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2009.04.12

小田実・著「中流の復興」を読んで

Odamhonm
2007年の7月に逝去された市民活動家の小田実氏。絶筆ともいえる本「中流の復興」(2007年6月刊・NHK出版)を読みました。
 帯に「小田さん、死なないで。生きて腕を組み、この理不尽な世の流れの堰(せき)になろう。 瀬戸内寂聴」とありました。

 小泉ー安倍と続いた日本社会を「格差社会」に変質させた政権に対する抵抗を命をかけて小田実氏はしていました。

 北朝鮮のミサイル発射問題で、ファシスト知事の石原慎太郎氏が「 日本人も自国防衛の意識にようやく目覚めるだろう」とか、どうでも良い発言をしています。それに対しては「そうだ。」とは言えませんね。

「空襲の最中は、死んだ直後ですからにおわない。しかしそれが残されて数日経って、わたしたち中学生が焼け跡の片付けに動員され,死体が転がっているのを引きづり出したり、がれきのなかから出してくるそのときにおってくる、腐っているからです。」

「・・・中略。正義の戦争があると言い出して戦争のことを口にする人はどうしても軍人の思想になってしまう。・」(P12)

「アメリカ合衆国の軍人たちは原爆は決して歴史のどん詰まりに位置するようなものではなかった。通常兵器のひとつの特殊な形態に過ぎなかった。
 だから原爆をもうちょっと「きれいな」原爆にしたり、あるいは小型化して戦略核兵器にして誰でもどこでも使えるようすることを、その後、せっせとやった。その変形が劣化ウラン弾です。今劣化ウラン弾を平気で使うのは、要するに兵器だから。」(P13)

「えらい人は後ろで操っていたらいいので、実際に戦争をするのは私たち小さな人間です。だからその小さな人間が立ち上がって戦争をしないと決めたら、戦争はできないわけです。
 戦争をする側が「お前がしろ」と言って小さな人間に押し付けて、小さな人間は駆り出されれえう。これは被害者瀬巣が、その被害者が戦場に出ると加害者になる。
中略・・被害者であるからこそ加害者になる。このことを忘れてはいけない。}(P21)

また小田実氏は「非現実的な軍拡論、改憲論」で軍拡主義者を断罪しています。
ようするに日本は食糧も、エネルギー資源もすべて海外に依存している。
「戦争になっても、飛行機や新幹線が動き、食料品がいつものようにふんだんにあると夢想しながら「自衛のために」軍隊を強化しなければならない。と主張するのは物凄く非現実的で、夢物語です。」(P25)

 戦争は戦争であり、」「正義の戦争」なんてものはないのだ。と小田実氏は言い切っています。

小田実氏のユニークなのは、日教組で講演したとき「自分たちでカンパして学校をこしらえたらいい」と言っています。

「学校1つつくるのにそんなに大金はかからない。そういう高校を1つつくれ。教育基本法にもとづいた、君が代なんかを排除する高校、授業も自由にやったらいい。
 そうしたら大勢ひとが集まってくる。集まってきたら教育立県、教育立国になる。街おこしになる。シャッター街対策になる。」(P96)

 また小田氏は、議会制民主主義だけでなく、もっと」市民は街頭へでて集会をし、デモをしなければならない。広義の民主主義を唱えています。フランスでは確かに若者の就労機会を奪う法案を政府が仕様としたら、全土の高校生や大学生が街頭へ繰り出し、労働組合まで加担しついに撤回させました。

 日本ではビラを住宅に投函しただけで,警察に逮捕され裁判で有罪になる国です。きちんとそれをわきまえて果敢に活動しろよと言い残され来世に旅立たれました。

 私たちは小田氏の意志を受け継いでいけないといけないと思いました。

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