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2009.04.17

今こそ連合赤軍の組織原理・思想的総括を

  最近お会いした社会運動の先輩から「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(若松孝二監督)のDVDをお借りしました。3時間を越える作品でした。とても重たい映画であり、「チェ・ゲバラ28歳の革命」より遥かにみごたえがありました。

 前半は1960年安保闘争前に結成された共産主義者同盟(ブント)が闘争の敗北で崩壊。数年を経て再建委員会が出来、学生組織は社学同(社会主義学生同盟)にて再建されました。

 1960年代後半のベトナム反戦運動や三里塚闘争、大学・高校の学園闘争や街頭闘争の中で運動は盛り上がります。

 やがて社学同は関東派と関西派に分裂。関西派を中心に赤軍派が登場してきます。勢力を拡大しますが、結成直後に主力部隊が殆ど検挙され、指導者の塩見孝也氏も逮捕されてしまいます。

 「世界革命」を唱えてよど号をハイジャックし北朝鮮へ逃亡した田宮高磨 グループ。世界革命根拠地論でレバノンへ展開した重信房子の日本赤軍。日本に在留した森恒夫らの赤軍派の残党と、日本共産党革命左派で毛沢東主義者であった京浜安保共闘の永田洋子らとの合流があり、「連合赤軍」が1971年に結成されました。

 同時期高校生で毛沢東主義者であったわたしはこの出来事は他人事ではありませんでした。なんかの偶然が重なればわたしもあの「事件」の当事者になる可能性もありましたし。当時連合赤軍の「坂口弘」の名前を知っていましたから。(どうして知っていたのか正確には思い出せません。当時日中友好協会の移動販売をしていた人たちに毛沢東主義者の人たちがいて、伊野町農協の会場で話したことがありました。その人たちの影響であったと思います。)

 当時の活動家仲間でも大阪の高校生は赤軍派の影響を受けていて、よど号や大菩薩峠、連合赤軍にも参加していたのではないでしょうか?(直接面識はありませんでしたが、流れてくるビラや機関紙で知りました。)

 映画で描かれたブントの分裂から対立抗争。赤軍派の結成と分裂、連合赤軍への道程の時代考証は間違ってはいません。なんせいくつも分派し消滅しているので、当事者でなければわからないでしょう。1973年に入学した大学のサークルの先輩たちがブント叛旗派の構成員でしたので、彼らなりのブントの結成・分裂の歴史を聞くことがありました。赤軍派とは真っ向から対立していたようでしたし。

 今の若者である若い俳優たちが「訳のわからない世界同時革命理論」をせりふとして違和感がなく喋っているのには関心しました。覚えるのは大変であったと思います。今の時代からすればリアリティがまるでありませんし。

 おどおどした小心者の森恒夫と嫉妬深い永田洋子が連合赤軍の指導者になり、革命の名目で仲間たちを12人もリンチし、「総括」という殺人を繰り返していく場面を警察側からではなく、組織内部から執拗に克明に描いていました。

 なぜ「総括」や「自己批判」をするのか。連合赤軍にはおおらかさがなく、幹部には絶対服従で逆らえば死が待っている恐怖政治。やはり軍事組織を標榜し、それに賛同し革命兵士と皆が思い込んでいたので狭い小さな組織のなかで、勝手に「煮詰まったんでしょうか?」

 テロ行為が国家権力に向かわず、自分たちの仲間に向けられる。些細な言葉尻を捕らえ総括する。なぜこんな矮小極まりない組織原理が成り立ったのか?銀行強盗や銃砲店や交番襲撃など凶悪犯罪と殺人行為を繰り返して閉ざされた山岳アジトで「軍事訓練」を繰り返していると狂気が狂気でなくなるのか。
 連合赤軍の「常識」が社会の「非常識」になるのでしょう。でもそのことを指導者(森・永田)に言えない。言えば「反革命」と断罪され殺害されてしまう。かくも恐ろしい組織原理です。

 当時としては大学院生や難関大学の知識水準の高い学生たちがどうして稚拙な組織原理にとらわれたのか?事件を矮小化はできません。彼らは世界のために、世界の格差是正のために「命をかけて」革命戦争を闘った真摯な若者たちであったからです。

 連合赤軍を笑い飛ばすことはできない。それは左翼組織、レーニン主義を標榜する左翼組織すべての病理であり、欠点であり組織的欠陥ではないかと思いますね。それだけ大きく深刻な問題であったとわたしは今でも思います。

 連合赤軍には60年安保当時の初期のブントの「おおらかさ」「いい加減さ」はありません。60年ブントにはヌーベル・バーグといわれた先進性とカッコよさがありました。当時姫岡玲治(青木昌彦氏)なんかは今でも凄いとミーハー的に憧れますね。

 参考ブログ記事 60年ブントは格好良すぎますね

 「赤い太陽族」と呼ばれていたぐらいですし。メンバー70人足らずで首相の訪米阻止を叫んで羽田空港の食堂を占拠するもすぐに逮捕されました。青木氏が運動を離脱し、日本を離れアメリカへ留学するときも闘争仲間たちが見送りに来たそうです。全学連委員長だった唐牛健太郎氏が逝去されたときはアメリカから葬儀にかけつけたとか。

 連合赤軍のように「総括」とか「自己批判しろ」とかの暗さは微塵もありません。言葉としてはあったでしょうが、真剣さもあったでしょうが、簡単に異論を排斥し、身体的な苦痛を与え殺害することは多分なかったでしょうし。明るさと、すがすがしさがありました。

 少なくとも60年ブントは当時の「左翼的欠陥」を「突き抜けて」いました。連合赤軍は左翼運動の組織的欠陥を一身に背負い自己崩壊し、同時にすべての日本の左翼運動まで道連れにして崩壊しました。社会運動の「ブラックホール」のような存在が連合赤軍事件でした。

 現在日本の若者たちが「政治に興味がない。」という大きな原因の1つは「連合赤軍事件」の負の遺産であると思います。国家権力もマスコミを活用し大々的な宣伝を「連合赤軍事件」を使ってしました。「社会運動は怖い」「政治に無関心なほうが格好いい」「政治よりもファッションだ。音楽だ。芸能だ。」ということを大手広告代理店を使用し若者たちに刷り込みました。そのたくらみは成功しました。

 しかし現代の時代「野放しのグローバル資本主義」が、格差社会を生み出し、貧困を拡大しました。職につけない若者たちが多く、仕事があっても不安定な非正規雇用です。今こそ「命がけで」社会の悪=新自由主義と闘わないといけないと思います。

 近くあろうであろう総選挙での自分たちの意志の表明も必要です。おかしな制度であれば、フランスの若者たちのように街頭に繰り出し、デモを行い政府に譲歩を迫る迫力も必要です。インターネットも「前向きな社会運動」に活用していただきたい。そう思います。

 だから今こそきちんと「連合赤軍事件の思想的総括」が必要です。そして人間の解放を標榜する組織なり、運動体が人間を抑圧し、排除する組織にならないような抑止が絶対に必要です。

 旧ソ連邦や東欧の共産党独裁体制や中国や北朝鮮の共産党は国家レベルの人民の抑圧装置でした。反論を許さない独裁組織の危険性は、追い詰められた20人足らずの組織で象徴的に現れました。

 それは新左翼も日本共産党や旧社会党(いわゆる協会派)も皆同じです。

 いまこそその組織論の間違い。思想的な総括をすべきです。そして社会運動を再構築しないといけません。映画を見てつくづくそう思いました。

以前映画として鑑賞した「チェ・ゲバラ28歳の革命」や、テレビのドキュメンタリー番組「安田講堂落城 "あの日”から40年学生たちのその後」よりも遥かに重く、よい作品であったと思います。

 DVDは映画の撮影風景や監督と若い俳優たちとのやりとりも写っています。若松監督の演技指導もなかなかのもの。映画完成後レバノンを訪ね日本赤軍のメンバー岡本公三や、北朝鮮を尋ね小西隆祐に映画を見せ対談していました。

 小西は「勇気がなかっただけではない。皆森の言っていることも正しいと思っていた。おかしいと思ってはいただろうが、言えなかった。どうだろうか・・」と語っていました。印象に残りました。

 日本の戦後の社会運動の「ブラックホール」である連合赤軍事件。少しだけ事件の概要がわかりました。今後も自分なりに総括作業をしていきたいと思います。そしてできることなら社会運動を再構築したいと心底思いました。

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