教育を受ける権利の侵害に思う
大阪の橋下知事はなぜ執拗に学力テストの公表を迫るのでしょうか?
あの学力テストは先日国土大臣を辞任した放言議員の中山氏によれば「日教組をあぶりだすためのテスト」であったというではないか。きわめて政治的な思惑で実施されたものであるようですね。
昔も今も、「経済格差が学力格差」を生むことは間違いない。生活に困窮している家庭では親が子供の帰宅時に家にいないし、子供の宿題を見てやる、一緒に宿題をする余裕もない家庭は多い。
言われているのが小学3年段階でのつまづき。分数や約分とか、少数点の計算であるとか、当用漢字も増える段階。ここでつまづくと中学での授業にもついていけない。
この理解度を学力テストで判定し、日常の授業に活用し、学習能力に達しない子供を引き上げる努力をするのが義務教育であると思います。
できる子供が、できない子供に教えることも大事。それは自分自身のためにもなる。仲間意識もできるし。そうやって義務教育の底上げをすることが、結局先端教育を伸ばすことにもなります。できる子供は経済的に裕福である場合が多く、学校外の塾や家庭教師をつけるという投資もふんだんにできるからです。わざわざ公教育で「できる子」にだけ投資するのは間違いであると思います。
おつりを暗算で計算し、自国語の新聞が読め、政治評論ができる。この中学卒業程度の学力は、世界水準であれば「知識人」になるのです。教育基本法はそれを担保していました。
安部晋三内閣はその教育基本法を破壊し、教育の分野にも「格差社会」をこしらえようとしました。税金を投入するのは底上げする必要のある子供達です。その子供達を切り捨て、できる子供にだけ税金を投資する。それは教育の破壊以外なにものでもない。学力テストの実施と公表の強要は、そうした政治的意図を感じますね。
テストを行い、公表し、学校を序列化することにより、教育的効果が得られればまあ良いでしょう。しかし保守系の教育関係者がモデルにしているイギリスの公教育は、10年以上前にそれを行い、落ちこぼれた学校は荒廃し、ギャングの巣になり犯罪の温床になりました。今その再建のために当初予定の数倍の教育予算をかけてイギリスは懸命に努力していますが、なかなか元へは戻れないようです。
「日本の義務教育制度は世界1」であると思います。「道徳教育」をわめきたてる政治屋がいかにいかがわしく、おかしな存在であることは中山氏だけではなく、過去にもいくらでも例があることです。
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