国もあがっているのでなかなか追いつけないと思いました。
今サッカー愛好者のコアになったいるのは20代、30代の若い人たちでしょうか。Jリーグが当たり前になっている世代ですね。おじさん世代はサッカーでは少数派。
このあいだも中高年が多いスポーツジムでテレビのJリーグの試合を見ていましたら、突然ゴルフ中継に変えられました。自分はゴルフはしないので面白くありません。
高知の田舎はスタジアムで観戦することもなく、テレビで家族に怒られながら叫んでいるのが関の山ですね。でもわたしらのような潜在的なサッカーファンもいることをコアなサッカーファンの皆様もご理解いただきたいのです。
わたし同様に辛口評論家のセルジオ越後さんも同様の心配をされているようですね。
南アフリカは遠いな(日刊スポーツ)
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