ご近所の歴史遺跡
年末の肋骨骨折という事故のおかげで、セーリングなどの激しい運動ができない身の上。メタ防止のためひたすら散歩が運動になっています。以前にも紹介していますが、徒歩でいける範囲に高知市は歴史史跡が多い。自宅付近にもたくさんあります。
まずその歴史資源を道路特定財源が付いたからといって、さほど緊急に工事をする必要性のない道路工事を高知県土木部都市計画課高知駅周辺都市整備事務所が、「歴史の宝庫」新堀川の史跡を「破壊」している地域には多くの史跡があります。
まず横堀公園には、土佐勤皇党党首武市瑞山(半平太)の剣術道場跡の史跡がありました。幕末維新で活躍した土佐の志士たちが多く集まったようです。
そこから北へ少し歩きますと、二次大戦前後に海軍大将で連合艦隊司令長官になったという永野元帥の碑が立っています。
またすぐ近くに幕末の土佐南学の儒学者岡本寧穂(ねいほ)の道場跡があります。吉田松陰ほど有名ではありませんが、当時弟子が数百人おり、土佐南学は行動的な陽明学の影響を受けていたので、土佐の志士の行動規範になっていたようです。
新堀川の階段護岸。江戸時代に江ノ口川と堀川をつなぐ運河として町民の民間活力で建設された新堀川。階段護岸は土佐の山林で伐採された材木を筏で浦戸湾から江ノ口川をさかのぼり、新堀川の階段護岸から荷揚げし、材木町へ運搬していたそうです。潮の干満に関係なく材木を荷揚げするのが階段護岸でした。
道路工事で無残にも「埋め殺され」てしまいました。
その階段護岸のすぐ近くに明治時代の思想家、中江兆民の生家跡があります。幼少時代を新堀川河畔のこの家で過ごしたとあります。
新堀川を下っていくと、高知市が16億円かけて建設した「ほとんど利用者のいない立派なバス降車場」があります。その西角に幕末の「評論家」「絵師」の河田小龍(しょうりょう)という人の生家跡があります。
もともと土佐堀という河川で、はりまや橋を超え、大丸百貨店前まで川はありました。それを高知市はすべて埋め立ててしまいました。
高知市の文化施設かるぽーとはもともとは市場があったところです。ここも川があり橋も多く架橋されていました。四つ橋は二次大戦中の高知空襲で焼け、鉄骨部は変形していました。そのほんの1部が保存されています。
堀川は海運の盛んな時代は高知の物流の拠点。海に関わる企業が今も多い。
堀川のボードウォークから中ノ島地区へ行きますと、「憲政の碑」が立っています。明治時代自由民権運動をリードした板垣退助に関わる関連史跡です。今は跡形も無く石碑とわずかなモニュメントがあるだけです。
1時間足らずの散歩コースに歴史資源がたくさんあるものです。変な箱物(見世物小屋)を6億円高知駅前に建設する予定が(来年の大河ドラマ「龍馬伝」をあてこんで)あるやに聞きますが、「まちなか全体」を歴史博物館にする大きな構想を県も高知市ももつべきではないかと思いますね。
昔は海運が高知市の物流の中心。堀川は重要な役目がありました。波と風が打ち込まない良港でもありました。
| 固定リンク
コメント