学力テストは教育の格差の象徴
なぜ大阪府知事が熱心に学力テストの結果の開示を府下の市町村に強要している意味がわかりませんね。
かつての英国で失敗した事例のように、テストの結果で学校設備や教員配置を考案すると言う経済手法を教育現場に持ち込んでしまったら義務教育制度は崩壊します。英国は荒廃し大変なことになっています。
わたしが子供の頃通学していたある大阪の自治体の公立小学校。毎日テストがあり、その成績順で席替えを毎月していました。北側の廊下側が1班で1番の生徒。南側の窓側の最後列が成績が悪い生徒。それを父兄の参観日に公表するわけです。
4つの列になっており、1班と2班は成績上位者。3班と4班は成績下位者のゾーン。順列は1班と2班の間で上下します。なので3班や4班の生徒が上位の班へ繰り上がることは絶対にありえない階層社会でした。
つまり1班、などは上流家庭で大阪大学の学生を家庭教師に雇い日常的に勉強させている。当然私立中学受験も狙わす。母親は当時はほとんど専業主婦でそれも女子大卒の高学歴。
一方の成績下位グループは、皆「かぎっこ」。放課後遊びに行っても母親は働きに行き不在。家も木賃アパートの長屋形式。
上流の家庭は遊びに行くと母親がおやつを出してくれる。それでどこどこの子供達と遊んではいけないと注意を受ける。わたしは転校生で事情がわからないから両方の階層の子供達と付き合っていた。
そのあたり東洋町長の沢山保太郎さんの教育論は絶品ですね。
さすがに元学習塾をしていただけあって実務的な教育手法を言われています。「音読して頭に入れる」「読書の習慣は大事」と言うのはそう思いますね。
学力テストは無意味。それよりもほかにすべきことはいくらでもある。海で遊ぶとか、セーリングするとかすれば良いとは思いますね。
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