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2009.04.26

塩見孝也氏の「総括」文を読んで

 私の若い頃、U15からU-23のユース時代に大きな影響というか「影」になっていた共産主義者同盟赤軍派の存在。実際に参加してわけでも、シンパでもなんでもありませんが、常に気になる存在ではありました。

 最近若松孝二監督の「実録連合赤軍 あさま山荘」のDVDを見たこともあり、赤軍派の責任者としての言動。また今の時代を同見るかに注目していました。

 その代表であった塩見孝也氏が、ホームページ「ぱとり」のなかで「総括」をされようとしています。
 そのなかに「鼎談 塩見孝也・足立正生・市田良彦 〈帝国〉から振り返る〈共産同赤軍派〉の論理」がありました。

 当時の情勢や用語については「半知半解」でしかないし、わからない部分もありますが、連合赤軍がなぜかくも悲惨な結末になったのか。「当事者」の言動ゆえに注目して読みました。以下気になった部分の文章を引用してみます。長々とした引用になりますし、わけのわからない用語や時代背景はとりあえず無視して検討してみましょう。

 以下断片の引用です。

「それでは、負けるとわかっている戦いをなぜやろうとするのか、と賢しらだった人はあれこれ論評するでしょう。

 しかし、考えてみてください。負けるとわかっていても、その時の「天の時、地の利、人の和」の情勢からして、決起することはあるではないですか。維新前の保津川の乱、生田の乱、その前の時代の大塩平八郎の乱―――日本でも無数にあります。1905年のロシア革命、この時、レーニンは始めから武装蜂起を計画的に考えていたでしょうか?ソヴィエトを民衆が創出してゆくことすら、想定していません。しかし、民衆が決起してゆく以上、ヴォルシェビッキは、民衆の決起の趨勢に身をゆだね、彼らと一体の運命を選択します。そして、その先頭に立ちます。

 そして、未だツアーリ体制には延命力があり、05年蜂起は敗北します。そして、その後、数年反動の波が荒れ狂います。しかし、この武装蜂起の経験は、それから13年後の2月、10月革命に活かされ、民衆は10月革命に見事勝利します。

 この05年革命の後、プレハーノフは、「決起すべきではなかった」といい、レーニンらヴォルシェヴィッキの嘲笑を買い、最後的に政治生命を失います。

 さらに、カストロのモンガダ要塞襲撃のことを考えてみてください。たぶん、フィデルにも勝利の展望があったわけではないでしょう。でも、彼らは決起します。その敗北において、彼らは獄に繋がれ、反乱軍として処刑される運命にありました。僥倖にも恩赦が定められていたが故に、釈放され、カストロはメキシコに基地を設け、グランマ号でキュ-バに上陸し、シェラマエストラに山岳根拠地を構築し、ゲリラ戦を開始し、キューバ革命に勝利します。

 だから、プレハーノフのように「決起すべきでなかった」など、僕には口が裂けてもいえません。
問題は、先ず、70年安保大会戦と前段階蜂起の歴史的必然性、歴史的意義と捉え、肯定すること。その上で、時代と主体の未熟性の問題として捉え、その未熟性を民衆-主体の教訓として捉え返し、本番に活かし、本番では、今度は勝利する、こう捉えるべきではないでしょうか。

 このロシアとキューバの経験は、ある種の「前段階蜂起」であった、と言えます。この05年革命とモンガダ襲撃決起が、その後の二つの革命成功の決定的経験となっている、と言えます。

 僕ら赤軍派が追求した前段階蜂起を僕はこのようなものとして捉えています。1969年の前段階蜂起は、こういった歴史と主体の抱える矛盾であって、この矛盾を唯物弁証法的に捉えることが必要なのです。 」

 つまり「前段階蜂起」で失敗しても革命の火種は必ず残り、ロシアやキューバがそうであったように日本でもその状況はつくれた筈だと論じています。

塩見:前段階蜂起は、決着的な全民衆一斉総蜂起ではなく、それに向けての日本-世界革命戦争を開始する蜂起であるわけです。能動的に(前段階)蜂起をはじめて、それを革命戦争に転化する、という意味です。

 僕がパクられた後も、森恒夫を含め、前段階蜂起をもう一回やろうと考えていました。連続的前段階蜂起です。ところが革左が「連続蜂起は軍事的に見たら現実に合っていない、遊撃戦をやれ」と主張し、花園君(や松平君)なんかはそれに乗ってしまい、合わせて<過渡期世界論-世界同時革命>の綱領的立場を放棄し、スターリン主義許容の「毛沢東思想万歳」、軍事至上主義にどんどん流れていってしまった。
これは、獄中には、ほとんど影響を与えませんでしたが、外の森君、永田さんたちには、多大な影響を与え、森君もまた、毛沢東思想に転向して行くようになります。ここで、野合「新党」の条件が生まれるのです。

 そして、「銃による殲滅戦」という唯銃主義を基本とする軍事至上の私党の野合「新党」が、でっち上げられ、これに反対する遠山さん、山田君ら赤軍派5人、革命左派7人が「粛清」「同志殺し」されてゆくわけです。
少なくとも前段階蜂起は、大衆運動の爆発と組織された暴力が結合して蜂起的な状況を作ろうというイメージだったのです。だから最初は「中央軍」ではなく共産主義突撃隊」(RG)と言っており、それで街頭を席巻して…… 」

*1969年の大菩薩峠で多数の赤軍派活動家が逮捕され、組織がほぼ壊滅状態。塩見氏も直後に逮捕されます。「国際根拠地論」で田宮らがよど号ハイジャックで北朝鮮へ行きました。予定ではキューバへ行く予定であったとか。

 重信房子はパレスティナで日本赤軍の活動を以後するようになりました。日本に残存した森恒夫たちは追い込まれ永田洋子らの京浜安保共闘と「連合」し、連合赤軍になっていきました。

 塩見の言う「前段階蜂起」でもなんでもない軍事優先主義で山岳アジトをさまよい仲間殺しを繰り返したのでしょう。「仲間殺し」の背景が塩見氏の発言でほんの少しだけ理解できました。でも大部分はわからないままです。
 人間を解放するための思想と社会運動体が、人間を抑圧し殺害するのか?その組織の論理や考え方を解明しないといけませんが、まだわからないのです。


9. 政治-軍事闘争と経済闘争の結合:「労働の拒否」

塩見:プロレタリア革命を実現するという学生のロマンチシズム、そこには決意主義も含まれますが、そういうものとは違う原理で意思統一されていれば、大衆的政治闘争の爆発的推進とか、労働運動の組織化とか大衆闘争の個別戦線を組織化するとかの方針も出てきたと思います。ボルシェヴィキ綱領を読むと最初から『資本論』の要点、つまり資本主義の原理がきちんと書かれており、これを社会主義に置き換えなければいけない、ただしロシアではまだツァーリがいるのでまず民主主義革命をやり、それを段階的あるいは連続的に進めなければいけない、そしてそれをやるのが労働者階級、コミュニストであるとはっきりと書かれていますが、僕らの第二次ブントの綱領には、資本主義の原則的批判が書かれていない。第一次ブントでは、分裂前後でしょうか、姫岡怜治が書いた綱領草案には部分的には書かれていますが、これも組織討論されて、組織決定されて、という具合ではなく、草案の段階です。赤軍派にもなかった。そういう意味では、僕らが心情的に流れてしまったことや、急進民主主義の枠の中にいたことは確かだし、第二次ブントで分裂し、赤軍派内部でも自己分裂したのは必然だったでしょう。


「70年安保大会戦における、前段階決戦戦略の追求、革命戦争の開始としての前段階蜂起論、これらは、当時も僕らでは、未踏峰のやってみなければわからない、挑戦すべき、創造的な課題でした。論理化できなかったものを持っていたという意味では、その通りですが、しかし、あんな時代、そして僕らの年齢で、それを完璧に果たせるなんてありえないことです。ですが、挑戦するに値する課題で、失敗して、負けても、やってみるに値しました。

 失敗する、負ける、ことがわかっていても、やらなければならないことは、あるでしょう。僕らは、こう言った覚悟、姿勢を、「革命的敗北主義」として栄誉な姿勢として捉えていたのです。僕は前段階蜂起を清算する気はぜんぜんない。 」


塩見:大菩薩とその後に関係するのですが、首相官邸占拠などの中央権力闘争の議論がある一方で、もう一つは最高指導部が前線で引っぱっていくという形で軍事を担っていくのか、それとも最高指導部は残しておくのかという議論も煮詰まっていくのです。最終的には最高指導部は残さなければいけないという話になった。そうすると高校生とか社学同の大学一、二年生が大菩薩に召集され、支部キャップが皆残るという形になり、前段階蜂起は大菩薩の訓練で挫折することになりました。その後、僕がパクられて以降ですが、同じ議論が続いている。一方でレジス・ドブレの「革命の中の革命」とか、マルゲーラの「都市ゲリラ戦争」が言われ、他方で毛沢東の軍事理論が出てくる中で、僕は指導部は機関誌も出さなければいけないが、カストロやゲバラと同じように軍事の先頭に立とう、と当時書いていた。森君にも先頭に立って、一回突っ込んでみろと。


* (以上ぱとりからの文章を断片的に引用させていただきました。)

 文面を読むだけではわからない部分も多い。

 1969年の新左翼党派が「決戦」と位置づけた「10・21国際反戦デー」に惨敗。その総括をめぐって共産同(ブント)も分裂、赤軍派が軍事路線に突出して行ったようですが、塩見氏は統一ブントに期待している部分もあるようでした。

 大衆的な蜂起(日本ではとても考えられませんが)というか街頭闘争の盛り上がりを期待し(その中心がブント)であり、別働隊の赤軍派は官邸占拠、霞ヶ関占拠で突撃すると。そのための軍事訓練を大菩薩峠でしていたところを一網打尽に検挙されてしまったということでしょうか。

 塩見氏の言い分は半分程度わかりましたが、未だ日本の社会運動をブラックホールに引き込んでしまった連合赤軍事件を生み出した原因については未だに解明されていないと思いました。組織論の欠陥についての総括はなされていません。また思想的な欠陥についてもです。

 なぜ人間を解放する思想の信仰者が、仲間を惨殺したのか?その解明が必要です。

 今後は別の人の意見も検討してみたいと思います。

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