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2009.07.17

官僚だけ悪者にしても仕方があるまい

 日本の官僚は戦前は「天皇陛下の官吏」でありました。身分や出身地に関係なく、東京帝国大学を出て、高等文官試験に合格すれば将来は約束されていたらしい。明治維新後に幅を利かせていた薩摩や長州の閥族支配を断ち切るために日本の官僚組織は出来たのです。

 米諸国を「キャッチアップ」するために「上からの近代化」を推進するためにはなくてはならない仕組みでした。

 敗戦後軍事組織はかいたいされましたが、戦争を後方で支えていた官僚組織は無傷で戦後生き残りました。戦前の「天皇陛下のための」官僚の意味を喪失。国家像を持たない政治家の跋扈で官僚組織は「自らの組織」を守るためにだけ機能してきました。

 西欧諸国のような「公僕」(パブリック・サーバント)ではありません。省益のためが優先するいびつな組織になってしまいました。でもそれは官僚だけが悪いのではなく、官僚をきちんと統制しない政治が悪いのです。

 「霞ヶ関がどうした。こうした。」と各政党は言いますが、本気度は感じません。きちんとした国家像を国民に示し、民意を受け、官僚の皆さん方に国家のため国民のために気持ちよく働いていただきたいのです。

 8月30日投票の総選挙ではそのあたりをチェックしたいものです。

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