「しのびよる破局」を読んで
知人に「しのびよる破局」(辺見庸・著・大月書店)を借りて読みました。昨年の金融恐慌、新型インフルエンザ。発作的な殺人事件。
帯に「異質の破局が同時進行するいまだかつてない時代に、わたしたちはどう生きるべきなのか。「予兆」としての秋葉原事件から思索を始める。」とありました。
「秋葉原事件の青年が派遣労働者として勤めていた静岡県の工場の宿舎を、わざわざまるで観光みたいにして見に行った青年たちがいたといいます。
そし携帯で写真を撮って「なんか笑える」といったとか。ネット用語で「テラワロス」と言う。「テラ」というのは一兆倍をあらわす単位。「ワロス」というのは「笑える」。「テラワラス」だから「いっぱい笑える」「超笑える」。
実はそれを言い放つ人間も世界から孤立している。その人間たちも、関係性の大事なところはモニター画面に依存せざるをえない。」(「被害者と加害者の究極的な等価性」P28)
「一説によると、大企業には余剰のお金、内部留保がまだ相当あるというのです。2008年の、少なくとも前半までに儲けるだけ儲けた会社がある。景気は急に駄目になってきた。でも貯めこんだ金がある。
にもかかわらず、それはなかったことにして人のクビを切っている。どんどん、どんどん。一流企業がね。それはおかしい。もっと怒らなきゃいけないと思う。この社会にはとてつもない余剰のお金がある。その何億分の1も派遣村にいっていないという事実に慄然とせざるをえないのです。
社会全体としてほとんどかれらをまたいで、見てみぬふりをしているのが実態でしょう。」(P103「人智は光るのか」
辺見氏は5年ほど前に脳卒中になり、身体麻痺が残りました。そして癌も患っています。不自由な体をいとわず、常に街へ出かけ観察しています。独特の感覚があります。元気で仕事に追われ、気持ちに余裕がない状態で走る「異常さ」に辺見氏の文章を読んでいますと気づきます。
「ホームレスは可愛そうだ。国はなんとかしろ」と人々は言うが、自分の家や庭先で介抱するとか率先してそういう行為は全然しない。」冷たい市民を鋭く批判されています。
ファシズムも最初から醜悪な姿で登場はしない。「不正を正す」という爽やかなイメージで登場する。社会の異質なもの少数者を暴力的に排除することに、人々が爽快感を覚えると国が大きな存在になり気がつけば戦争ばかりしていたなんてことになるだろうと。
突き刺さるような独特な雰囲気がありました。なかなか読ませる評論でした。
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