激動の昭和史ー沖縄決戦を見ました
(沖縄県糸満市の平和の礎(いしじ)。沖縄戦で戦没された日米軍兵士や沖縄県民、韓国、中国の戦没者の名前も刻まれています。)
ため撮りしているビデオ映画の消化と称して、先日も家内が「激動の昭和史ー沖縄決戦」(東宝1971年 岡本喜八監督)を見せてくれました。
感想はと言いますと、「8月15日特別企画激動の昭和史 沖縄決戦とのサイト」をこしらえている人にほぼ同じですね。
1971年と言えば72年の沖縄返還の前の年の映画。牛島中将に小林桂樹、参謀に丹波哲郎と仲代達也。その他ちょい役にもスター俳優が若者役で出演していました。
ゴジラと若大将と無責任シリーズの東宝映画の「良心」なのでしょうか?同じ頃日活は「戦争と人間」(1970年)という映画をこしらえていましたし。こちらは見ましたが、「激動の昭和史ー沖縄決戦」は見た記憶がないですね。
沖縄出身の家内も見た記憶がないというのですから豪華な配役人の割にはあまりヒットしなかったかもしれませんね。テーマが重たいし、活劇要素はまるでなく、人々は逃げるだけ。自決し、追い詰められるシーンばかり。
洞窟に逃げ込んでいる住民を日本軍が追い出そうとしたり。絶望的になった住民が集団自決するシーンがあったり。映画館の大きな画面ではとても正視できなかったでしょう。
6月23日に牛島守備隊長が自決し凄惨な沖縄戦は集結します。映画でも大本営は沖縄を見捨て本土防衛の捨石にしました。十分な装備も支援もなく沖縄戦で日本軍兵士10万人とそれを上回る15万人の沖縄県民が戦没しました。
「軍隊は国民を守る存在ではない。」のはこの映画からも理解できます。63年前に今は美しい沖縄の各地で絶望的な戦闘が行われていました。映画でも住民の集団自決の場面では軍が命令したようではないようでした。ただ武器弾薬が極端に不足していた日本軍が貴重な手投げ弾を住民に手渡す行為は、集団自決を促すことであったと思います。
決して出来栄えの良い映画ではありませんでしたが、あらためて沖縄戦の意味をかんがえさせられました。現在高知の中学生たちは沖縄へ修学旅行へ行っているようです。ただ「暑いだけ」というのではなく、戦争の悲劇、酷さをきちんと学習していただきたいと思います。
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