高校生反戦会議
40年前の今頃、高知大学朝倉キャンパスの学生会館会議室で、「高知県高校生反戦会議」が結成されました。参加した高校生は約30人。土佐、学芸、追手前、高知西、小津、高知工業、丸の内、など。
「高知大学全共闘と共闘し戦うぞ!」とか気勢をあげていました。わたしは西高校から1人で参加しました。
集会終了後高知大学校門前で朝日新聞記者の取材を受けました。姫路の出身で東大で東大全共闘議長の山本義孝氏らと動いていたとか。「朝日新聞しか入社試験に受からなかった」「高知は空が高いし青いな。」とか言われていた記憶がありました。
新左翼や反戦運動が今頃の青空のように希望があった時代の話です。やがて反戦高協(中核系)が出来、すぐにつぶれ、高共闘がノンセクトでできました。その後高校生評議会になり、弾圧され多くの退学処分者を出し運動は潰えました。
大学生の運動と異なり、高校生の運動は厳しく、「卒業」の学歴すらもなくなるものでした。多くの当時の仲間は卒業できませんでした。皆どうされているのでしょうか?
私は留年し高校を4年通学なんとか卒業。大学へも運よく進学できました。両親も我慢強く今思えば偉かったと思います。2人とも今は超高齢者。もし今後介護状態になるようならなんとかしなければいけないと子供としての義務であると思います。(ホームヘルパーの資格はそう思い取得していますが)
「若気の至り」とすれば重たい現実ではありましたね。その後の歴史は日本の社会運動の歴史とオーバーラップしています。
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