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2009.01.21

桃源郷の時代

  2度と戻ることはない古きよき時代。それは子供の頃の思い出。祖父たちと一緒に生活していたころのこと。

 電気工事業の祖父は早朝から働いてはいたが、午後5時には仕事は終了。五右衛門風呂を薪で沸かし入浴していた。午後6時には夕食。午後7時前の「ヤンボー・マンボー天気予報」の前にはみかんなどおやつをを食べる毎日。

 子供時代は祖父の自宅と仕事場の裏に住んでいたから夕食も一緒に食べていた。当時は前の道路を通過する車も少なく、馬車で木材を運んでいた記憶がありますね。

 電車道の拡張と土地区画整理が東京五輪の後から始まり、小学6年時にいの町へ移転しました。かれこれ10年余りの桃源の時代は終わりました。

 祖父の33回忌で思い出しました。あの頃は「3丁目の夕日」の時代でした。年末の餅つきをしていたときに隣の家が火事になり、祖父は消火活動までしました。元気な祖父でした。

 あの時代は2度と戻らない。「大人になったら杵を持ち餅つきをしたい。」という願望がありました。未だに実現できずにいます。

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