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2009.03.16

応対の悪い印象の高知学芸高校

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 高知新聞3月16日朝刊には昨日の「高知学芸高校上海列車事故報告書」の記述をめぐり、学芸高校側と遺族側の意見が対立したようです。
 なぜ事故報告書作成が21年もかかったのか?またその内容に遺族は怒りを露にするのか?記事からの印象では学校側の応対の悪い印象を持ちます。実際にはもっと激しいやりとりがあったのではないでしょうか?

 1988年頃の中国は今と異なり中国のインフラ事情は遥かに悪いようでした。わたしは1986年に天津から北京へバスで移動しました。都市部こそ広い道路でしたが、地方へ入ると片側1車線。ガソリンスタンドも見られません。当然公衆トイレも無く、途中で止まり畑で用を足す状態。女性は大変でした。

 列車は車両にトイレもあり、定時運行されバスでの移動よりは安全と当時の高知学芸高校は判断したのでしょう。しかしまだ当時の中国は修学旅行生をきちんと受け入れる体制にはなってなかったような感じがします。

 鄧小平による改革開放政策がようやく10年目。長年続いた文革の後遺症を引きづりながら外資を入れ、工業化路線まっしぐらの時期でした。翌年その矛盾を告発していて街頭行動をくりかえしていた青年・学生に対して中国政府は無慈悲な強権弾圧をします。天安門事件でした。

 、急激な社会の激変に当時の中国の社会システムが追いつかない部分があったのでしょう。日本では考えられバイ列車同士の高速での衝突事故が発生したのですから。ですので大勢の生徒を連れての修学旅行は当時の中国では無理があったと思います。学校側の判断ミスとしかいいようがないと思います。

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