人生の終いをつけることの意義
どんな人にも必ず終末があります。生きている人には死があります。そのあたりを今まで真面目に向き合って考えたことはありませんでした。
沖縄の義父が最初に連れて行っていただいたのは、一族が眠るお墓でした。大きなお墓へ行った時当時は意味はわかりませんでしたが、ご先祖に私を紹介していただいたと思います。
「沖縄では家よりお墓をつくることが大事。お墓の中にいることが長いから」とも言われていました。常に死後のことを考え今を生きるということなのでしょうか。
よく知りませんが昔の日本人は武士道などは常に死ぬことを前提に行動しているようでした。終末観や覚悟があるからこそ思いきった行動ができたのかもしれませんね。
墓地を購入し、お墓を建てる。僧侶の話を聞く。死後の世界のことを自分なりに考える。人は何処から現れ、何処へ行くのか?この問には答えはそれぞれあると思います。
あたえられた人生を精一杯生きる。自分で命を断つとか、他人の命を奪うことなどできるはずはないとも思います。そうした観点から考えをめぐらせますと、今自分で悩んでいることなど大きな世界から言えば小さなことであり、自分が変われば解決可能な課題であることがわかりました。
ピラミッドや大きな古墳墓などは当時の支配者が死後の世界を想定し、生きているうちから準備をしたものでした。わたしたち庶民は死後の世界など考える余裕など日々の生活に追われありません。
でも人生の終いをつける作業をいろいろとしていますと気付くこともたくさんあることがわかりました。終末を意識して精一杯今を生きる。そう考えますと生きていく意味がまた新たな観点から獲得できたような気がします。
参考サイト記事「先祖との対話はどういう方法で」
| 固定リンク
コメント