安田講堂落城 "あの日”から40年学生たちのその後を見て
肋骨のひびがまだ完全に治りませんね。腹筋に力を入れるとまだ痛い。強風でこれでは踏ん張ってセーリングができません。今日は朝の散歩の後はひたすらテレビを見ることに。
NHK総合で放送された「NHKアーカイブ特集 安田講堂落城”あの日”から40年学生たちのその後」を見ました。
この種の番組は満足な出来であったためしはない。先日ドラマ化された日本テレビの「東大安田講堂事件の真相」は駄作でありましたし。
社会運動であったものが「番組」になるのは、その影響力が完全になくなった証拠。運動が消滅した証です。今でも社会的な影響力があるならば「危険」なのでバラエティ番組なんぞにはなりません。「もう終わった」「無害になりました」からバラエティ番組になったのです。興味はその「取り扱い」は民放とNHKではどう違うのかだけでした。
感想は「さすがはNHK」と思いました。日テレの薄っぺらいドラマでは描ききれなかった当時の闘争にかかわった人たちの心意気や気持ちや心の内面をある程度描いています。
闘争後卒業した人、中退した人それぞれの人生40年後の姿がありました。
今井氏は東大安田講堂の防衛隊長。服役後は長野県諏訪中央病院の医師として地域医療の整備にかかわられていました。医療活動を地域にも広げ、地域の人たちにも愛されていた人でした。惜しくも2002年に逝去されました。
最首悟さんは現在72歳。40歳のときに障害をもって誕生した子供を契機に施設へ送迎のために運転免許をとったようですね。現在和光大学の教授をされています。「まったく今の学生には継承されていない。革命はお祭りのようなもの。誰かが仕掛けても起こるものではない。当時はわくわくしながら参加していました。70歳を超えてもまだまだだと思いますね。」
相原氏は三里塚闘争にその後関わられていました。1995年に国側が正式に謝罪し、闘争は終わりました。地域のリーダーとして奥様と頑張られていたようです。
日大の秋田明大氏。全共闘運動のカリスマであった人。取材陣は彼の仕事場である広島県呉市まで行っていました。
「当時は自分の覚悟で戦った。逮捕されたら反省したか。わからないですね。いろいろあったけど家族のおかげで今ははりのある人生をおくっているよ。」はなかなか含蓄のある言葉でした。
秋田さんにとって全共闘運動とはなんだったんですか?という質問。
「そうだな、やっていなかったら船乗りになって今頃はリタイヤして安定した生活を遅れただろうに。」中国人の奥さんと5歳の息子と自動車修理業を田舎でしまかに営んでいます。
それぞれ考え方も「総括」も違いますね。でもそれは当たり前。個人の問題ですね。
おそらく今回がこの運動の「最後の」番組となるでしょう。
40年前「テレビの主役」であった人たちの40年後を見せていただきました。なんか考えさせられました。結局自分の人生は自分でけりをつけないといけないと思いました。当時中学生でテレビをくいいるように見ていた私もいろいろと「総括」しなければいけないなと思うようになりました。
一応よい番組であったと思います。やはり民放ではできない番組でした。
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