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2009.04.22

全共闘よりブントに共感できます

若松孝二監督の「実録連合赤軍 あさま山荘」は重たい内容の映画でした。3時間ある映画はよそ見をすることは許されずひたすら画面を見ていました。
 2ヶ月ほど前に見たゲバラの映画(チェ・28歳の革命)とか全共闘関連のドキュメンタリー番組より強く印象に残りました。

 ブント(共産主義者同盟)の思想的影響を受けていたのかもしれません。おおらかで画期的な60年ブントが、連合赤軍という陰惨な現実を生み出したことに大きな衝撃を受けています。まだそのショックから立ち直っていませんし。

 全共闘はわかりません。おそらく現場主義なんでしょう。思想的なものはないし(当事者がそういっている)から、ざっとした(粗悪な)ものだったんでしょう。メモリアルは当事者だけもの。普遍性はなどもありません。「流行」だったんです。ですので「総括」はできませんね。それだけの思想的営為はないのですから。

 ブントは日本の社会思想史では画期的な存在でした。具体的にはハンガリー動乱のソ連によるハンガリー市民への軍事弾圧の現実。ソ連や日本共産党の呪縛から独立し、独自の理論と世界観を確立して革命を目指しました。これは「革命的」なことでした。革命や進歩や平和は「共産党の独占」がここに崩れ去ったのですから。

 たかだか角材や鉄パイプでの街頭闘争をしたぐらいで「革命に繋がる」わけであありません。今まで左翼運動,平和運動を「独占」し、市民大衆を支配し、「正しい唯一の政党ー平和勢力だ」と信じ込ませててきた社会党や共産党とは全く異なる思想的源泉をブントが提供した功績は大変大きいと思います。
 
 しかしながらその分流の1部が赤軍派という軍事優先の小セクトに特化し、ハイジャック(よど号乗っ取り)や日本赤軍(重信房子グループ)、連合赤軍(金融機関強盗、武装闘争、仲間の惨殺)に行き着いた顛末をまだ私なりに総括しきれていません。

 連合赤軍と同時期に活動家の高校生であった私にとっては他人事の問題ではありませんでした。

 大学へ進学し、ある党派が学内を牛耳りサークル仲間で意見が割れました。地下へもぐって支援党派とともに戦うか。それとも解散するか。対立セクトとの抗争となると24時間の抗争ですので、生活問題もありノンセクトでは耐えられません。そうすると党派が出てきます。党派の保護を受けその構成員になることで、対立党派との抗争が初めて可能になります。

 とてもできることではなく「日和見」をして解散しました。だから今日があるのです。連合赤軍に参加した当時の同世代の人たちはなんらかの踏ん切りと強い決意、真摯な革命への情熱(間違いかどうかは別にして)で過酷な「行軍」に参加されたのです。

 人生の1番楽しい時期を仲間の惨殺を繰り返す。どうしてそうなるのか?孤立し、閉ざされた小さな集団では起こりうることなのでしょうか?

 指導者原理や党が大衆を支配する原理の解明が必要です。

 連合赤軍があこがれた毛沢東はちゃらんぽらんなおっさんで、「赤い皇帝」と呼ばれた迷惑な存在だったようです。

 参考ブログ記事 「夜と女と毛沢東」を読んで

 Yoshimotohenmitaidanhon01
社会運動には生真面目さと真摯さは必要です。同時に「いい加減さ」「寛容」「面白さ」も必要です。

 とくに判断喜基準は「面白いか面白くないか」です。面白くない社会運動は「無理があるし」「広がりがない」のです。

 生真面目すぎる社会運動の延長線上に「連合赤軍」がある。というのは言いすぎでしょうか?

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