自衛隊は人を救助する組織
城山三郎・著「嬉しうて、そして・・」(文芸春秋社)を近くの図書館で借りてきて読みました。そのなかで印象深いことを城山氏は述べています。
「小泉さんと中津留大尉の決断」(114P)という項目は大変印象に残りました。
「わたしが思い出すのは、最後の神風特攻隊隊長・中津留達雄大尉です。彼は上官の間違った命令と大義の間で悩み、とっさの判断で日本を救いました。
8月15日玉音放送後、宇垣纏司令長官は中津留らに特攻出撃を命じます。出撃はその日の夕刻ですが、当時情報が遮断されていていたので、中津留大尉らは玉音放送は聞いていなかったと思います。
大分基地から飛び上がってみると、眼下に敵艦も敵機もいない。終戦を中津留大尉は確信したのでしょう。後ろに座る宇垣司令官はとにかく「突っ込め」と命令しています。しかし、戦争が終わったにもかかわらず、米軍に突っ込めば大変なことになる。といって宇垣はすでに死ぬ気ですから、洋上に不時着したり、途中脱出することは絶対にしないだろう。
そこで中津留大尉は、一瞬の判断で燃料の節約のために爆弾を海に投棄して機体を軽くします。そして沖縄・伊平屋島の戦勝パーティ中の米軍泊地へ突っ込むふりをして急旋回し、泊地の隣の海岸の岩に機体をぶつけて最後を遂げました。
つづく2番機も大尉の操縦から意図を察知し、瞬時に米軍を避けて堕ちた。日頃から中津留大尉が一心同体となるまで,部下を鍛え上げていたからこそできたのです。
結果的に自分が死ぬと言う点では、米軍に突っ込もうが避けて堕ちようが同じです。しかし、あのとき戦勝にわく米軍の泊地に特攻機が突っ込んでいたら、どんな重大な事態を招いたことか。始まりの真珠湾も騙まし討ちなら、降伏後も騙まし討ちかと国際的な非難を受け、4カ国分割統治されたり、最悪の場合は天皇まで累が及び、今日の日本はなかったかもしれません。自暴自棄になった司令官の「突っ込め」という命令を受けたとき、より大局的な視点にたって、中津留大尉はぎりぎりの状態で危険を回避した。
わたしは中津留大尉のこの決断が、戦後日本を救ったと思っています。
途中省略
空自(航空自衛隊)の名パイロット西中佐しかり(昭和38年F-104J戦闘機で千歳基地を飛び立った直後エンジンが故障。かれは地上にいる人を1人も殺してはならないと、エンジンの止まった状態で千歳基地までぎりぎり降下して滑走路のはずれに墜落してなくなりました。)、命を捨てても終戦直後の特攻をしなかった中津留大尉しかり。あえておのれを捨てて「人の命を助ける」方向へ向うことは「平和の基を開く」という昭和天皇の心にもかない、日本人の精神を世界に示す1番確かな方法であると思います。」
長い引用ですが、きちんとした良識を持っていた中津留大尉のようなひとがいたから救われたのであると思いました。それにつけても指導者にどうして日本は時折無能な人がなるのでしょうか?
「私が戦闘地域ではないといったら戦闘地域ではない。」と国会答弁した小泉首相。そうであるならば自衛隊をイラクに派遣する前にご自身がイラクを堂々と訪問するべきではないかと城山三郎氏は述べています。
脱出する時間もあったのに、最後まで市街地を避けて墜落した自衛官の西中佐。
自衛隊は軍隊に似ているが「人を殺す組織」ではなく「人を救う組織なんだ」と城山三郎氏は言います。その自衛隊を「人を殺す組織」に変質させようとしたのが小泉ー安倍政権でした。せっかくの良識を踏みにじるところでした。
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