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2009.05.04

「二人の特攻隊員」を読んで

 連休中の月曜と水曜日は午前中は仕事のスケジュール。3日は「大人のヨット教室の指導役」。3月28日に申し込みしているETCも未だに未着であるし、遠出も出来ません。それで世間様が連休中には地球環境にやさしく読書をすることにしました。

 「実録・連合赤軍」(若松孝二監督)のDVDをお借りしたN氏からの推薦図書でもありました「2人の特攻隊員」(大西正裕著・高知新聞企業刊)を購入しました。2300円とちと高めの価格でしたが、価値のある力作でした。土佐高知さんは「どこでもブログ」時代にゲスト出演された気さくな人。四万十川ウルトラマラソンにも参加され1度は完走。同世代の党生活者ですが、「文武両道」の人生には尊敬しております。

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 わたしには今までは美化された神風特攻隊の物語や映画が刷り込まれておりました。しかしこの「二人の特攻隊員」は丹念な取材と調査で、その美談の欺瞞性を丹念に暴いていきます。

 昭和19年のマリアナ沖海戦で米軍のレーダーや、高性能戦闘機、正確な対空砲火装置の設置で日本軍は壊滅的な打撃を受けました。「この海戦で日米の戦力格差の現実を見せ付けられた前線指揮官たちは「特攻」への傾斜を加速させた。」(P51)

 当初特攻攻撃は、栗田艦隊のレイテ湾突入のための、敵空母の飛行甲板の使用を不能にするということが目的でありました。限定作戦でありました。

 当初米軍が特攻攻撃に無防備であったため、「予想以上の」戦果をあげたゆえに、日本は特攻作戦に傾斜していきます。

「特攻なんて、誰だって反対ですからね。しかしいえない。言うだけの材料がない。他にどんな方法があるのか。理論的に言い返すことが出来ない。ですから皆黙ったままでした。1人として反対論を述べる者がいなかった。恥ずかしいことですが。。」(P113)

 筆者と同じ地元出身者である特攻隊員の野並哲、宮川正という中村中学同期生の経歴を丹念に調査されています。前途有能な青年たちが敗色濃厚な戦争の中、悲壮な決意のもとに特攻し、そして亡くなりました。

 「人間を単に1個の爆弾としてしか見ない「全軍特攻」からは、生み出されるのは何もない。そこにあるのはただ精神の荒廃のみである。」(森史郎「敷島隊の五人」文春文庫)(P114)

 高知からも特攻が出撃していました。白菊特攻隊で、練習機を特攻させ、多大な人たちが犠牲になりました。
 出撃命令を受け、奇跡的に助かった元隊員は当時の参謀の言葉に怒っておられました。

「あああれか(白菊作戦のこと)。あれは決号作戦に向けての試験特攻だった。西日本の練習機100機を突っ込ませて、どれだけやれるか成功率を調べたんだ。」(P133)

 筆者は詳細に調査しながら、淡々と記述されています。

「特攻を命じた人たちの中には、戦後まもなく特攻について著作を書き残したり語った人もいた。地位と財力とを戦後も持っていたからだろう。だが、それらは特攻の真実を正確に伝えてはいない。」

「特攻で生き残った人たちは沈黙を続けてきた。出撃しながら帰還したり、捕虜になった人たちの口は重かった。遺族の口も重かった。特攻を命じた人の中には報復におびえ、軍人時代の拳銃をいつまでも身につけていたひともいたという。」

「だが昭和の終わり近くになって、特攻から生還した人々を訪ね、粘り強く取材を重ね真実を明らかにする作業に取り組む研究者が目立ち始め、平成に入ってからはテレビ局も加わって特攻を歴史のなかでとらえ直し、新しい真実を明らかにする努力が行われてきた。
 
 それらは欺瞞に満ちた特攻美化論、その裏返しの「犬死」論を突き崩し、特攻の真実を現代によみがえさせる力になっている。」

「宮川正さん、野並哲さんをはじめ、特攻で死んでいった若者たちの足跡をたどりながら真実の声と思いを明らかにすることは、世界で最も異常で愚かな戦法を彼らに強いた戦前日本の病理を明らかにし、再び彼らのような犠牲を生み出さない社会を作ることにつながるものいではないか。

 特攻で死んでいった若者たちを知ることは、彼らと同じ日本という国に生きる私たちの務めであると思う。

 この本の帯にありますように「過去に目を閉ざすものは、結局のところ、現在にも盲目になる」(ドイツ大統領ワーゼッカー)と思います。

 この著作を書かれた筆者の動機は2007年当時の日本青年会議所が制作したアニメ「誇り」であったといいます。文部科学省のお墨付きを得て学校現場に持ち込もうとし。特攻隊員を描いた映画「俺は君のためにこそ死ににいく」が公開された時期でした。そこに筆者は強い違和感をもたれたそうです。

 母校中村高校(戦前は中村中学)の先輩である宮川正さんと野並哲さんが特攻で亡くなられており、それが契機になり特攻の真実を調べ、本を書かれました。

 通読させていただきましたが、心に残りました。家内の出身地は沖縄。凄惨な地上戦が展開され当時20万人の民間人が死亡しました。平和記念公園へ行き、平和の礎(いしじ)やひめゆりの塔のジオラマで女学生たちの手記を読んでやりきれなさを感じました。

 当時の戦争指導者たちの精神の荒廃とひ弱さ。そして無責任さ。
 時代は異なりますが「連合赤軍」を生み出した社会的要因を考える上でも参考になる著作でした。土佐高知さんのご努力に敬意を表します。
Heiwanoishizi
沖縄県糸満市にある「平和の礎(いしじ)」

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