高知学・土佐学研究所をこしらえよう 8月22日(金)
西村 今月のけんちゃんの今すぐ実行まちづくりのテーマは「高知の根源・由来を考える」ことです。よく使用される「高知らしさ」について何を持って高知と言えるのか。徹底的に検証しようと企画してみました。
ゲストは島本茂男さん。以前の番組「けんちゃんのどこでもコミュニティ」に出演いただきました。毎週金曜日にはりまや橋商店街に占い師として登場されています。宗教や歴史分野に詳しい人です。
もう1人のゲストは中平貴士さん。東京在住ですが全文が土佐弁で筆記されているブログ「土佐ローカルりズムちや」の作者。土佐人にあくまでこだわり古代史まで遡って検証されています。お仕事はクリスタルを媒介にしたセルフヘルプにもとづく癒しの仕事をされています。今回の収録は帰省されている時期に行われました。
さて今回のテーマは「高知学・土佐学研究所をこしらえよう」で島本茂男さん、中平崇士さんにお話しをお聞きします。
みなさんがそれぞれの領域で「高知らしさ」「土佐らしさ」を再定義しようとするところ、想いはどういうところなおでしょうか?
島本 まず高知が元気がないな。というところが、最初にありました。なんでそうなのかと言いますと東京の物差しで計っているからです。グローバルスタンダードに従わないといけない。
結局高知は高知独自のものを考えて行けばいいのではないか。高知の古代から現在までを振り返り、高知らしさで勝負していくこと。それでいいのではないか。
その思いが強くあるからです。土佐邪馬台国大いに結構。それを物語にして自分達の自信を取り戻していけばいい。
中平 同感ですね。アメリカとかそれに影響を受けまして、東京の文明に侵食されればされるほど、土佐弁とか(高知の)暖かさとか、重層的な文化とかにシンパシーを覚えます。
西村 高知県の経済人の皆様方も「土佐のおきゃく」というイベントを3年ほどまえから多額のお金をかけてしています。しかし今ひとつ盛り上がりに欠けています。それは何故であると思われますか?
中平 「土佐のおきゃく」に限ったことではありませんが、まず前提の”問い”がないのではないかと思います。前提と言うのは、「おきゃくとは何か?」。そこをつきつめることをしていないの他県の人間が「おきゃく」を理解できるわけがありません。
「おきゃく」というものに言及するならば、「まれびと」というところまで踏み込んでいかなければいけないと思います。
西村 すみません。「まれびと」という言葉ですが。「まれびと」というのは何のことでしょうか?これも聞いたことはありませんけれども。
島本 まれびとと言うのは民俗学者の折口信夫(おりぐちしのぶ)さんが、「遠来の客をもてなすとき」に使った言葉です。
琉球の人たちには「まらぷと信仰」がありますが、これが「まれびと」のもとになったのではないかと。
つまり外から来てくれるひとは神様である。ととらえています。お客さんは神様なわけですね。そしたらもてなすのは当然である。そのことが「まれ日と」論につながっているということですね。
西村 だとするならば、今やっている「土佐のおきゃく」なるものは、お酒を飲む人だけを対象とした土佐料理だ、とさのお酒だ。宴会をしようというだけ。それだけではなくもっと大きなものですね。
島本 ですのでもっと大きな意味を皆で再認識をしないといけなかったのです。それが今高知で全然できていないと思います。ですので盛り上がらないのでしょう。
西村 例えば幕末・維新・民権運動の時代は土佐人はたくさん活動的な人物が輩出しました。しかし今の高知ではすべて坂本龍馬1人に一元化する傾向があるようです。飛行場に龍馬の名前をつけるぐらいですし。しかし私はなにか釈然としません。
本来は保守的な人達が龍馬を免罪符にしているだけで、高知の社会は保守的で停滞しているとしか思えませんが・・。
島本 土佐人は革新的でものをどんどん変えていく力がありました。だけどそれができないというのは、結局龍馬を「免罪符」に使っているのです。今の自由主義経済というのは「自由」という字が書いています。それは土佐人が大好きです。
自由主義経済は正しいと思っているかもしれませんが、自由主義経済は客観的に見てどんどん不自由になります。動きが取れないようになります。
自由主義体制に胡坐をかいていますと、どんどん保守的になってしまう。こう私がかんがえてことです。
中平 そうですね。わたしは「アイデンティティを失った人間は1つの神様を信じる傾向がある。」ように思います。
1つの神というのが「龍馬」になっているのではないのでしょうか。
西村 わたしは近い将来構想で「高知県物産公社」をこしらえたいと思っています。その場合なにかと産品やいろんな場面で競合する宮崎県や沖縄との差別化が必要であると思いました。それは歴史であると思いました。そのあたりはどう考えますか?
島本 大いに賛成です。これにはロマンがないといかん。土佐邪馬台国論。これなんかスケールが大きい。これをもっと出さんといかん。そうせんと、なにか凄いものがないといかんやいか。
宮崎のお笑い出身の知事に勝たんといかんと思います。しかし今の高知県知事は派手な人ではないし。そこは皆で盛り上げないといけないと思います。
中平 私は本当に歴史は大事であると思います。ですので土佐邪馬台国というものを取り上げていこうと思います。
結局絶対に高知に邪馬台国があったというのではなくて、それを提唱することによって、みなが1つの価値に収斂されていく。力を合わせてなにかに向っていく。そういう価値自体を掘り起こすことが重要であると思います。
西村 その話を聞きますと、最近の高知県人は歴史を大事にしない県民ではないか。
実は高知県を訪れたビジターがその土地を訪ねたら訪問するのが博物館。美術館。歴史館。高知はそのあたりが整理されていなくてばらばらで支離滅裂ですね。
歴史民族資料館、高知県立美術館。高知県立文学館。高知市立自由民権館。高知県立龍馬記念館。高知城。どうせならすべて高知城周辺にすべて集めたら良いとは思いますが・・。まとめて集約すれば高知の歴史と文化が体系的に学べると思いますのに・・。
島本 とても大事なところです。ばらばらになっていますと体系的に全体像がつかめないし、つくれん(こしらえることができない)と思いますね。近いところにあるとそれらを全部廻ると高知県民像、土佐の歴史が全部わかります。土佐の財産もわかります。
そうなれば県外のビジターにも高知県民にも得なのです。そういうのがない。どうしてないか。それは高知県民が「歴史を大事にしなかった。」からでしょう。
高知県民は縄文人の末裔でそのとき、そのときを生きてきたから、その場しのぎでやっている。だから体系的に高知の歴史を古代から学ぶ。ロマンも含めて。それをしないといけないとつくづくこのごろ思います。
中平 私の場合は”体系化”というものが大きなキーワードです。体系化というものは、それができないのが高知県人のええとことでもあります。悪いところでもあります。
体系化できる土佐人がですね率先して高知の歴史を掘り返したり。ということをやればええと思っています。
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