« ゴーヤの雌花が出現 | トップページ | 都議会で東京五輪取り下げ決議を »

2009.07.07

言葉が共感できないもどかしさ

Koukousei_r


 知人に1970年前後に発刊された「週間アンポ」という小冊子を借りました。べ兵連{ベトナムに平和を市民連合)の人たちが中心に発刊された雑誌です。当時その存在すら知らない田舎の高校生でした。

 「われわれの闘いは苦しい。だがわれわれは戦っていかなければならない。闘争の放棄は日常性の回帰であり、人間であることの放棄であるからだ。
 学内と学外を分断された中で、われわれは自らの自覚をもって、多くの生徒の中に浸透していく闘いを組み、明確にあらわれた学校の欺瞞性をに対し、非人間的社会に対して闘いを挑んでいかなければならない。(週刊アンポNO4「高校生の広場」

 都立青山高校の活動家の手記です。同時期田舎で高校生反戦会議の結成に参加。そのことで校長室に呼び出されたことがありました。高校1年生の時でした。

「都立青山高校は荒れ果てていた。占拠されていた校舎に酒ビンも転がっていた。教育の荒廃と破壊だ。うちの高校を断じてあのようになってはいけない。」と。校長は青山高校をバリケード封鎖解除後視察したようだった。しつこく説教された記憶がありました。
Sanpohon

 もはや変色している雑誌(週刊アンポ)の各ページ。同時期同じ世代の活動家であったのに、述べられている言葉になぜか「共感」が得られない。39年も経過したからなのか。

 中高年になった自分は「日常のなかに埋没」しきっております。非日常の闘争ってなんでしょう?逆にわかりません。

 高校生の場合はすべてが苦しい。私の場合も闘争すればするほど損するばかりで、得なことはなにもなかった。高校生時代の闘争仲間は退学処分や自主退学した。そうなれば高校卒業の学歴すらなくなるのですから。今や彼らも中高年どうしているのでしょうか?

 退学処分になった1人は北海道へ行き、手先の器用さが幸いして民芸家具の職人になっているようでした。自主退学し大検で大学へ進学。卒業後田舎の役場へ入り、労組委員長を務めていた1人は昨年病死しました。もう1人は行きかた知れずです。

 当時両親が商売のかたわら頑張ってくれたおかげで今日がある。超高齢者の両親をサポートするのはある意味当たり前。つくづく自分は幸運であったと思います。

 この経験と味わった苦しさを社会に還元しないといけないと思いますね。
Sanpo_r

|

« ゴーヤの雌花が出現 | トップページ | 都議会で東京五輪取り下げ決議を »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 言葉が共感できないもどかしさ:

« ゴーヤの雌花が出現 | トップページ | 都議会で東京五輪取り下げ決議を »