少年マガジン・少年サンデーで育ったことだった
昭和34年3月に同時創刊された少年マガジン(講談社)と少年サンデー(小学館)。うどん一杯が25円で食べれた時代に30円か40円でしたから、当時大阪にいましたが、お小遣いを節約して購入した記憶があります。
少年マガジンと言えば、「巨人の星」「あしたのジョー」だったか。少年サンデーは「おばけのQ太郎」「おそまつくん」だったか。小学生のときにおばQパンチング人形が懸賞で当たったことがありました。
(巨人の星は「社会現象」にもなっていました。
カラー印刷の部分に「戦艦大和」」とかの軍艦が描かれていました。それでプラモデルを購入し、こしらえていました。小学生から中学生あたりなると、週刊の漫画、アニメ、プラモデル、その映画との複合メディアが愉しみであったと思います。
5月5日は子供の日であったので、NHKもザ・ライバル「少年サンデー・少年マガジン物語」を放映していました。いい番組でした。
編集者や漫画家のお話や、ドラマを見ていまして、週刊漫画雑誌の発刊が漫画を日本の代表的な文化資産に高めた様子がわかりました。実に良いと思いました。日本の強み。文化性はここにあります。もっとそれを大事にしないといけないと思います。世界平和にも貢献できるのではないかと思いました。
「伊賀の影丸」は少年サンデーの連載だったのですね。)
それにしても50年前に週刊で漫画雑誌を発刊することは大変であったと思います。編集者も漫画かも「命がけ」であったと思いますね。
わたしも「けんちゃんのどこでもコミュニティ」というラジオ番組を3年間していたことがありました。水曜日にゲストの収録。土日の休日に収録テープを聞いて聞き取りし、番組ホームページを作成する。次のゲストの質問原稿を送付し、またゲストを当たる。音声の編成は局がしていただいたから、半分の労力でしたが、毎週雑誌を発刊し続けることはいかに大変であるか断片で理解できますね。
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