日教組はたいした組織なのか?
日教組はたいした組織なのか?
中山国土大臣は「日教組は日本のガン。ぶっ壊す。道徳教育を推進しないからだ。」と周りの忠告を聞かず吠えまくり結局辞任するらしい。実に恥ずかしい閣僚。麻生首相の任命責任は免れまい。
この人を自民党宮崎県連は公認候補にするようですが、議員辞職を迫るべきでしょう。自民党のことを思えば。「1番道徳心のない」人は政治家になるべきではありません。
さて大臣の職を投げ出して攻撃した日教組。それほどたいした組織なのでしょうか?
日教組は日本教職員組合の略称ですね。
日教組は旧社会党系の労組で民主党や社民党、新社会党の支持者が多いようです。確か連合への加盟をめぐってか、それ以前に共産党の影響のある全教が分裂し、独自の組織をこしらえているようです。
高知県などでは県教祖、高教祖の組織は共産党系で、高知市と旧香美郡は日教組系になっているようです。
自分の学校時代の体験からすると中山国土大臣の発言は「あたらずとも遠からず」であると思います。
なんぜ小学校へ入学した年は、高知県は「勤評闘争」が盛んな時期でした。
学校へ行きますと1週間に1回は先生方が校門を封鎖していてお休みに。自宅で自習という状態でした。当然学習は遅れますね。夏休みに父の仕事の関係で大阪豊中市の小学校へ転校。
そこは同じ教科書でしたが半年も進んでいました、当然ついていけないので放課後に残され補習しました。その小学校は高知のように先生方がストをすることはありませんでした。とにかく毎日テストがあり、満点をとるまで帰してくれませんでした。
吹田市の小学校へ1年半後に転校しましたが、こちらはテストの成績順位で席が決められる状態。参観日で親は大変だったと思いますね。公立小学校ですし。不思議なのは高知の騒ぎが大阪では全然ないこと。しかも公立小学校で成績順に席が決められるのは今の以上の差別社会。
転校生の私は下位と上位を行ったりきたりしていました。しかし上位層と、下位層はほぼ固定されていたようです。
成績上位者の子供は阪大や関西大学の学生が家庭教師についていました。成績下位の子供は夫婦共稼ぎで、ほったらかしの家庭が多かったです。塾のない時代でしたから、親が子供の宿題を見ないとついていけない仕組みになっていたのです。
5年生になって高知へ戻ると勤評闘争は収まってはいました。そのかわり私立中学受験ブームがあり、土佐塾などの学習塾がいくつか出来ていました。
高知の親達にすれば教師不信でしょう。「先生がたは奇麗事言っているが、自分の子供は公立中学へ進学させず私立中学へ行かしている。」こともあり、私立中学受験が過熱していました。
私の場合親の都合で小学校を5回も転校(6年生でも転校)したので、そのつどいじめられないように適合するのが精一杯でした。当然成績も悪く私立中学受験という発想はありませんでした。
伊野中学では生徒会の役員も体験しました。職員室では日教組の先生と独立教祖の先生が対立して論争していました。日の丸、君が代は学校行事ではしていました。
高校生になり社会のことがわかるようになりますと、真偽が判明しますね。
日教組であろうが、全教であろうが、独立教祖(保守的な管理者側の教祖)であろうが、結局は教員の人格ですね。当時共産党系の教員組合が高校生の私を「反戦トロツキスト」と名指しで批判したので抗議に行ったことがありました。共産党系教祖とは徹底的に高校時代は対立しました。とにかくけしからん連中でしたね。
時代は下り高校の同級生の何人かは公立中学の教員になっています。いわゆる「荒れた中学」ですが日教組へはいりがんばっています。あるとき水性塗料の注文があり「生徒が教室を塗装するので指導してやってほしい」と言われてある中学へいきました。
落書きが目立つ教室。塗装方法と、養生の仕方をひととうり生徒達に教えました。生徒達ははしゃいで塗装していましたが教室がきれいになると皆喜んでいました。
そのときひたすら机をサンダーで削って落書きを消している教員がいました。その人は共産党系の組合の人であるとか。話を聞きますと「こうして机の落書きを消さんとよけいに荒れるし。オフは落書き消しで終わる。費用も持ち出し。」と言われていました。
教員の立場が何であれ、熱心な教員はおられますね。ですので中山国土大臣のように「日教組はガン」と決め付けたところで教育現場が混乱するだけ。馬鹿馬鹿しい放言です。辞めたそうですが、この人の話を聞いて動く人などおらんでしょう。
日教組を過大評価するのもおかしいと思います。わたしは組織活動が嫌いな人間ですので、合わないとは思います。まどうでも良い組織であると思いますね。
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