転向しなかった全共闘世代の人が逝去
日本経済新聞12月7日のコラム「バリヤフリーは人を善良にする(星野智幸・著)」は良い文章でした。彼の叔父が重い障害者であり、お葬式は無宗教。介護していたヘルパーが「いちご白書をもう一度」を歌われたそうです。
「トライヤル 60」というブログに経過が書かれています。1969年のある日、オルグに行った大学構内で対立党派に追われ、2階から転落され脊髄を損傷、車椅子の生活になられました。
全共闘運動はもう40年も前の大昔のこと。当時影響を受けた私ですが、とうとう1度もその姿をみることはありませんでした。活動家の多くは「転向」し生活に埋もれ、昔を懐かしがっている姿は時折目撃したことはありますけれども・・・
やはり全共闘運動は一瞬の輝きであったのかと思います。
ブログ記事 「一瞬の輝きは人々を魅了した。でも2度と輝くことはなかった。」
懐古記事には何の意味もありません。「現在」が問題であって、現代にコミットしない社会運動などはないし、無意味だからです。
病床で障害者用のパソコンを使用してかかれたブログを読むだけで、変らぬ信念を持たれた人の爽やかさを感じました。全身麻痺にもかかわらず情報発信をされる姿に心を打たれました。
日本経済新聞のコラムでは、都市を「バリヤフリー」のするために、どこへでも車椅子で出かけ、ついには障害者ガイド・マップをこしらえたとか。バリヤフリーやユニバーサル・デザインアドが今ほど浸透していない時代から、その先駆けとして実践されておられました。驚くべき行動力です。
全共闘運動が社会を変革する運動というのなら、唯一その精神を実を持って実践された人であったのです。心より尊敬し、心からご冥福をお祈り申し上げます。
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