2000人ホールがないのは高知だけ
1988年に「ふりーじゃきにTOSA ビックロックフェスティバル」を春野運動公園球技場で開催しました。当時運営責任者をしており、シビアな交渉を高知南警察とした思い出があります。コンサートは成功し、トラブルもありませんでした。
あ
あの当時の勢いからすれば、高知に2000人ホールはすぐに出来ると思っていました。しかし出来ませんでした。それは「人為的な」出来ない理由がありました。
高知市の社会教育課が、新しい文化ホールのための「ワークショップ」を開催していましたが、そのなかのメンバーにわたしなどは入っていません。県民文化ホールを利用していたDUKEやアルテックは「巧妙に」「排除」されていました。そのあげくに出来たのが、わずか1000人しか収容できない文化施設かるぽーとです。なんと200億円近くかかり、しかも年間維持費が数億円です。実にばかげた市政運営です。
つまりDUKEなどは営利業者だから排除した。文化推進している公民館利用者の意見を広くワークショップで聞いたら高知には500人ホールと、1500人ホールかあるので、中間の1000人ホールがあればいいからという理由でした。実にばかげた理由です。
しろうとが演劇したりするのも文化。プロのアーティストが講演するのも文化。どちらも文化です。当時の高知市政はプロの興業を蔑視し、ないがしろにしました。その結果「市民お要望」を聞いて出来上がったのが、使い勝手の悪いかるぽーとでした。
| 固定リンク
コメント