「吉田茂の爪のあか」を読んで
近くの図書館で「吉田茂の爪のあか」(村石利夫・著・明日香出版社刊・1994年)を読みました。16年前の本。当時も政治的混乱があり、自民党単独政権が終焉。細川連立政権が出来たことに書かれています。
吉田茂氏は麻生太郎氏の祖父にあたる。戦後レジーム(安倍晋三はそれを壊そうとして自分が崩壊した)をこしらえた大人物でしょう。吉田とGHQ司令官マッカーサーとの関係が良好であったことは敗戦直後の日本では幸運であったとつくづく思いました。
なにかと言動が誤解が多い人でもありました。選挙演説で、高知市のはりまや橋付近でコートを着て演説をしていたことをとがめる聴衆から野次が飛んだとか。すると吉田は「街頭で外套着てやるから街頭演説である。」ととっさにジュークをかまし、聴衆を支持者に変えたといいます。深い教養があるゆえの言動でありました。
マッカーサーに対しても「あなたはまるでライオンが檻にいるようですね。」と話し、一気に打ち解けたとか。マッカーサー氏は、若い頃日本を訪問、その時に日露戦争の功労者東郷平八郎氏や乃木将軍にも面談し、「武士道」について感服していたとこの本で初めて知りました。
日本の再建と経済発展のためには、軽軍備と日米同盟が必要という信念がありました。朝鮮戦争と中国革命の影響で米国から再軍備の圧力があったときも、時には日本国憲法の第9条を「活用し」、アメリカを説得し、アメリカの言いなりにはしませんでした。結果日本経済は朝鮮特需で潤い経済再建の基礎になりました。(吉田を
「危険人物」とみなしたアメリカはA級戦犯岸信介を巣鴨拘置所から政治資金を与えて釈放。吉田の対抗勢力とするのでした。)
また日本国憲法の公布に関しては国会で賛成多数で議決されました。それに対して反対したのは当時の共産党。「アメリカの押し付け憲法だから」というのが理由。共産党は今は「憲法九条が命」と叫んでいるので随分変化したものです。
「吉田はワンマンと言われたが、独裁者ではなく独行の人」(P-28)
吉田茂の存在は思っていたより大きい。戦後日本の基礎をこしらえた人ですし。かれの思惑どうり日本は経済大国になりましたが、時代の変化に政治がついていけない体たらくです。吉田茂の孫が首相になり、ライバル鳩山一郎の孫が野党第1党の党首となっておる今日の日本。
ずいぶんとスケールが小さな政治家になりました。「国民のレベル以上の政治家は出ない」ということなのですから、国民が政治家を育てる必要があると思います。
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