イラン革命から30年
確か未だ東京で働いていた頃でした。フランスへ亡命していたイスラム教シーア派の最高指導者ホメイニ師がイランへ帰国、一気にイスラム革命が盛り上がりました。
それまでイランはアメリカが支援する新米国家。パーレビという人が王様でした。風俗は欧米化し、格差社会であったこともイスラム回帰の機運もあり、シーア派のカリスマであるホメイニ師の登場で革命が起こりました。ちょうど今頃の時期ではなかったでしょうか?
左翼的な社会運動とは異なり、宗教運動が社会運動になり、アメリカの影響を徹底的に排除する事態になりました。
翌年イラン革命の影響を他の中東諸国への波及を恐れるアメリカと利害が一致したイラクのフセインは、アメリカの武器や支援もあってイランへ攻め込みイラン・イラク戦争が始まりました。
また旧ソ連もアフガニスタンへ軍事介入しました。1980年のモスクワ五輪をアメリカほか西洋諸国(日本も)ボイコットしましたね。
その間にイランではアメリカ大使館人質事件が起こり、長期間青年学生に占拠されていました。奪還しにいった特殊部隊が全滅したり、アメリカとイランの関係はその後悪化し、国交を断絶して今日に至っています。
イランとは日本は友好国。IJPCという三井グループが大きな石油精製プラントもイランで建設していましたし。
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