「排除」されたもの同士の嘆き
昨日はあるひとから電話があり、あるグループからお互い排除された境遇を愚痴り、思わぬ長電話となりました。熱い彼のトークはしばしばその場を「燃やす」激しさがある。合意形成へ至る前の彼の揺さぶりに耐えられる人は少ない。だから排除されてしまう。
それはとても残念な話。異質のものを受け入れてこそ社会運動体は大きく成長し、力を発揮するのである。多くの人たちは勘違いをしています。「仲良しクラブの延長」に大義があり、正義があり、勝利があると。だがそうではないのです。
私らが「排除」され運動体がこじんまりとし、仲良しサークルになり、社会性も公共性も喪失したようですね。俗に言う「マニアの会合」に成り下がりました。こうなるとマニアにしか通用しません。広がりがなくなくりますね。
「熱き人」はそれでも納得がいかず説得を試みようとしますが、余計に排除されました。排除した人たちへの激しい憎悪をむき出しにします。でもそれはしてはいけないのです。
排除されたらむしろ独自の道が歩けると相手に「感謝」(皮肉ですが)し、独自路線を確立しましょう。異論を受け入れ、大きな社会運動体をこしらえたらいいのです。また排除した人たちが恭順するのであれば、許しましょう。それでいいのです。
大きな心があれば運動も大きくなりますし。
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